【シリーズ第二弾 出版しました!!】
みなさまにお知らせです。3月27日に、シリーズ第二弾「図でわかりやすく解き明かす 日本古代史の謎~その後の邪馬台国から日本国誕生まで」を出版しました。
昨年8月に、「図でわかりやすく解き明かす 日本古代史の謎~神話の世界から邪馬台国まで」を初出版いたしました。読まれた方々から、
「今までもやもやしていた日本古代史が、よく理解できた」
「多くの図表があり、とてもわかりやすかった。」
「邪馬台国の位置が、どうして今まで結論が出ていないのか、不思議。」
など、多くの感想をいただきました。この場を借りまして、深く御礼申し挙げます。
さてそれでは、邪馬台国はその後どうなったのでしょうか?。そして、大和朝廷との関係は?・・・。
学校の歴史の授業でも、そのあたりはさらっと流したのではないでしょうか。
その問いに答えたのが、今回の本です。
他にも、
・なぜ金印「漢倭奴国王」は、福岡県の志賀島で発見されたのか?
・倭の五王とは、本当は誰だったのか?
・日本国はいつどのように誕生したのか?
など、さまざまな疑問について、科学的に解き明かしていきます。
図でわかりやすく解き明かす 日本古代史の謎 II - その後の邪馬台国から日本国誕生の秘密まで (MyISBN - デザインエッグ社)
posted with amazlet at 17.03.28
青松光晴
デザインエッグ社 (2017-03-27)
売り上げランキング: 60,268
デザインエッグ社 (2017-03-27)
売り上げランキング: 60,268
詳しい内容はこちらから・・・
第一章 後漢書倭伝から解き明かす
1.ここに歴史上初めて邪馬臺国の国名が出てくるのだが・・・
2.日本人は古代から酒好きだった!
3.金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の本当の読み方とは?
4.卑弥呼にとり最大のライバルであった拘奴国はどこにあったのか?
5.徐福はやっぱり不老不死の仙薬を求めて日本にきていた!?
第二章 宋書倭国伝から解き明かす
1.倭の五王が中国皇帝に求めたものとは?
2.倭の五王とは本当は誰だったのか?
3.倭国が征したという東方の毛人の国々とはどこにあったのか?
第三章 隋書倭国伝から解き明かす
1.なぜ倭国伝(わこくでん)ではなく俀国伝(たいこくでん)なのか?
2.倭国が邪馬台国から続く九州王朝である根拠とは?
3.倭国王の多利思北孤(たりしほこ)とは推古天皇なのか?
4.二元政治は古代日本からの伝統だった!?
5.意外と華やかだった?当時の倭国の生活
6.阿蘇山が象徴的に描かれている理由とは?
7.「日出ずる処の天子」と表現した理由とは?
8.聖徳太子の遣隋使はなかった!?
第四章 旧唐書倭国伝から解き明かす
1.倭国はかつての倭奴国(いどこく)だった!
第五章 旧唐書日本国伝から解き明かす
1.倭国と日本国が別の国である決定的な証拠!
2.則天武后・玄宗皇帝と日本人との意外な接点
第六章 新唐書日本伝から解き明かす
1.天御中主神から神武天皇までの間にある謎の時間の流れ
2.やっぱり大和朝廷の前身は九州にあった!
3.謎の多い古代天皇の系譜
4.白村江(はくすきのえ)の戦いが記載されていない理由とは?
5.謎が残る白村江の戦いから壬申の乱まで
6.大和朝廷(日本国)の本当の始まり
第七章 翰苑(かんえん)から解き明かす
1.日本人は古代中国周王朝の末裔だった!?
2.やっぱり「日出ずる処の天子」は北部九州にいた!
第八章「太宰府」は倭国の都だった!!
1.「遠の朝廷(とおのみかど)」とは?
2.太宰府遺構が物語ること
3.古代山城は、何を守っていたのか?
4.太宰府は当時の東アジア最大の羅城だった!
エピローグ 現代にも残る「西から東へ」の移動の痕跡
~ 現代人の遺伝子は物語る
これまでのブログの一部について、新たな研究成果も加え、編集し直しまとめました。紀元前後から8世紀頃までの日本の歴史を、一つのストーリーとしてここまで一貫してまとめた本はなかったのではないか、と自負しております。カラーページもあります。ご購読賜れば幸いです。
1.ここに歴史上初めて邪馬臺国の国名が出てくるのだが・・・
2.日本人は古代から酒好きだった!
3.金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の本当の読み方とは?
4.卑弥呼にとり最大のライバルであった拘奴国はどこにあったのか?
5.徐福はやっぱり不老不死の仙薬を求めて日本にきていた!?
第二章 宋書倭国伝から解き明かす
1.倭の五王が中国皇帝に求めたものとは?
2.倭の五王とは本当は誰だったのか?
3.倭国が征したという東方の毛人の国々とはどこにあったのか?
第三章 隋書倭国伝から解き明かす
1.なぜ倭国伝(わこくでん)ではなく俀国伝(たいこくでん)なのか?
2.倭国が邪馬台国から続く九州王朝である根拠とは?
3.倭国王の多利思北孤(たりしほこ)とは推古天皇なのか?
4.二元政治は古代日本からの伝統だった!?
5.意外と華やかだった?当時の倭国の生活
6.阿蘇山が象徴的に描かれている理由とは?
7.「日出ずる処の天子」と表現した理由とは?
8.聖徳太子の遣隋使はなかった!?
第四章 旧唐書倭国伝から解き明かす
1.倭国はかつての倭奴国(いどこく)だった!
第五章 旧唐書日本国伝から解き明かす
1.倭国と日本国が別の国である決定的な証拠!
2.則天武后・玄宗皇帝と日本人との意外な接点
第六章 新唐書日本伝から解き明かす
1.天御中主神から神武天皇までの間にある謎の時間の流れ
2.やっぱり大和朝廷の前身は九州にあった!
3.謎の多い古代天皇の系譜
4.白村江(はくすきのえ)の戦いが記載されていない理由とは?
5.謎が残る白村江の戦いから壬申の乱まで
6.大和朝廷(日本国)の本当の始まり
第七章 翰苑(かんえん)から解き明かす
1.日本人は古代中国周王朝の末裔だった!?
2.やっぱり「日出ずる処の天子」は北部九州にいた!
第八章「太宰府」は倭国の都だった!!
1.「遠の朝廷(とおのみかど)」とは?
2.太宰府遺構が物語ること
3.古代山城は、何を守っていたのか?
4.太宰府は当時の東アジア最大の羅城だった!
エピローグ 現代にも残る「西から東へ」の移動の痕跡
~ 現代人の遺伝子は物語る
これまでのブログの一部について、新たな研究成果も加え、編集し直しまとめました。紀元前後から8世紀頃までの日本の歴史を、一つのストーリーとしてここまで一貫してまとめた本はなかったのではないか、と自負しております。カラーページもあります。ご購読賜れば幸いです。
図でわかりやすく解き明かす 日本古代史の謎 II - その後の邪馬台国から日本国誕生の秘密まで (MyISBN - デザインエッグ社)
posted with amazlet at 17.03.28
青松光晴
デザインエッグ社 (2017-03-27)
売り上げランキング: 60,268
デザインエッグ社 (2017-03-27)
売り上げランキング: 60,268
スポンサーサイト