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土器が語ること(5) ~弥生土器はどこから伝わったか?

前回、縄文晩期から弥生時代、古墳時代までの土器の実年代について、お話しました。さらに、特に弥生時代の開始時期について、”水田稲作が開始された紀元前10世紀頃”として、土器もそれに合わせた較正年代も紹介しました。

ところで、その弥生時代から作られ始めた「弥生土器」は、どこから伝わってきたのでしょうか?

弥生土器の最大の特徴を、”「覆焼き」で作られた土器”とすれば、それと同じあるいはそれの進化形の「窯焼き」が、それ以前にどこで行われていたかを調べれば、すぐにわかります。

その前に、日本最古の「弥生土器」はどこで出土したのか、みていきます。

「弥生土器」といっても、実は明確な定義はなく、”弥生時代につくられた土器”としかないのですが、ここでは、「板付Ⅰ式土器」を最古の弥生土器とします(福岡市博物館HPより)。その名のとおり、福岡県福岡市博多区板付から出土した土器です。

<板付Ⅰ式土器>
板付Ⅰ式土器

(福岡市埋蔵文化財センターHPより)

となると、その土器の製作技術は、大陸から伝わったと考えるのが自然な流れですね。

中国は、古代より世界の陶磁器をリードしてきました。英語のチャイナ(China)という単語が、普通名詞の「磁器」を意味することをご存じの方も、多いと思います。「ボーン・チャイナ」も有名ですね。ちなみに、「ボーン・チャイナ」とは、”骨灰磁器。動物,おもに牛の骨灰を磁土やカオリンと混ぜて焼成したイギリス独特の磁器。”です(世界大百科事典第2版より)。つまり、”ボーン=bone(骨)”という意味です。私はかつて、”ボーン=born(生まれた)”であり、”「ボーン・チャイナ」=中国で生まれた”という意味だと思い込んでました・・・(汗)。

それはさておき、中国でいつごろから窯を使った陶器が作られ始めたのかです。

華北では、河南省新鄭市(しんてい-し)の裴李崗(はいりこう)遺跡(紀元前7000-同5000年頃)では中国最古級の窯跡が検出されてます。また、陝西省(せんせいしょう)西安市半坡遺跡(はんぱ いせき、BC4000年頃)は、環濠を伴う集落遺跡で、共同墓地や窯が検出されています。

<彩文土器、仰韶文化半坡類型>

彩文土器 

こうした文化は、その後の殷王朝(紀元前17世紀-同11世紀)にも引き継がれました。


<印文白陶壺、殷時代>

印文白陶壺 
              (ともにWikipediaより)

一方、朝鮮半島をみてみます。

朝鮮半島では、考古学上の年代を大きく分けて、櫛目文(くしめもん)時代(紀元前8000年-同1500年)、と無文(むもん)土器時代(紀元前1500年-紀元後300年)の、2つがあります。

櫛目文土器とは、その名のとおり、土器に櫛の歯のようなもので模様がつけられことから命名されました。朝鮮半島では、紀元前4000年頃に出現しました。

<櫛目文土器、ソウル市岩寺洞遺跡出土>

櫛目文土器 

           (Wikipediaより)

もともとの櫛目文土器ですが、
”ユーラシア大陸北部の森林地帯で発達し、バルト海沿岸、フィンランドからボルガ川上流、南シベリア、バイカル湖周辺、モンゴル高原、遼東半島から朝鮮半島に至るまで広く分布する。
最古のものは遼河文明・興隆窪文化(紀元前6200年頃-紀元前5400年頃)の遺跡から発見されており、フィンランドでは紀元前4200年以降、朝鮮半島では紀元前4000年以降に初めて現れることから、遼河地域を原郷にして朝鮮や、西はシベリアを経て北欧まで拡散していったようである。
日本の縄文土器にも類する土器(曽畑式土器)があり、また、弥生土器にも似た文様をもつものがある。”(Wikipediaより)

とあります。

つまり、もとは中国の内モンゴル自治区一帯で栄えた遼河文明で製作が開始され、それが朝鮮半島、そして日本列島にも伝わった可能性が指摘されてます。また興味深いのは、その文明が西へ伝播し、北欧のフィンランドまで伝わったことが推定されていることです。これはいずれ取り上げます。

さて、朝鮮半島では、紀元前1500年頃から、無文土器の時代となります。無文土器とは、その名のとおり、表面に模様をもたない様式の土器です。

<中期無文土器、大坪遺跡出土>
無文土器  
                           (Wikipediaより)

無文土器時代の前期(紀元前1500年-同850年)には、無文土器の他、支石墓、甕棺墓などが生まれましたが、同様のものが九州北部でも多くみられることから、九州北部との結びつきが強いと考えられます。


これをもって、朝鮮半島の無文土器は、九州北部から伝わったとする論者もいるようですが、無文土器では製法において「覆い焼き」の技法も使われていたので、無理筋のような気はします。


以上のとおり、中国から直接あるいは朝鮮半島を経て伝えられたのは、間違いありません。


なお、そのうちどちらのルートかについてですが、中国ではすでに窯を使った土器製作がされていたわけですから、中国から直接伝われば、日本でも弥生時代初期から、窯を使った土器製作をしていてもよさそうですが、その痕跡はありません。となるとやはり、朝鮮半島から伝わった、ということになりますね。


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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弥生式土器は朝鮮半島から

>中国から直接伝われば、日本でも弥生時代初期から、窯を使った土器製作をしていてもよさそうですが、その痕跡はありません。となるとやはり、朝鮮半島から伝わった、ということになりますね。

〇弥生式土器は朝鮮半島から
 たいへん分かりやすく説得力のある記事で、たいへん参考になります。
 遼河文明の広がりも興味深い記事でした。
 草々

Re: 弥生式土器は朝鮮半島から

レインボーさん
コメントありがとうございます。
こうした議論になると、ともすると感情論になってしまいがちですが、事実関係を収集して整理していけば、真実は自然とみえてくると思います。
イネについても調べているところですが、朝鮮半島から日本なのか、日本から朝鮮半島なのか、議論が出てますね。そのあたりは、レインボーさんがお詳しいと思われます。いろいろご教授いただければ幸いです。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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