土器が語ること(11) ~ 中国遼河文明と縄文土器との関係

器について様々な視点からみてきましたが、今回が最終回です。

中国の古代文明というと黄河文明、長江文明などが思い浮かびますが、その文明に影響を及ぼしたと考えられる文明があります。「遼河文明」です。

”中国東北の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つ。紀元前6200年ごろから存在したと考えられている。
1908年に考古学者の鳥居龍蔵が遼河文明の一つである紅山文化を発見したことから始まる。
大規模な竪穴式住居が出土しており、特に遼寧省凌源市から建平県で発見された紅山文化の遺跡の一つ牛河梁遺跡は広範囲にわたって墳墓や祭壇などの神殿が発見され、先史時代の「国」があったのではないかと考えられている。紅山文化の遺跡からは風水の原型と見られるものも出土している。 興隆窪文化の遺跡からは中国最古の龍を刻んだヒスイなどの玉製品が発見されている。また最古の遼寧式銅剣(琵琶形銅剣)や櫛目文土器などが出土している。
このように黄河文明や長江文明と異質でありながら、古代の中華文明に大きな影響を与えたと考えられ、現代でも大きく注目され盛んに研究されている。”(Wikipediaより)

遼河文明の名前を初めて聞いた方も、多いのではないでしょうか?。

それは、発見、発掘が新しかったこともさることながら、われわれの固定観念として、遼河流域は、砂漠地帯であり、とても文明が発展したような地域には思えなかったこともあるでしょう。

ところが実際には、
”従来は過去100万年にわたって砂漠であったと考えられていた同地帯は12,000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在したが、約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化した。このために約4,000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、のちの中国文化へと発達した可能性が指摘されている。”(Wikipediaより)
というわけです。

有名な紅山文化をみていきましょう。
中華人民共和国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃~紀元前2900年頃に存在した新石器時代の文化。万里の長城より北方、燕山山脈の北から遼河支流の西遼河上流付近にかけて広がり、農業を主とした文化で、竜などをかたどったヒスイなどの玉から、現在の中国につながる文化や宗教の存在の可能性が考えられている。”(Wikipediaより)

紅山文化領域


<紅山文化出土品、玉竜>
紅山文化 玉竜

<円筒陶器(紀元前4700-2900年)>
 紅山文化 円筒陶器

<太陽神の玉器>
紅山文化 太陽神の玉器 

<象頭の玉器>
紅山文化 象頭玉器

出土品を見ると、確かにのちの中国文明とも共通するものを、感じさせますね。

さて、ではこの遼河文明ですが、どのように始まったのでしょうか。

”遼河文明遺跡における6500年前から3600年前にかけての古人骨のY染色体ハプログループ分析では、ウラル系民族で高頻度に観察されるハプログループNが60%以上の高頻度で認められることから、遼河文明を担った集団はウラル語族を話していた可能性も考えられる。”

なんと、遼河文明を担った人々と、北欧のフィンランドやノルウェー、ロシア北西部などに住むウラル系民族は、同じルーツだというのです。実際に、ウラル系民族住んでいるところからは、櫛目文土器が出土してます。

では、北欧の人々と、遼河文明の人々は、どのような関係なのでしょうか?

下図は、Y染色体ハプログループN系統の人々の分布領域です。

Y染色体N系統と紅山文化  


シベリア(ロシア北部)から北欧にかけて、濃く分布しています。一方、遼河文明の地は、薄い分布です。これは、どのように理解したらよいのでしょうか?

N系統の人々の移動を、あらためて見てみましょう。

崎谷満氏(CCC研究所所長)は、”祖先型が出アフリカ後、南アジアへ達し、東へルートをとって東南アジアへ達したようである。ここでNO*祖型からN祖型、O祖型が分化したと推定される(N系統の分化は8800年前か6900年前)。”と述べてます。(「DNAでたどる日本人10万年の旅」より)

このことから、当初東南アジアにいた祖先型であるNO*が,N祖型とO祖型に分岐したのち、そのN祖型が北上して遼河流域にやってきて、遼河文明を発展させたと推定されます。

ちなみにもうひとつのO祖型は、その後O2系統やO3系統に分岐して、黄河文明や長江文明を開化させたと考えられます。

その後、遼河文明を担った人々は、気候の変動や、他民族から追われて北上したのち、さらに西へ、西へと移動して、最終的に、北欧の地にたどりついたと、考えられます。
一部の人々は、朝鮮半島さらには日本列島にもやってきたと推定されます。実際、現代日本人のなかにも、少ないながらもN系統の人がいます。

Y染色体N系統移動ルート


ではその根拠はあるのでしょうか?

最もわかりやすいのが、櫛目文土器の出土です。
”最古のものは遼河文明・興隆窪文化(紀元前6200年頃-紀元前5400年頃)の遺跡から発見されており、フィンランドでは紀元前4200年以降、朝鮮半島では紀元前4000年以降に初めて現れる。
日本の縄文土器にも類する土器(曽畑式土器)があり、また、弥生土器にも似た文様をもつものがある。”

以前のブログで、土器は東アジア発祥であり、西へと伝播した、との話をしました。その時期はさらに古い時代ではありますが、同じ流れです。

<櫛目文土器、ソウル市岩寺洞遺跡、紀元前4000年頃>
櫛目文土器 
(Wikipediaより)

そして注目すべきは、日本との関係です。

上記の通り、曾畑式土器との類似が指摘されているように、縄文文化にも影響を及ぼした、との説があります。確かに、Y染色体N系統の人々は、日本にもやってきたと考えられてますから、その可能性も充分にあります。

このように、中国遼河流域に紀元前6200年頃から繁栄した文明が、北欧に伝播し、さらには朝鮮半島、日本列島にも伝播し影響を及ぼしたことが、考古学のみならず、遺伝子工学的にも言えることは、興味深いですね。

最後にもうひとつ、興味深い話を紹介します。

突然ですが、皆さんは日本の「ズーズー弁」についてご存じでしょうか?。

「ズーズー弁」とは、一般的には東北地方の方言で、「し」対「す」、「ち」対「つ」およびその濁音「じ」対「ず」(「ぢ」対「づ」)の区別がありません。
たとえば「寿司(すし)」を、「すす」と発音します。
東北・北海道地方のほか、富山県・島根県・鳥取県など日本海沿岸にみられます。

なぜこのように発音するのかと言えば、諸説ありますが、「寒い地方であり、少ないエネルギーで発音しやすくするため」との説が強いようです。確かに、極寒の冬に外で話すときは、唇がかじかんで話しにくくなるので、「ズーズー弁」の方が話やすい、とも思えます。

ところがです。とても興味深い説があるのです。

ズーズー弁の音を中舌母音の[ɨ]と呼びますが、その起源は、ウラル語族(およびアルタイ語族)だ、というのです。

となると、「ズーズー弁」は、N系統の人々が、遼河文明とともに日本にもってきた可能性があります。

そう考えると、東北・北海道のみならず、日本海側の島根、鳥取、富山で、「ズーズー弁」が話されているのも、うなずけます。

古代世界の文明が、東アジアの日本列島から西の北欧までつながっている、とは何とも壮大な話ですね。

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古人骨のY染色体ハプログループ分析と遼河文明

>遼河文明遺跡における6500年前から3600年前にかけての古人骨のY染色体ハプログループ分析では、ウラル系民族で高頻度に観察されるハプログループNが60%以上の高頻度で認められることから、遼河文明を担った集団はウラル語族を話していた可能性も考えられる。”

〇記事、拝見しました
  古人骨のY染色体ハプログループ分析でN型が高頻度に観察される、というのは興味深いですね。そして、その人たちが遼河文明を起こし、縄文土器にも影響を与えたとは。
  ということは、縄文土器が逆に影響を与えた可能性もありますね。いろいろと新情報が出ており、続報が楽しみです。
 草々

Re: 古人骨のY染色体ハプログループ分析と遼河文明

レインボーさん
いつもコメントありがとうございます。
遼河文明ですが、まだまだわからないことだらけだと思います。縄文文明に影響を与えたとされており、なかには三内丸山遺跡は遼河文明の人々が作ったとする説まであります。
そうした説は、今後検証すべきテーマですが、少なくとも縄文人は日本海を中心とした航海技術をもっていて、日本列島を広く交易していたことがわかっています。当然大陸とも交易していたはずで、「縄文→遼河文明」という流れがあったとするのは自然な考え方だと思います。

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Re: No title

匿名希望さんへ

「ツングース」→「つくし」とは、面白い発想です。想像力がかなり豊かな方ですね。ただしその根拠を見つけるのは、かなり難しいでしょうし、見つからなければ単なる「語呂合わせ」になってしまいます。そもそも「筑紫」は現地読みでは「ちくし」です。そのあたりもかなり高いハードルだと感じます。

遼河文明、ウラル語族、日本語

青松様

はじめまして。金平譲司と申します。

遼河文明に関する記事を読ませていただきました(各書籍も購入させていただきました)。

私の専門は言語学で、青松様とは若干ずれているかと思いますが、遼河文明とウラル語族と日本語の関係は長らく私の研究の焦点の一つになっており、これまでに明らかになったことを皆様にお伝えしていこうと考えているところです。

青松様とは興味の対象が重なっていることも感じます。

まだ書き始めたばかりで大変恐縮ですが、私の「日本語の意外な歴史 第1話」(https://drive.google.com/file/d/1J4ZYXrkTUaKcTD6k6bR7q6MiF1gaYdfK/view)をちらっと見ていただければ幸いです。

お話しできればと思っていることがたくさんあるので、Eメールをお送りいただくことも大歓迎です。

Re: 遼河文明、ウラル語族、日本語

金平さま

訪問ありがとうございます。
さっそく資料拝読しました。専門的にかなり深く研究されていると感じました。私もちょうどブログで、専門外ながら言語について書こうと思っていたところです。

フィンランドの大学で研究されていたようですね。以前職場にフィンランドの留学生が来ていたことがありましたが、彼女が「日本語とフィンランドの言葉は似ているところがある」と言っていたのを、思い出しました。また、ポーランドの留学生が話しているのを聞いていた青森出身の人が、「一瞬、田舎のじいちゃんが話しているのかと思った。」とも言ってました。
その時は、面白い偶然もあるもんだ、くらいにしか思いませんでしたが、もしかしたら何か関係しているのかもしれませんね。
いろいろご教授くだされば幸いです。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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