魏志倭人伝を読む その5 ~ 倭の政治 いよいよ卑弥呼登場! 謎の国々とは?
次に、政治体制が記載されています。
身分の上下には、それぞれ等級がついている。お互いの上下関係は、うまくいっているようである。税は納める。物納された税を入れる邸閣(大型倉庫)がある。国ごとに市が立ち、おたがい、あるもの、ないものを、交換しあう。交換は使大倭(したいい)という役人が監督して行わせる。
【解説】
当時すでにきちんとした徴税制度があったことには驚きます。市も盛んだったようですが、それを誰かが監督していたわけです。通常は、使大倭を身分の高い倭人と訳しますが、古田武彦氏は使大倭という官職名だ、としてます。確かにそれだけの権限がある人となると、単に身分が高いというだけでは不充分で、国の組織の中で任命された官職名というほうが、自然です。実は、大倭(たいい)という言葉は、これからキーワードになってきます。
このような風景だったようです。
吉野ヶ里歴史公園HPより

女王国より北は、一大率(いちだいそつ)という役人をおいて、諸国を監視させている。そのため諸国は、この人をたいへん恐れ、煙たがっている。一大率は、いつも伊都国にいる。国中に監察官のような者を置いている。
邪馬台国の王は、魏の都洛陽や、帯方郡や、韓国などに、使いを送っている。また、郡の使節が、倭国へ行くときは、寄港する港をよく調査してから、持ってきた文書、贈り物などを、女王のもとへ運ばせるのだが、いかなる手違いもゆるされない。
【解説】
これまでどこかのどかな雰囲気がありましたが、ここで一変します。一大率という役人がいて、国中を見張っていた、ということです。この一大率がいたのが、伊都国であることから、伊都国が他の国とは別格であることは、注目すべきです。
身分の低い者が、路上で偉い人に会うと、尻込みをして草むらへ入る。うずくまったり、跪いたりするが、両手は地につけている。こうして尊敬のゼスチャーを示すのである。返事をするときは、「アイ」と叫ぶ。イエスの意味なのである。
【解説】
厳しい身分社会であったことが、わかります。返事の「アイ」は、私たちの使う「はい」に通じているのでしょう。
この国は、もともと男を王としていた。一つの都に七、八十年も住みつづけたのち、倭国は内乱になり、何年もの間、お互いに攻撃し合ったりしていた。そこで国々が協議して、一人の女を王に立てた。この女の名を卑弥呼という。
祭祀を司り、人々を治めることができた。もう歳は、三十代半ばで、夫や婿はいない。弟がいて、国の政治を補佐している。卑弥呼が王になってから、見たものはほとんどいない。召使いの女たち千人が、身の回りの世話をしている。男はひとりだけ、食べ物や飲み物を差し入れたり、命令を伝えたりするため、出入りを許されている。卑弥呼のいる宮殿や楼観には、厳重な城柵がつくってあり、警備兵が武器をもって護衛している。
【解説】
いよいよ卑弥呼の登場です。あまりにも有名な箇所ですが、今で言えば、巫女さんのようなイメージでしょうか。、見たものはほとんどなく、女官千人を従え、ひとりの男だけが、出入りを許されていたなど、想像力をかきたてられる描写ですよね。
読み下し文の「鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす」は、そのまま読むと、「シャーマニズムのような宗教をおこなって、人々をたぶらかした」となりますが、説文解字によると「惑わす=治める」の意味なので、「祭祀を司り、人々を治めることができた。」と訳してます。つまり、姉の卑弥呼が祭祀を司り、弟が実務としての政治を執り行うという二元政治をやっていた、ということになります。
年齢については、読み下し文の「年已(すでに)長大なるも」を、通常は老婆と訳してますが、ここでは古田武彦氏説により、三十代半ば、としてます。
また、古事記、日本書紀などには、この卑弥呼の描写にぴたりとあてはまる人物はいないことは、ポイントです。
卑弥呼のイメージです。絹の着物をまとっていたと考えられることから、「絹の女王」と呼ぶ方もいます。

女王国から東へ千里ほど海を渡ると、また国がある。みな倭と同じ人種である。その南に侏儒国(しゅじゅこく)がある。身長は、三、四尺である。女王国から四千里ちょっと離れている。さらに裸国(らこく)、黒歯国(こくしこく)があるが、どれも東南にあたる。一年も航海すれば、たどりつけるだろう。
これら倭の国々を訪れると、海のなかにある島々の上に点在しているため、くっついている国もあれば、離れている国もあり、それらをそいめぐると、五千里ちょっとである。
【解説】
続いて、倭国以外の国についての記載です。東へ千里とあり、本州のことでしょう。さらに、ここから、不思議なことを記載してます。侏儒国(小人の国)があり、さらに一年船に乗ると、裸国、黒歯国がある、というのです。
従来は、これらは単なる伝聞で、事実に基づくものではない、とされてきました。「だから魏志倭人伝は、信用できない。」とされたわけです。ところが、ここでも古田武彦氏により、「これらの国々は実在している。」との説が、発表されました。なんともロマンあふれる話なのですが、これについても、回を改めて、お話します。
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身分の上下には、それぞれ等級がついている。お互いの上下関係は、うまくいっているようである。税は納める。物納された税を入れる邸閣(大型倉庫)がある。国ごとに市が立ち、おたがい、あるもの、ないものを、交換しあう。交換は使大倭(したいい)という役人が監督して行わせる。
【解説】
当時すでにきちんとした徴税制度があったことには驚きます。市も盛んだったようですが、それを誰かが監督していたわけです。通常は、使大倭を身分の高い倭人と訳しますが、古田武彦氏は使大倭という官職名だ、としてます。確かにそれだけの権限がある人となると、単に身分が高いというだけでは不充分で、国の組織の中で任命された官職名というほうが、自然です。実は、大倭(たいい)という言葉は、これからキーワードになってきます。
このような風景だったようです。
吉野ヶ里歴史公園HPより

女王国より北は、一大率(いちだいそつ)という役人をおいて、諸国を監視させている。そのため諸国は、この人をたいへん恐れ、煙たがっている。一大率は、いつも伊都国にいる。国中に監察官のような者を置いている。
邪馬台国の王は、魏の都洛陽や、帯方郡や、韓国などに、使いを送っている。また、郡の使節が、倭国へ行くときは、寄港する港をよく調査してから、持ってきた文書、贈り物などを、女王のもとへ運ばせるのだが、いかなる手違いもゆるされない。
【解説】
これまでどこかのどかな雰囲気がありましたが、ここで一変します。一大率という役人がいて、国中を見張っていた、ということです。この一大率がいたのが、伊都国であることから、伊都国が他の国とは別格であることは、注目すべきです。
身分の低い者が、路上で偉い人に会うと、尻込みをして草むらへ入る。うずくまったり、跪いたりするが、両手は地につけている。こうして尊敬のゼスチャーを示すのである。返事をするときは、「アイ」と叫ぶ。イエスの意味なのである。
【解説】
厳しい身分社会であったことが、わかります。返事の「アイ」は、私たちの使う「はい」に通じているのでしょう。
この国は、もともと男を王としていた。一つの都に七、八十年も住みつづけたのち、倭国は内乱になり、何年もの間、お互いに攻撃し合ったりしていた。そこで国々が協議して、一人の女を王に立てた。この女の名を卑弥呼という。
祭祀を司り、人々を治めることができた。もう歳は、三十代半ばで、夫や婿はいない。弟がいて、国の政治を補佐している。卑弥呼が王になってから、見たものはほとんどいない。召使いの女たち千人が、身の回りの世話をしている。男はひとりだけ、食べ物や飲み物を差し入れたり、命令を伝えたりするため、出入りを許されている。卑弥呼のいる宮殿や楼観には、厳重な城柵がつくってあり、警備兵が武器をもって護衛している。
【解説】
いよいよ卑弥呼の登場です。あまりにも有名な箇所ですが、今で言えば、巫女さんのようなイメージでしょうか。、見たものはほとんどなく、女官千人を従え、ひとりの男だけが、出入りを許されていたなど、想像力をかきたてられる描写ですよね。
読み下し文の「鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす」は、そのまま読むと、「シャーマニズムのような宗教をおこなって、人々をたぶらかした」となりますが、説文解字によると「惑わす=治める」の意味なので、「祭祀を司り、人々を治めることができた。」と訳してます。つまり、姉の卑弥呼が祭祀を司り、弟が実務としての政治を執り行うという二元政治をやっていた、ということになります。
年齢については、読み下し文の「年已(すでに)長大なるも」を、通常は老婆と訳してますが、ここでは古田武彦氏説により、三十代半ば、としてます。
また、古事記、日本書紀などには、この卑弥呼の描写にぴたりとあてはまる人物はいないことは、ポイントです。
卑弥呼のイメージです。絹の着物をまとっていたと考えられることから、「絹の女王」と呼ぶ方もいます。

女王国から東へ千里ほど海を渡ると、また国がある。みな倭と同じ人種である。その南に侏儒国(しゅじゅこく)がある。身長は、三、四尺である。女王国から四千里ちょっと離れている。さらに裸国(らこく)、黒歯国(こくしこく)があるが、どれも東南にあたる。一年も航海すれば、たどりつけるだろう。
これら倭の国々を訪れると、海のなかにある島々の上に点在しているため、くっついている国もあれば、離れている国もあり、それらをそいめぐると、五千里ちょっとである。
【解説】
続いて、倭国以外の国についての記載です。東へ千里とあり、本州のことでしょう。さらに、ここから、不思議なことを記載してます。侏儒国(小人の国)があり、さらに一年船に乗ると、裸国、黒歯国がある、というのです。
従来は、これらは単なる伝聞で、事実に基づくものではない、とされてきました。「だから魏志倭人伝は、信用できない。」とされたわけです。ところが、ここでも古田武彦氏により、「これらの国々は実在している。」との説が、発表されました。なんともロマンあふれる話なのですが、これについても、回を改めて、お話します。
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