古墳は語る(11)~いよいよ前方後円墳です
古墳の基礎知識を整理したところで、いよいよ皆様お待ちかねの「前方後円墳」に入ります。
「前方後円墳」とは、何でしょうか?。
読んで字の如しで、前が「方形」、後ろが「円形」の古墳です。語感から言うと、なんだか前が「主」で、後ろが「従」のような印象を与えてしまいます。
ところが、実際は、「円形」の部分が主たる埋葬施設で、「方形」部分は祭祀などを行う場所だったのではないか、とされてます。
ようは、「円墳」に台状部がついた形ということです。
ところであの鍵穴のような不思議な形は何を意味しているのしょうか?。中国など外国にもない、日本独自の形です。
<前方後円墳の形状>
(Wikipediaより)
昔からさまざまな説が唱えられてます。以下、「古墳の始まりを考える 五.王権の成立と王墓の築造」(金関恕)からです。
1.器物模倣説
a.宮車模倣説
”中国帝王や后妃の乗る馬車である宮車を上から見た形”(江戸時代の学者蒲生君平)。最も有名な説ですね。
b.楯模倣説
”前方部の形は、楯の形を模倣した”(浜田耕作・1936)。
c.家屋模倣説
”古墳時代の家屋の形を模倣した”(原田淑人・1955)。あまりそうには見えませんが・・・。
d.壺模倣説
”壺の形を模倣した”(三品彰英、原田大六・1954)。確かに、壺の形と言えなくもないですね。
2.円丘・方丘合体説
・”「円墳」と「方墳」が結合した”(W・ゴーランド・1897、梅原末治・1926)。
・”主墳である円丘と陪塚である方丘が結合した”(清野謙次・1906)。
3.前方部祭壇説
”埋葬が行われた後円部に対して、前方部はその拝所として、あるいはその祭壇として設けられたもので、宣命(祝詞)が読み上げられた場所である”(喜田貞吉・1914)。
4.外来影響説
・”古代中国の天円地方思想”(重松明久・1978)
・”古代アジア世界における円と方の複合のもつ意味を具現化したもの”(山折哲雄・1970)
・”円丘に方丘状の祭壇を付設する墳形は中国の郊壇にある”(山尾幸久・1970)
・”匈奴起源説”(鈴木治・1973)
5.工法発生説
・”丘陵の尾の上に円墳を築き、墳墓の境界線を尾端と反対の方向に画するときに、自然と造りあげられる”(浜田耕作・1919)
・”土木工事の結果生み出された”(網干善教・1959)
あまりにたくさんあるので、驚いた方も多いと思います。これだけあると、いくらでも言いようがありますね。私などは、人があおむけにゴロンと寝ている姿のようにも見えてしまいます・・・。
宮車などの模倣などというより、古代中国の天円地方思想といった方が、哲学的にみて深遠な気もしますが、いまだに結論は出ていません。
では結局、「前方後円墳」のあの不思議な形は何なのか?。
これ以上、あの形とにらめっこしても、答えは出こないでしょう。
これを推論していくには、”前方後円墳の祖型は何だったのか?”という切り口から入っていくのが、わかりやすいと思います。次回、お話しします。
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