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古墳は語る(12)~前方後円墳の祖型とは?

前回は、「前方後円墳」の鍵穴のような何とも言えない不思議な形、あれがどうしてできたのか、の説を紹介しました。

あまりに説が多すぎて、結局よくわかりませんね。

今回は切り口を変えて、そもそも「前方後円墳」の祖型は何なのか、をみていきます。それがわかれば、あの形状になった理由がわかります。

そんな中、昨年、ビッグニュースがありました。


”奈良県橿原市の瀬田遺跡で、弥生時代終末期(2世紀後半ごろ)の陸橋付き円形周溝墓が見つかった。奈良文化財研究所が12日、発表した。円形墓を囲む溝の南側が陸橋になっており、古墳時代に造られた鍵穴型の前方後円墳に似ている。奈文研は「弥生時代の墳丘墓の発展過程を考える上で貴重だ」と評価、前方後円墳の先駆けとみる研究者もいる。

  奈文研によると、円形部分が直径約19メートルで、周囲に幅約6メートル、深さ約50センチの溝が残っていた。南側の陸橋は台形状で短辺約3メートル、長辺約6メートル、長さ約7メートルあった。同様の陸橋を持つ弥生時代の円形周溝墓は瀬戸内地方東部などで確認されているが、奈良県内では初めて。

 橿原市の東隣の同県桜井市にある纒向石塚古墳(古墳時代初頭、全長約100メートル)などは「纒向型前方後円墳」と呼ばれ、前方後円墳の前段階ともいわれる。桜井市纒向学研究センターの寺沢薫所長は「纒向型は後円部と前方部の長さの比が2対1で、今回の円形周溝墓は近似している」と指摘する。古墳出現期土器研究会の森岡秀人会長(考古学)は「纒向型に先行する遺構で、弥生時代の墳墓から古墳時代の前方後円墳への変遷を見直す資料だ」と話した。 ”(毎日新聞、2016年5月13日)

<瀬田遺跡陸橋付円形周溝墓>
瀬田遺跡
(同上より)

なぜこれがビッグニュースかというと、近年は前方後円墳の先駆けは「陸橋付円形周溝墓」ではないかと考えられているわけですが、それが大和地方で初めて出土したので、色めき立っているわけです。

過程前方後円墳成立

(朝日新聞デジタル「前方後円墳のルーツ発見か 奈良で弥生末期の円形墓」
より)

これはこれで、「だから大和は前方後円墳の発祥の地なのだ」と言っているように聞こえます。


もちろん、「陸橋付円形周溝墓」が日本で初めて出土したとか、日本最古だった、となればそうは言えます。


ところがです。「陸橋付円形周溝墓」は、さらに古いものが今までにいくつも発掘されているのです。

一つが、徳島県の名東(みょうどう)遺跡から出土してます。弥生時代中期前半「紀元前1世紀)ころのものとされてます。


さらに、弥生後期後葉になりますが、四国東部には、讃岐(香川県)の林・坊城1号・2号、尾崎西などがあります。隣の阿波(徳島県)においては、「陸橋付円形周溝墓」の発展形とされる帆立貝型前方後円墳である萩原1・2号墓(弥生時代終末期、積石塚)があります。萩原2号墓は、日本最古の前方後円墳、あるいはそのルーツとも言われ、奈良県の纏向型古墳であるホケノ山古墳との関連も指摘されてます。

<萩原2号墓>
萩原2号墳


(「鳴門市教育委員会2011」より)

また、瀬戸内海を挟んで反対側の兵庫県播磨(赤穂市)の有年原・田中1号墳も、同じく弥生後期の「陸橋付円形周溝墓」です(「倭における国家形成と古墳時代開始のプロセス」(岸本直文)による)。

有年原・田中(うねはら・たなか)1号墳は、”周溝から円形周溝墓に供えられたと考えられる通常の土器のほか、特殊な装飾を施した土器(装飾壺・装飾器台・装飾高坏)が出土しています。また、周溝内にはマウンド斜面から滑り落ちたと考えられる石材が多数見つかっており、マウンド表面に石材が貼られていたのではないかと考えられています。”(赤穂市立有年考古館 平成27年度特別展、「播磨の弥生墓 - 円形周溝墓と方形周溝墓 -」より)

とあり、古墳の祖形と考えられます。

有年原・田中遺跡 
また、播磨と言えば、最古の「方形周溝墓」である「東武庫(ひがしむこ)遺跡」(尼崎市)が出土しましたが、
それにも「陸橋」がついてます。その年代が、なんと紀元前5世紀に遡るのではないか、と推定されてます。


東武庫遺跡

”方形周溝墓からは、「擬朝鮮系無文土器」とよばれる朝鮮半島の土器をまねて日本列島で作られた土器や、「瀬戸内型」とよばれる瀬戸内地方で多くみられる土器が墓に供えられたと考えられる状態で出土しています。”


周溝墓の起源はまだ定まっていませんが、何か朝鮮半島由来とも思わせますね。

一方、私が九州王朝があったと考えている九州北部では、福岡県糸島市にある王墓「三雲南小路(みくもみなみしょうじ)王墓」が「陸橋付方形周溝墓」です。
弥生時代中期後半(紀元前1世紀頃)とされ、銅鏡・武器・装身具・身分を表す威信具など、多種多様な副葬品が出土しました。
2つの甕棺のうち、1号甕棺は男王、2号甕棺は王妃の墓と推定されてます。
三種の神器(鏡・玉・剣)が出土したほか、1号甕棺の中から出土した直径27.3cmの大型鏡は、中国王侯クラスがもつ鏡です。さらに
ガラス璧や金銅四葉座飾金具については、皇帝から下賜されたものと推定、
”男王は中国から東夷の王と認識されていた可能性が高い”としてます(伊都国歴史博物館「常設展示図録」より)




三雲王墓1 
 

 三雲王墓2


(伊都国歴史博物館「常設展示図録」より)


以上「陸橋付円形周溝墓」をみてきましたが、発祥は大和ではなく、四国東部であり、「方形周溝墓」まで含めれば、播磨、あるいは九州北部という可能性が高いと言えます。


そして「陸橋付周溝墓」が「前方後円墳」の祖型であるなら、「前方後円墳」の発祥は大和ではなく、四国東部、播磨、あるいは九州北部あたりの可能性が高い、ということになります。

↓ シリーズ第二弾を電子書籍でも出版しました。



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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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