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古墳は語る(15)~最古の前方後円墳はどこにある?

前回、前々回と、前方後円墳の分布は、数からみれば東国に多く、特に中枢域や西国で減少する古墳時代後期に急増していること、西国でもたとえば九州北部では、古墳時代中期に衰退するものの後期に隆盛を極めることがわかりました。そしてこうしたデータから見る限り、「前方後円墳が大和朝廷全国支配の象徴である」という一般論は論拠に乏しいこと、をお話しました。

この話を聞いて、「いやいやそんなはずはない。第一、最古の前方後円墳として、大和に箸墓古墳があるではないか。最古の古墳があるということは、前方後円墳の起源は大和であり、それが全国支配の象徴になったのだ。」
という反論が聞こえてきそうです。

新聞報道などでは、さかんに初期の前方後円墳として箸墓古墳が取り上げられますね。確かに、最古の前方後円墳が大和にあり、また初期の築造数も大和が全国各地を圧倒していれば、そのように言って差支えないでしょう。

では、実際はどうなのか、データで客観的に見ていきましょう。

「前方後円墳集成」(近藤義郎編)を基にします。

「前方後円墳集成」では、全国各地の前方後円墳を、築造された時期別に、畿内編年の1期から10期の10段階に分けて整理してます。最古の段階である1期の前方後円墳の数を、古代の行政区分別に整理したものが、下のグラフです。

1期前方後円墳数量


グラフからわかるとおり、1期が最も多いのは、筑前(福岡県北部)で9基、第二位が播磨(兵庫県)で8 基、第三位が大和で6基、以下備前、美作、備中(岡山県)、讃岐(徳島県)が続きます。


なおこのグラフは、すべての前方後円墳をカウントしているわけではなく、築造年代が不明なものは除いてます。したがって、実際の数は、これを上回るでしょうし、不明あるいは未発見のものもあるでしょう。ですから正確な数ではありません。あくまで地域的な傾向を理解してもらえればOKです。また規模は考慮していません。


それらを踏まえたなかであらためてみても、やはり大和が第三位というのには、「あれ?」と思われたのではないでしょうか。そして、第一位は、筑前、つまりこのブログで邪馬台国所在地として挙げている九州福岡県博多湾岸です。第二位の播磨、第四位以下の備前~備中、讃岐と、瀬戸内海沿岸ですね。やはり、こうした地域が、キーであることがわかります。


さてこうしたデータに対する、

「いや待ってくれ、最古の前方後円墳は、大和の箸墓古墳と言われているではないか?」

との反論ですが、それについてお答えいたします。


実は、最古の前方後円墳は、わかっていません。箸墓古墳は、最古級ですが、最古ではありません。
ここでは、最古の古墳がどの地域にありそうなのか、データから推測してみましょう。

まず、各地域で最古の前方後円墳を整理します。1期に築造された前方後円墳のうち、地域最古と考えられるものを、ピックアップしました。

最古級前方後円墳集計表  

「前方後円墳集成」の表中、1期のなかで、前半・後半など明らかにされているものは、表記しました。また参考までに、3世紀後半など具体的年代が推定されているものは、それも表記しました。

見てのとおり、各地域において、1期に築造された前方後円墳は、畿内のみならず全国に散らばっていることがわかります。

ここで注意しなくてはいけないのは、1期といっても、それはあくまで「相対年代」であって、「絶対年代」とは限らない、ということです。

これはどういうことかというと、古墳の築造年代は、型式の他、出土した土器から推定する場合が多いわけです。たとえば、大和の石塚古墳からは、土師器(纏向1式期)が出土してますので、そこから古墳時代初頭であり、古墳時代は3世紀からとされるので、3世紀初頭とされます。他の地域の古墳も同様の方法で推定されます。

たとえば大和の古墳Aで出土した庄内土器と同じ種類の土器が、地方の古墳Bで出土した場合、
”庄内式土器は大和(畿内)が最も古いから、地方の土器は大和より新しい時代のものであり、したがって地方の古墳Bは大和の古墳Aより新しい”。
とされます。すなわち「相対年代」です。ちなみに、表右側の具体的年代についても、このやり方で推定してます。

一見、合理的ですが、ここに大きな落とし穴があります。なぜなら、「庄内式土器は大和が最も古い」ことを前提としているからです。

逆に言えば、「庄内式土器の発祥が大和でないならば、古墳築造の年代推定は、すべて異なった結果になる」ということです。

そして、庄内式土器は大和が発祥ではなく、兵庫・岡山県あたりではないか、という説が出てきていることは、すでに紹介しました。
”庄内式土器は畿内が最古か?”

となると、表にある1期の前方後円墳も、大和の前方後円墳より古い古墳が、その他の地域にある可能性が出てきます。

そもそも1期、2期という区分自体、畿内の編年である上に、あいまいな要素が多いのです。
たとえば1期とは
”円筒埴輪はまだみられず、都月式すなわち特殊器台形埴輪や特殊壺型埴輪を伴う場合が多い。仿製鏡はなく、中国鏡のみが副葬される。バチ型の前方部をもつ。”
となってます(「前方後円墳集成」)。


何か、はっきりしませんよね。この基準で畿内のみならず他地域の古墳築造時期も決めていくとなれば、誤差が出るのも、致し方ないところです。

ところでここで皆さんの中には、”他との比較から推定する「相対年代」ではなく、科学的データから算出する「絶対年代」で測定できないのか?”という疑問をもたれる方も、多いのではないでしょうか?。

具体的には、遺物に残された炭素の同位体測定や木の年輪測定による方法などですが、まだまだ確定させる段階には至っていません。こうした科学的手法が何より大切だと考えるのですが、未発掘・未調査の古墳も多く、資料の収集蓄積が充分ではないようです。早急なデータ蓄積が望まれるところですね。

↓ シリーズ第一弾を電子書籍でも出版しました。


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テーマ : 歴史
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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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