魏志倭人伝を読む その6 ~ 倭の政治 卑弥呼の使いに魏の皇帝が感動した理由は?
いよいよ魏志倭人伝も、佳境に入ってきました。残すところ、あと二回です。
景初二年(238年)、六月、倭の女王は、大臣の難升米(なんしょうまい)たちを派遣してきた。彼らは帯方郡にやってきて、中国の皇帝のところに貢物を持っていきたいと、申し出た。そこで、太守の劉夏(りゅうか)は、部下に命じて、彼らを送らせ都へ行かせたのである。
【解説】
卑弥呼が、魏に使いを送りました。なぜ帯方郡まできた使いに、魏がわざわざ部下をつけ、都である洛陽まで送らせたのでしょうか?。以下お読みください。
その年の十二月,皇帝の命令書が、倭の女王に与えられた。
「親魏倭王の卑弥呼に勅命を下す。帯方郡の劉夏が、使いをよこして、そなたの大臣の難升米(なんしょうまい)と副使の都市牛利(としぎゅうり)を送ってきて、男の奴隷四人、女の奴隷六人と、まだら模様の布を二匹二丈を献上するため、都へ来させた。そなたのいる場所は、遥か遠いにもかかわらず、わざわざ使節を派遣して貢物を持参させた。このことは、そなたの忠孝の証であり、私は、そなたたちに、感動するにいたった。
【解説】
魏の皇帝は、卑弥呼の使いに対していたく感激します。何気なく読み過ごしてしまうところですが、それでは、なぜそんなに感激したのでしょうか?。貢物に対してでしょうか?。いえいえそんなはずがありません。わずかばかりの貢物だからです。じつはここに、当時の東アジア情勢のカギが隠されています。
そこでそなたを親魏倭王に任命しよう。紫の綬(ひも)のついた金印も授けよう。包装して帯方太守に託し、授けるものとする。そなたは、国民を教えさとし、忠誠を誓うようにさせるのが良い。そなたの使者の難升米と牛利は、遥か遠い道を、並大抵ではない苦労のすえに、やってきた。今、難升米には率善中郎将(そつぜんちゅうろうじょう)、牛利には率善校尉(そつぜんこうい)の位を与え、青い綬のついた銀印も授けよう。この二人を引見して、慰労してから、帰国させることにした。
そこで、赤地に二頭の竜をデザインした錦を五匹、赤いシャギー・モヘアの布地を十張、茜色の紬を五十匹、紺青の織物を五十匹など、そなたがもたらした貢物に報いてとらせよう。また、そなたには、特に、紺地に模様のついた錦を三匹、斑の細かい模様の毛織物を五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀を二口、銅鏡を百枚、真珠と鉛丹それぞれを五十斤を、与えることにしよう。すべて包装して、難升米、牛利に託しておく。
帰国したさい、目録と照らし合わせて、そなたの国民どもに展示し、わが中国が、そなたたちの国に好意をもっていることを、よく知らしめるがよい。だからこそ、わたしは、そなたによいものばかりを、丁重にとらせるのである。」
とのことであった。
【解説】
魏は、卑弥呼を親魏倭王に任命します。また、金印の他、有名な銅鏡、白絹、錦、刀など、質・量ともに、倭からの貢物をはるかに上回る品を、与えてます。さらに、難升米、牛利には、位に加えて、銀印を与えてます。東夷伝の国々に対して与えているものと比べると、破格の扱いです。
では、なぜここまで、破格の厚遇をしたのでしょうか?。
以前のブログでもお話しましたが、当時の東アジアは、まさに「風雲急を告げる」状況でした。中国は、三国志の時代であり、魏に対して、西は蜀、南は呉、北は北方民族が、虎視眈々と侵略をねらってました。魏は、東の国々と友好関係を築く必要がありましたが、東の遼東半島には、公孫氏がいて、邪魔されてます。そして、呉が、公孫氏と同盟を結び、魏を挟み撃ちにしようとしてきます。
こうした状況のなかで、倭の使いが公孫氏の支配領域をかいくぐり、魏の都の洛陽まできてくれて、忠誠を誓ったわけです。魏の喜びようも、想像できます。これにより、魏は、倭と組んで、逆に公孫氏を挟み撃ちにすることができるわけです。
冒頭の「なぜ魏が帯方郡まで、向かいをよこしたのか?」に対する答えですが、「倭の使いを、敵から護衛するため」と推察されます。
卑弥呼が使いを魏に送ったのが238年6月、公孫氏が滅んだのが同じ年の8月ですから、いわば魏倭同盟なるものが、公孫氏滅亡に一役買った可能性も、充分ありえます。
なお、卑弥呼が使いを出した年について、原文の景初二年(238年)六月を、景初三年(239年)六月の誤りとする説もあります。景初二年(238年)六月には、遼東半島には公孫氏がおり、朝鮮半島を北上できるはずがない。公孫氏が滅亡した景初二年(238年)九月以降のはずだ、というのが理由の一つですが、どうでしょう。安易な原文改定は、慎むべきだと思いますが・・・。
当時の状況を図示してみました。
卑弥呼の魏への使いの想定ルート

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景初二年(238年)、六月、倭の女王は、大臣の難升米(なんしょうまい)たちを派遣してきた。彼らは帯方郡にやってきて、中国の皇帝のところに貢物を持っていきたいと、申し出た。そこで、太守の劉夏(りゅうか)は、部下に命じて、彼らを送らせ都へ行かせたのである。
【解説】
卑弥呼が、魏に使いを送りました。なぜ帯方郡まできた使いに、魏がわざわざ部下をつけ、都である洛陽まで送らせたのでしょうか?。以下お読みください。
その年の十二月,皇帝の命令書が、倭の女王に与えられた。
「親魏倭王の卑弥呼に勅命を下す。帯方郡の劉夏が、使いをよこして、そなたの大臣の難升米(なんしょうまい)と副使の都市牛利(としぎゅうり)を送ってきて、男の奴隷四人、女の奴隷六人と、まだら模様の布を二匹二丈を献上するため、都へ来させた。そなたのいる場所は、遥か遠いにもかかわらず、わざわざ使節を派遣して貢物を持参させた。このことは、そなたの忠孝の証であり、私は、そなたたちに、感動するにいたった。
【解説】
魏の皇帝は、卑弥呼の使いに対していたく感激します。何気なく読み過ごしてしまうところですが、それでは、なぜそんなに感激したのでしょうか?。貢物に対してでしょうか?。いえいえそんなはずがありません。わずかばかりの貢物だからです。じつはここに、当時の東アジア情勢のカギが隠されています。
そこでそなたを親魏倭王に任命しよう。紫の綬(ひも)のついた金印も授けよう。包装して帯方太守に託し、授けるものとする。そなたは、国民を教えさとし、忠誠を誓うようにさせるのが良い。そなたの使者の難升米と牛利は、遥か遠い道を、並大抵ではない苦労のすえに、やってきた。今、難升米には率善中郎将(そつぜんちゅうろうじょう)、牛利には率善校尉(そつぜんこうい)の位を与え、青い綬のついた銀印も授けよう。この二人を引見して、慰労してから、帰国させることにした。
そこで、赤地に二頭の竜をデザインした錦を五匹、赤いシャギー・モヘアの布地を十張、茜色の紬を五十匹、紺青の織物を五十匹など、そなたがもたらした貢物に報いてとらせよう。また、そなたには、特に、紺地に模様のついた錦を三匹、斑の細かい模様の毛織物を五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀を二口、銅鏡を百枚、真珠と鉛丹それぞれを五十斤を、与えることにしよう。すべて包装して、難升米、牛利に託しておく。
帰国したさい、目録と照らし合わせて、そなたの国民どもに展示し、わが中国が、そなたたちの国に好意をもっていることを、よく知らしめるがよい。だからこそ、わたしは、そなたによいものばかりを、丁重にとらせるのである。」
とのことであった。
【解説】
魏は、卑弥呼を親魏倭王に任命します。また、金印の他、有名な銅鏡、白絹、錦、刀など、質・量ともに、倭からの貢物をはるかに上回る品を、与えてます。さらに、難升米、牛利には、位に加えて、銀印を与えてます。東夷伝の国々に対して与えているものと比べると、破格の扱いです。
では、なぜここまで、破格の厚遇をしたのでしょうか?。
以前のブログでもお話しましたが、当時の東アジアは、まさに「風雲急を告げる」状況でした。中国は、三国志の時代であり、魏に対して、西は蜀、南は呉、北は北方民族が、虎視眈々と侵略をねらってました。魏は、東の国々と友好関係を築く必要がありましたが、東の遼東半島には、公孫氏がいて、邪魔されてます。そして、呉が、公孫氏と同盟を結び、魏を挟み撃ちにしようとしてきます。
こうした状況のなかで、倭の使いが公孫氏の支配領域をかいくぐり、魏の都の洛陽まできてくれて、忠誠を誓ったわけです。魏の喜びようも、想像できます。これにより、魏は、倭と組んで、逆に公孫氏を挟み撃ちにすることができるわけです。
冒頭の「なぜ魏が帯方郡まで、向かいをよこしたのか?」に対する答えですが、「倭の使いを、敵から護衛するため」と推察されます。
卑弥呼が使いを魏に送ったのが238年6月、公孫氏が滅んだのが同じ年の8月ですから、いわば魏倭同盟なるものが、公孫氏滅亡に一役買った可能性も、充分ありえます。
なお、卑弥呼が使いを出した年について、原文の景初二年(238年)六月を、景初三年(239年)六月の誤りとする説もあります。景初二年(238年)六月には、遼東半島には公孫氏がおり、朝鮮半島を北上できるはずがない。公孫氏が滅亡した景初二年(238年)九月以降のはずだ、というのが理由の一つですが、どうでしょう。安易な原文改定は、慎むべきだと思いますが・・・。
当時の状況を図示してみました。
卑弥呼の魏への使いの想定ルート

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