宗像神を祭る神社のデータは語る(3)~厳島神社との関係とは?
前回までで、宗像神信仰は、イチキシマ・タゴリ・タギツの三女神の信仰が分かれており、イチキシマ信仰は突出して多いこと、三女神セットの信仰は西日本に偏っているというデータを紹介しました。これらのデータから、もともとはイチキシマ・タゴリ・タギツ信仰があり、後代になり宗像三女神に変わっていったのではないか、という仮説が立てられるという話をしました。
さて今回は、三女神のなかでも突出して多いイチキシマ信仰について、考えていきましょう。
イチキシマと聞いて、何か連想した方はおられるでしょうか?
ここで広島県安芸の宮島にある「厳島(いつくしま)神社」を連想した方は、かなりの神社通です。
実際、深い関係があるのです。
<厳島神社大鳥居>
(Wikipediaより)
矢田氏論文を見ていきましょう。
”厳島信仰も、宗像神の普及に大いに寄与したと考えられる。現在の安芸の厳島神社の祭神は、宗像大社と同一の三女神である。しかし延喜式神名帳の伊都伎嶋神社は一座であるので、「宗像神社史」はその社名から、はじめ市杵島姫命が祭られ、後に三女神になったと推定している。安芸の厳島神社が三神の順序が市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命としているのも、市杵島姫命を特別視していることを示す。明治時代の神社明細帳に拠っている「調」にも安芸の厳島神社の祭神をイチキシマ一神とするので、三女神となったのは比較的新しいようである。イチキシマの語源が「斎(いつく)島」とされていることからも、「宗像神社史」の推定は正しいと思われる。”
”厳島系の名をもつ全国の神社は650社あるが、祭神はイチキシマ一神が472社(厳島神の18社を含む)と全体の75%で、ほかにタゴリ一神の5社、タギツ一神の2社などがある。三女神を祭る社は116社で、全体の18%に過ぎない。都道府県別の分布を図2に示す。宗像神全体と同様に、三女神は東瀬戸内海を中心とする西日本にやや多く、東部瀬戸内以東はイチキシマ一神が圧倒的に多い。このことははじめ安芸の厳島神社に伝えられた宗像神はイチキシマ一神であり、ここを経由して伝搬したときもその一神であったことを示す。”
【解説】
下の図からわかるとおり、三女神を祭る厳島系神社は、広島、山口、愛媛と西瀬戸内海を中心として多く、
次いで、福岡、佐賀、熊本、島根と、西日本の各県が続いてます。
それが東日本に行くにしたがい、イチキシマ一神を祭る神社が圧倒します。このことから、厳島神社においても、はじめはイチキシマ一神であったのが、のちに厳島神社(広島県)を発端として三女神に代わっていった、と推定されます。広島県において、三女神を祭る厳島系神社が多いことが、それを示唆してます。
前回は、全国のデータからイチキシマをはじめ三女神はもともと別であり、のちに三女神化された、との仮説を紹介しましたが、それを補強する内容です。
”以上のことから、厳島信仰は宗像神信仰の一類型であって、両者の間にはっきりとした線を引くことは難しいと言える。また「いつくしま」の名をもつ神社で、イチキシマ一神を祭るのは406社であり、全国のイチキシマ一神を祭る神社の23%に過ぎないので、イチキシマ信仰の大勢は安芸の厳島とは独立に(おそらくそれより古く)全国に広まったものと考えてよかろう。”
【解説】
ここまでの話からいうと、一見「宗像信仰=厳島信仰」なのか?、とも思えます。ところがそうではなく、イチキシマ信仰は、安芸の厳島神社とは別で、おそらくそれより古く全国に伝搬したのではないか、という説です。なかなか興味深い推測ですね。
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”厳島信仰も、宗像神の普及に大いに寄与したと考えられる。現在の安芸の厳島神社の祭神は、宗像大社と同一の三女神である。しかし延喜式神名帳の伊都伎嶋神社は一座であるので、「宗像神社史」はその社名から、はじめ市杵島姫命が祭られ、後に三女神になったと推定している。安芸の厳島神社が三神の順序が市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命としているのも、市杵島姫命を特別視していることを示す。明治時代の神社明細帳に拠っている「調」にも安芸の厳島神社の祭神をイチキシマ一神とするので、三女神となったのは比較的新しいようである。イチキシマの語源が「斎(いつく)島」とされていることからも、「宗像神社史」の推定は正しいと思われる。”
”厳島系の名をもつ全国の神社は650社あるが、祭神はイチキシマ一神が472社(厳島神の18社を含む)と全体の75%で、ほかにタゴリ一神の5社、タギツ一神の2社などがある。三女神を祭る社は116社で、全体の18%に過ぎない。都道府県別の分布を図2に示す。宗像神全体と同様に、三女神は東瀬戸内海を中心とする西日本にやや多く、東部瀬戸内以東はイチキシマ一神が圧倒的に多い。このことははじめ安芸の厳島神社に伝えられた宗像神はイチキシマ一神であり、ここを経由して伝搬したときもその一神であったことを示す。”
【解説】
下の図からわかるとおり、三女神を祭る厳島系神社は、広島、山口、愛媛と西瀬戸内海を中心として多く、
次いで、福岡、佐賀、熊本、島根と、西日本の各県が続いてます。
それが東日本に行くにしたがい、イチキシマ一神を祭る神社が圧倒します。このことから、厳島神社においても、はじめはイチキシマ一神であったのが、のちに厳島神社(広島県)を発端として三女神に代わっていった、と推定されます。広島県において、三女神を祭る厳島系神社が多いことが、それを示唆してます。
前回は、全国のデータからイチキシマをはじめ三女神はもともと別であり、のちに三女神化された、との仮説を紹介しましたが、それを補強する内容です。

”以上のことから、厳島信仰は宗像神信仰の一類型であって、両者の間にはっきりとした線を引くことは難しいと言える。また「いつくしま」の名をもつ神社で、イチキシマ一神を祭るのは406社であり、全国のイチキシマ一神を祭る神社の23%に過ぎないので、イチキシマ信仰の大勢は安芸の厳島とは独立に(おそらくそれより古く)全国に広まったものと考えてよかろう。”
【解説】
ここまでの話からいうと、一見「宗像信仰=厳島信仰」なのか?、とも思えます。ところがそうではなく、イチキシマ信仰は、安芸の厳島神社とは別で、おそらくそれより古く全国に伝搬したのではないか、という説です。なかなか興味深い推測ですね。
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