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宗像神を祭る神社データ(8)~栃木県の田心信仰

次は、栃木県です。

2.栃木県の田心信仰

栃木県でタゴリを祭る66社はすべて神名を田心と表記し、「古事記」風の表記は全くない。これはこの信仰が、古くかつ強固であることを示唆する。
タゴリのみを祭る神社61社のうち社名がもっとも多いのは滝尾(瀧尾)神社(タキオまたはタキノオ)の14社(うち1社は日光滝尾神社)で、うち20社は田心のみを祭り、他神がない。
1社はイチキシマを配祠し、3社は他に大己貴(オオナムチ)命味耜高彦根(アジスキタカヒコネ)命(「古事記」に阿治志貴高日子根)を祭るが、いずれも筆頭神が田心である。日光神社が8社あるが、これはいずれも田心、オオナムチ、アジスキの三神を祭る。二荒(山)神社の7社のうち6社もこの三神を祭るが、1社は田心とオオナムチである。”

表8で見たようにオオナムチは全国で6千社以上が祭る出雲系の主神であるが、栃木県には最多の334社で祭られている。このように強い出雲信仰に伴って、田心が祭られるようになったと思われる。”
【解説】
”タゴリの表記がすべて田心であり、古事記風の表記(たとえば多紀理)などが全くみられないことから、この信仰が古くかつ強固である。”、と推定してます。信仰が古いのはそうでしょうが、古事記風の表記がないことがなぜその根拠になるのかは、不明です。
矢田氏は「日本書紀」の内容の方が「古事記」の内容より古いと考えているから、ということでしょうか?。これだけでは何とも言えません。
それはさておき、栃木県には強い出雲信仰があり、それで田心が祭られるようになったことは、間違いなさそうです。

アジスキは、「古事記」に大国主命タゴリとの間に子とし、出雲本宗家の系譜を乗せる「旧事紀」にもオオナムチとタゴリの子とする。記紀神話にもこの神の挿話がかなり詳しく書かれており、天平五年(733年)撰上の「出雲国風土記」にも5箇所も出てくるので、古代出雲の重要神であったことは間違いない。アジスキは全表記を合わせても全国で225社が祭るのみで、なかでは栃木県が46社と飛び抜けて多い。これも栃木県が、出雲信仰の中心の一つであったことを示す。このように、宗像神、とくにタゴリについては、その信仰伝播の検討には出雲神との関係が考慮されなくてはならない。”
【解説】
アジスキというあまり聞きなれない神様が出てきました。大国主命とタゴリの子ですから出雲系です。アジスキを祭る神社は、全国でも225社と少ないにもかかわらず、栃木県はその2割があるのですから、特徴的です。ここでも出雲との関連がうかがわれます。

”図5に、これら神社の県内の分布を示した。ここは、思川の流域である。思川は、はじめ上記小山市の胸形神社の主祭神から田心川と呼ばれていたのが、田心の二字が結合して思川になったと言われている(Wikipediaより)。”
”この流域にはタゴリを祭る神社が特に多い。タゴリ信仰は、おそらく利根川から栃木県に入り思川を遡ったと考えられる。そして日光市方面に向かい山内の滝の上に祭られた神社が、滝尾神社として拡がったのであろう。”

【解説】
「田+心」川が「思」川となったということで、面白いですね。かつてこのあたりはよくゴルフに行ったものですが、まさか「田+心」=「思」とは、まさに思いもよらなかったです・・・。
さて注目は、タゴリ信仰が伝播したルートです。利根川を遡上して栃木県に入った、と推測してます。

栃木宗像神社 
  
この図をよくよくみると、確かに思川流域およびその上流部に分布している一方、東にも並行して分布しているのがわかります。ここは鬼怒川流域にも近いので、鬼怒川を遡上した可能性もあると思われます。

”西隣の群馬県でタゴリを祭る神社は、いずれも利根川流域にある。長野県の千曲川上流の佐久市に純宗像系の山田神社があり、上田市には「思姫」を合祀する八幡神社がある。”
”千曲川流域には、弥生時代後期鉄剣など鉄器流入が顕著であることなどから考えても、タゴリーアジスキ信仰は千曲川を遡って毛野(けぬの)国(群馬・栃木)にもたらされた可能性が強いであろう。西隣の福島県にも式内の隠津島神社と、4社の宗像神社がり、宗像神が多い。”
【解説】
栃木県においては利根川から思川を遡ったと推定してますが、群馬県でも利根川流域にあります。長野県佐久市・上田市にも宗像系があることから、さらに興味深い推測をしてます。
こうした伝播は、千曲川(新潟県では信濃川)を遡って佐久市・上田市に伝わり、さらに峠を超えて群馬に入り、利根川沿いに栃木まで到達した、というものです。つまり「日本海から入った」ということになります。
下の図にルートを示しました。

関東宗像神伝播ルート  
上田・佐久から群馬まで行くには、峠を超えなくてはいけませんが、一つのルートとしては軽井沢あたりから碓氷峠を越えたのではないでしょうか。碓氷峠といえば、あの「峠の釜飯」で有名ですね。そこから利根川まで下り、群馬県や栃木県を遡ったと考えられます。

これはこれでいいのですが、先ほど思川だけでなく、東側の鬼怒川を遡上した可能性にも触れました。

鬼怒川は、現在利根川系統なのですが、実は利根川は、江戸時代頃から大土木事業が行われてます。改修前は、何と今の利根川は、千葉県銚子に流れていたのではなく、東京湾に流れていたのです。そして鬼怒川は常陸川といって、今の利根川とほぼ同じルートで、太平洋に流れていました。

つまり、上の図でもわかるとおり、思川~(旧)利根川は、鬼怒川と系統が異なっていたわけです。

となると、疑問が浮かびます。

「太平洋から(旧)常陸川を遡上して、鬼怒川へ伝播した可能性はないのか?」

太平洋側には、高知県、和歌山県、愛知県、静岡県、千葉県と、純宗像系と推定される神社が、分布してます。このルートは、黒潮のルート上でもあります。

となると、海人族である宗像族が、黒潮に乗って千葉県までやってきて、鬼怒川を遡上したとしても、何ら不自然ではありません。

遠賀川式土器も、日本海側のみならず、太平洋側からも、伝播していることが確認されてます。

日本海側からと太平洋側から、という2つのルートを想定しておくべきと考えます。

ところで上の図に、長野県に安曇野諏訪の2つの地名を記載しました。なぜあえて記載したのかというと、この2つの場所は、海人族にかかわりが深いからです。

まず諏訪ですが、「国譲り」で敗れた、大国主命の息子である建御名方(たてみなかた)神が逃げた先です。つまり出雲からやってきた、ということになります。

また安曇野は、その名のとおり「阿曇(あずみ)族」が進出した土地といわれてます。阿曇族の本拠地は、九州北部の志賀島一帯といわれてます。

諏訪、安曇野とも、日本海から千曲川を遡ってきたと想定されます。

このようにとらえると、九州北部~出雲~新潟県~長野県~群馬県~栃木県」という日本海を介したルートが遠い古代からあったということは、明確ですね。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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