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宗像神を祭る神社データは語る(11)~宗像神が祭られた時期

ここまで、矢田氏論文のデータを基に、宗像神についてみてきました。

矢田氏は、膨大なデータを駆使して、見事な分析をしてます。古代史において、ここまで統計データを用いて解析をするのは、なかなかないのではないでしょうか?。なにか理系の臭いを感じますね。

ここまで論者である矢田氏について紹介してませんでした。
矢田氏は、元静岡理工科大学 理工学部 機械工学科教授で、金属工学が専門のようです。神社関連の研究は、趣味でやっているのでしょうか。よくわかりませんが、理系の思考法で解析しているのは確かです。データを基に、バッサ、バッサと容赦なく推論を進めてます。私も理工系出身なので、何か爽快な気分になります。

論文では最後に、宗像神が祭られた時期について、推測してます。

矢田氏は、ここまで素晴らしい論考を進めていたのですが、以後については私の見解と大いに異なるものとなってます。

まずは論文からです。
宗像神の広域活動は、有史以前であったとしたうえで、
”そのような古代の活動は、縄文時代ムナカタ周辺に根拠を持っていた海人の広域活動に起源があったように思われる。そこで養われた全国の地理や物産に関する知識の蓄積が、弥生文化の東漸に当たって大いに力を発揮したらしい。具体的には、北部九州に収まりきれない稲作農耕民集団が各地へと渡航を企てる際に、有望地の紹介や水先案内人を務め、その後の各集落間の交易や有用資源探索とその流通など、現代の総合商社的な活動を担っていたと推定することができよう。”

このように日本海側を中心に、大活躍してきた宗像海人族ですが、次第にその活動に陰りがみえてきます。その時期、および要因について次のように述べてます。

”このような広域活動は、中央集権国家が確立し律令体制が敷かれるとその余地がなくなり、秩序を乱すとされて規制されるようになったと思われる。歴史資料にその痕跡を求めると、まず宗像三女神が誕生する誓約神話がある。それ以前に宗像神を祭る人々の活動が全国に広がっていたにもかかわらず、この神話では三女神の活動を「海北道中」に限定していることが重要な意味を持つと考えられる。つまり、「国内交易はもう結構だから、朝鮮半島との交通路に活動を限定しなさい」という意味に受け取れるのである。”

【解説】
さて問題はここからです。まず時期として「中央集権国家が確立した時期」としてますから、4から5世紀頃となります。そしてそれを暗示するように誓約神話が作られた、としてます。
その要因として、「中央集権国家が確立したので、交易についても宗像海人族に頼る必要がなくなり、かえって邪魔な存在になった。」と推論してます。

ここで誓約神話のあらすじですが、
イザナギスサノオに海原の支配を命じたところ、スサノオはイザナミがいる根の国(黄泉の国)へ行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害を与えた。イザナギは怒って「それならばこの国に住んではいけない」と彼を追放した。
スサノオは、姉のアマテラスに会ってから根の国へ行こうと思い、アマテラスが治める高天原へ昇る。すると山川が響動し国土が皆震動したので、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと思い、武具を携えて彼を迎えた。
スサノオはアマテラスの疑いを解くために、宇気比(誓約)をしようといった。二神は天の安河を挟んで誓約を行った。まず、アマテラスがスサノオの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。
この三姉妹の女神は、アマテラスの神勅により海北道中(玄界灘)に降臨し、宗像大社の沖津宮、中津宮、辺津宮、それぞれに祀られている。
次に、スサノオが、アマテラスの「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の五柱の男神が生まれた。”(Wikipediaより)

<誓約>
誓約系図

確かに誓約により、三女神は海北道中に降臨しましたが、三女神はこのとき初めて生まれたわけです。少なくともこの話からは、以前に広域的に活動していた三女神(特にイチキシマ)の活動を、これ以後海北道中に限定する、とは読み取れません、

また時代も、誓約神話は神代の時代であり、天孫降臨(私の推定で紀元前5~4世紀ころ)より前の話です。ましてこれから出てくる神功皇后の時代(4世紀後半以降)の話からみれば、はるか遠い時代になります。古事記・日本書紀の作者が、これらの話を同時代の話として描いたとは、とても思えません。

矢田氏は続いて、次のように述べてます。

”これと同一文脈の「日本書紀」の記事として、応神天皇の三年に、処処の海人が命に従わないので、阿曇連(あずみのむらじ)の祖大浜宿弥(おおはまのすくね)を遣わしてそのソバメキを平らげ、海人の宰(みこともち)としたことが載る。これは、これまで広く国内航路で活躍していた宗像海人族を締め出し、安曇族の首領に海人の統括を委ねたと解釈できる。このあと応神天皇の五年に、「諸国に令(みことのり)して海人及び山守部を定む」とあるので、明らかに全国の海人を、諸国の国造を介して中央の統制下に置いたのである。”

”このような措置が取られた理由は明らかではないが、神功皇后伝説を信用するとすれば、平和的な通商活動を旨とするムナカタの海人が、四世紀後半以降と考えられる朝鮮半島への武力侵攻に協力しなかったのが原因ではないか。
「日本書紀」によれば、宗像海人と関係があったと考えられる(あるいはその代表であった可能性がある)岡県主(おかのあがたのぬし)の熊鰐(わに)が、はじめ仲哀天皇と神功皇后を大歓迎したのにその後の記述が全くなく、朝鮮半島への航路に不案内な吾瓮(あえ)の海人(新宮町沖の相島と考えられる)や磯鹿(しか)の海人(福岡県の志賀島と考えられる)に国見をさせて、後者が山から島が見えたというのでやっと渡海したという。案内役がいないため神功皇后が困った様子がわかる。
住吉神の創始も神功皇后の出兵に絡んでおり、宗像神に代わる朝廷に従順な海神(とそれを祭る海人族)が必要であったと思われる。神功皇后が実在の人物かは疑問があるにしても、広開土王碑文から倭国が4世紀末から5世紀初めにかけて朝鮮半島南部に出兵していたのは事実であり、この伝説はそれを反映していると思われる。”

矢田氏は、宗像海人族が締め出されたとしたうえで、その理由を「朝鮮半島の武力侵攻に協力しなかったためではないか」と推測してます。
その根拠として
a.宗像海人族と考えられる岡県主の熊鰐(わに)が、その後登場しないこと。
b.安曇海人族の吾瓮(あえ)や磯鹿(しか)の海人が朝鮮半島への航路に不案内であり、神功皇后が困ったこと。
を挙げてます。

まずaですが、これだけでは何ともいいようがありません。
ただし、古事記・日本書紀によれば、
”天照大神の子供である三女神は天照大神から「歴代の天皇を助け、歴代の天皇からお祭りを受けるように。」との神勅を奉じて、国の守護神としての使命をおびて、三宮(さんぐう)に降臨した。”
とあります。
つまり、宗像族は天皇を助けるミッションをもっていたわけです。それにもかかわらず、なぜ神功皇后の朝鮮出兵の命に従わなかったのか、という問いに対する答えが見つかりません。

次のbですが、現代訳では、
吾瓮海人鳥摩呂(あへのあまおまろ)を使って、西の海に出て、国があるかと見させられた。還っていうのに、「国は見えません」と。また磯鹿(しか)(志賀島)の海人ー草を遣わして見させた。何日か経って還ってきて、「西北方に山があり、雲が横たわっています。きっと国があるのでしょう」といった。”(「日本書紀」(宇治谷孟訳)より)

となってます。
はたしてこの文章から、安曇海人族が朝鮮半島への航路に不案内だと言えるのか、よくわかりません。神功皇后は、そんな頼りない安曇海人族を頼りに朝鮮半島まで出征して、戦果を収めたのでしょうか。そもそも航海術を糧としている安曇海人族が不案内というのもありえません。

このようにa,bともに無理筋な解釈に思えます。したがってここから「宗像族族が、朝鮮半島の武力侵攻に協力しなかったために締め出された」という推測も、成立しえないと考えます。

”四世紀後半に始まるとされる沖の島祭祀は、まさにこの時期に対応している。誓約神話が創られ宗像神が神格化されたのも、この頃ではないか。原則として古代氏族が複数神を祭ることはないので(祖神の家族神を共祭する場合を除き)、神名の性格が全く異なる三神が共祭されるのはきわめて異例であり、そこには政治的意図が感じられる。本報で見た祭神分布から、宗像海人族がはじめに祭っていたのはイチキシマ一神であったのは疑いない。
本報で見た宗像神の全国分布の特徴の多くは、ヤマト政権が確立したとされる4世紀以前の、宗像海人族の広域活動を反映していると思われる。”

論文では、ここから沖ノ島祭祀との関連について述べてます。世界遺産登録で話題の沖ノ島ですが、その祭祀は4世紀後半頃始まったとされてます。なぜその時期に始まったのかです。

”391年に倭国が高句麗へと出兵した際、北部九州が前線となった時期に相当する。また、宗像氏がヤマト王権の力を背景に朝鮮半島や中国(当時は北魏)との交易に乗り出したのも同時期であり、そうした遺物も確認されている。”(Wikipediaより)

沖ノ島祭祀が始まった時期が、朝鮮半島との戦いや交易と密接に関係しているのは、間違いないでしょう。

ではその祭祀を執り行った主体は誰で何のために行ったのか?、という大きなテーマがあります。通説ではヤマト王権が航海の安全を祈るため、ということになってますが、果たして本当にそのように言えるのか、後ほどあらためて取り上げます。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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