北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(1)~宗像神信仰の地域偏在が示すこと
前回まで、「宗像神を祭る神社の全国分布とその解析ー宗像神信仰の研究(1)ー」(矢田浩)を基に、みてきました。
宗像神というと三女神(イチキシマ・タゴリ・タギツ)をセットで考えがちですが、実際にはそうではなくそれぞれ別個の信仰であったことが、統計データから推測できました。そのなかでも特にイチキシマ信仰が最も古く全国に広がっていたと推測されます。時代を経て、次第に三女神が宗像神として統合されていったとしてます。
今回から、その第二弾「北部九州の宗像神と関連神を祭る神社の解析ー宗像神信仰の研究(2)ー」をみていきます。
宗像神信仰の起源と考えられる九州北部での信仰を、宗像神以外の神との関連も含め、統計データで解析してます。これもまた前論文同様、たいへん興味深いものとなってます。
”宗像神信仰の起源と考えられる福岡県では、宗像神を祭る神社の存在比は全国の平均レベルであった。これは福岡県が地勢的・歴史的に広域にまたがり、その中で宗像神信仰が他信仰と棲み分けしているためと考えられる。そこで本報では、北部九州諸県について旧郡単位で分布を調査し、不均一な分布の一因と思われる他神信仰との関係についても調べた。
図2に旧郡別の宗像神の分布を示す。旧郡間で社数が大きく異なることが分かる。福岡県内で見ると、宗像郡の17社はやはり大きいが、隣の遠賀郡が20社とより多い。県内ではほかに企救・三瀦郡が10社を超えている。
その他の郡、特に筑前南部と筑後の諸郡にはきわめて少なく、県内で分布が偏っている。一方、佐賀県の東西松浦・杵島郡や、大分県の宇佐・大野郡など、宗像郡と同程度またはそれ以上に宗像神が祭られている郡がある。”
【解説】
宗像神の分布は、宗像郡が多いのは当然ですが、隣の遠賀郡や大分県の宇佐郡・大野郡が、宗像郡での数を上回っていることに注目です。さらに佐賀県の東西松浦・杵島郡も多いのに対して、筑前南部と筑後には極めて少ないなど、分布が偏っていることが確認できます。
”前報の全国分布では、三女神のうちイチキシマのみを祭る神社が全宗像神を祭る神社の60%以上を占め、特に宗像から遠方で多いことを指摘した。これに対し北部九州4県ではその比率が48%で、宗像郡では17%ときわめて低い。
反対に三女神を祭る神社は、全国で22%に対し北部九州で42%と高く、宗像大社のある宗像郡では17社中三女神を祭る神社が11社(67%)と極めて高い。あきらかに宗像大社の影響によりその周辺で三女神化が進んでいることが窺われる。"
【解説】
数字がいろいろ出てきてわかりにくいので整理しますと、全宗像神を祭る神社のうち、
a.イチキシマのみを祭る神社の割合は、
宗像郡(17%)<九州北部4県(48%)<全国平均(60%以上)
b.三女神を祭る神社の割合は、
宗像郡(67%)>九州北部4県(42%)>全国平均(22%)
とa,bがきれいに逆になってます。
このことから、宗像大社の影響でその周辺で三女神化が進んでおり、遠ざかるにつれ三女神化が進んでいない、つまり昔の信仰が残っている、としてます。
”宗像神を祭る神社の各郡全社数に対する比の分布を示したのが、図5である。
九州東北部の沿海3郡に宗像神が集中して祭られており、やはりこのあたりに信仰の中心があったことを示している。この3郡に続く九州東海岸に比較的宗像神の多い地域が連続しており、宇佐郡から国東半島にかけて分布する。そして内陸部の直入・大野郡でまた高まりを見せ、宮崎県の東臼杵郡が続く。ここでは宗像郡の全てがイチキシマ単神である。
そして筑前中央部の比較的宗像神の希薄な地域を挟んで、佐賀県東部にこれに劣らない宗像神集中域がある。”
【解説】
全社に対する宗像神を祭る神社の割合を示した図です。分布がきれいに分かれており、とても興味深い図です。
九州東北部の3郡(宗像・遠賀・企救)から東側にかけて、すなわち瀬戸内海側の地域に集中してます。一方、西側は佐賀県東部に集中してます。そして真ん中に当たる筑前中央部が空白地帯となっており、たいへん特徴的に分布していることがわかります。
また、対馬北部や五島列島での割合が高いことにも注目です。
ではこの偏った分布は、何を意味しているのか?
大きな視点で見ると、”もともとは宗像神を祭る人々(海人族)が北部九州一帯に住んでいたが、「別の信仰」をもった人々(「別の海人族」)が筑前・筑後にやってきて、その一帯を支配した”、という流れが想定できます。
ではその「別の海人族」とは何なのか?、「別の信仰」とは何なのか?、次回詳しくみていきましょう。
★無料メルマガ(まぐまぐ)での配信を開始しました。
↓ 登録はこちらから
http://www.mag2.com/m/0001682368.html
宗像神というと三女神(イチキシマ・タゴリ・タギツ)をセットで考えがちですが、実際にはそうではなくそれぞれ別個の信仰であったことが、統計データから推測できました。そのなかでも特にイチキシマ信仰が最も古く全国に広がっていたと推測されます。時代を経て、次第に三女神が宗像神として統合されていったとしてます。
今回から、その第二弾「北部九州の宗像神と関連神を祭る神社の解析ー宗像神信仰の研究(2)ー」をみていきます。
宗像神信仰の起源と考えられる九州北部での信仰を、宗像神以外の神との関連も含め、統計データで解析してます。これもまた前論文同様、たいへん興味深いものとなってます。
”宗像神信仰の起源と考えられる福岡県では、宗像神を祭る神社の存在比は全国の平均レベルであった。これは福岡県が地勢的・歴史的に広域にまたがり、その中で宗像神信仰が他信仰と棲み分けしているためと考えられる。そこで本報では、北部九州諸県について旧郡単位で分布を調査し、不均一な分布の一因と思われる他神信仰との関係についても調べた。
図2に旧郡別の宗像神の分布を示す。旧郡間で社数が大きく異なることが分かる。福岡県内で見ると、宗像郡の17社はやはり大きいが、隣の遠賀郡が20社とより多い。県内ではほかに企救・三瀦郡が10社を超えている。
その他の郡、特に筑前南部と筑後の諸郡にはきわめて少なく、県内で分布が偏っている。一方、佐賀県の東西松浦・杵島郡や、大分県の宇佐・大野郡など、宗像郡と同程度またはそれ以上に宗像神が祭られている郡がある。”
【解説】
宗像神の分布は、宗像郡が多いのは当然ですが、隣の遠賀郡や大分県の宇佐郡・大野郡が、宗像郡での数を上回っていることに注目です。さらに佐賀県の東西松浦・杵島郡も多いのに対して、筑前南部と筑後には極めて少ないなど、分布が偏っていることが確認できます。


”前報の全国分布では、三女神のうちイチキシマのみを祭る神社が全宗像神を祭る神社の60%以上を占め、特に宗像から遠方で多いことを指摘した。これに対し北部九州4県ではその比率が48%で、宗像郡では17%ときわめて低い。
反対に三女神を祭る神社は、全国で22%に対し北部九州で42%と高く、宗像大社のある宗像郡では17社中三女神を祭る神社が11社(67%)と極めて高い。あきらかに宗像大社の影響によりその周辺で三女神化が進んでいることが窺われる。"
【解説】
数字がいろいろ出てきてわかりにくいので整理しますと、全宗像神を祭る神社のうち、
a.イチキシマのみを祭る神社の割合は、
宗像郡(17%)<九州北部4県(48%)<全国平均(60%以上)
b.三女神を祭る神社の割合は、
宗像郡(67%)>九州北部4県(42%)>全国平均(22%)
とa,bがきれいに逆になってます。
このことから、宗像大社の影響でその周辺で三女神化が進んでおり、遠ざかるにつれ三女神化が進んでいない、つまり昔の信仰が残っている、としてます。
”宗像神を祭る神社の各郡全社数に対する比の分布を示したのが、図5である。
九州東北部の沿海3郡に宗像神が集中して祭られており、やはりこのあたりに信仰の中心があったことを示している。この3郡に続く九州東海岸に比較的宗像神の多い地域が連続しており、宇佐郡から国東半島にかけて分布する。そして内陸部の直入・大野郡でまた高まりを見せ、宮崎県の東臼杵郡が続く。ここでは宗像郡の全てがイチキシマ単神である。
そして筑前中央部の比較的宗像神の希薄な地域を挟んで、佐賀県東部にこれに劣らない宗像神集中域がある。”
【解説】
全社に対する宗像神を祭る神社の割合を示した図です。分布がきれいに分かれており、とても興味深い図です。
九州東北部の3郡(宗像・遠賀・企救)から東側にかけて、すなわち瀬戸内海側の地域に集中してます。一方、西側は佐賀県東部に集中してます。そして真ん中に当たる筑前中央部が空白地帯となっており、たいへん特徴的に分布していることがわかります。
また、対馬北部や五島列島での割合が高いことにも注目です。

ではこの偏った分布は、何を意味しているのか?
大きな視点で見ると、”もともとは宗像神を祭る人々(海人族)が北部九州一帯に住んでいたが、「別の信仰」をもった人々(「別の海人族」)が筑前・筑後にやってきて、その一帯を支配した”、という流れが想定できます。
ではその「別の海人族」とは何なのか?、「別の信仰」とは何なのか?、次回詳しくみていきましょう。
★無料メルマガ(まぐまぐ)での配信を開始しました。
↓ 登録はこちらから
http://www.mag2.com/m/0001682368.html
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。
にほんブログ村
スポンサーサイト