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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(3)~玉依姫を祭る神社分布

前回お話した各神間の関係を、具体的にみていきましょう。

図9をご覧ください。神武天皇の母である玉依姫を祭る神社の北部九州での分布を、宗像神と重ねて示したものです。
図中、オレンジ色・黄色が玉依姫を祭る神社の割合が高い旧郡、紺色・青色が、宗像神を祭る神社の割合が高い旧郡です。

玉依姫を祭る神社分布  
この図を見ると、両神の分布域は殆ど重ならず、はっきりした対立関係を示しているのがわかります。

興味深いのは対馬
”宗像神は上県郡に多く特にその東岸に多く分布するのに対し、玉依姫を祭る神社はすべて下県郡にあり、中央部の浅茅(あそう)郡沿いと、そこから西岸および東岸へ出た入り江に多く分布する。浅茅湾内には弥生時代の遺跡が集中し、魏志倭人伝が示す対馬国の中心があったと考えられている。


【解説】
魏志倭人伝に出てくる「対海国」のことです。魏志倭人伝に、
”居する所は絶海の孤島で、およそ四百余里四方。土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。千余戸の家がある。”
対海国は、「四百余里四方」とあるので、ほぼ四角で一辺が約30km(短里)です。私はここから、対海国とは対馬の下県郡を中心とした国ではないか、と推定してました。今回そのエリアは、玉依姫の信仰域とほぼ一致することがわかりました。
ちなみに、浅茅湾に面したところに豊玉町があります。豊玉町には、和多都美神社(わたづみじんじゃ)があり、豊玉姫が祭られてます。「豊玉姫」とは玉依姫の姉で、神武天皇の祖母にあたります。

”玉依姫は、本土部では旧糟屋郡に集中する。多くが志賀系海神を代表する豊玉姫少童神(ワタツミノカミ)とともに祭られており、本来海人族が祭った神であることを示している。しかしその他の郡では、宝満山の竈神社から広まった竈門神社や宝満神社に、多くは八幡神と神功皇后との組み合せで祭られている。しかしその中に玉依姫一神を祭神とする社も多いので、宝山系神社は本来玉依姫信仰であって、八幡神と神功皇后は後に併祭された祭神と思われる。
筑前西部の中でも、志摩郡で宗像神が玉依姫に対して優勢なのは、宗像から壱岐や西海方面への航路の寄港地があったからであろう。”


【解説】
旧糟屋郡は、海人族である安曇族の本拠地です。このエリアが玉依姫が集中している一方、その東と西には宗像神が集中しており、信仰する神によって、きれいに分かれてます。
このあたり一帯は、もともとは宗像神を信仰していたが、のちに玉依姫を信仰する海人族がやってきて、博多湾岸に勢力を張った、という構図が見えてきますね。

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テーマ : 歴史
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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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