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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(6)~ムナカタルート1

前回、北部九州の対馬・壱岐から本土側までー「海北道中」「西海」-の、宗像神系神社をみてきました。宗像海人族は、交易を担っていたと考えられるので、ここから朝鮮半島からの交易ルートが浮かび上がってきます。今回は、そのルートをみていきましょう。

ムナカタルート
ルートとしては、
・対馬から沖ノ島を経由して本土に向かう「ムナカタルート1」
・対馬から壱岐を経由して本土に向かう「ムナカタルート2」
が想定されてます。

沖の島を経由するムナカタルート1では、ムナカタと繋がる ルートの他に、直接響灘沿岸に達するルートがあったと思われる。これは特に弥生時代後半、鳥取県の妻木晩田(むきばんだ)遺跡青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡などから著しい量の鉄器が発見されているからである。鉄器の出土は さらに東に向かい、兵庫県や京都府の北部に鉄器製造基地がつくられる。このような多量の運搬物を 運ぶ場合は、ムナカタに寄航せず対馬暖流を利用して沖ノ島から一気に下関市西海岸を目指すことが 多かったと思われる。この沿岸には朝鮮半島の土器など多くの渡来人の痕跡が見られる。

山口県は明治末期の神社合祀の影響を強く受け、残念ながら純宗像系の神社が殆ど残っていない。しかし下関市武久にはかつて宗像神社があったと記録されていて、ここの武久浜遺跡の石棺 からは中国の半両銭が出土している。また弥生時代初めから宗像の影響を受けてきた角島にも、2社の 厳島神社があったことが、『調』に記されている。ここは山陰へ向かう絶好の寄港地であったと思われる。
ただし朝鮮半島へ向かう逆コースは、海流に逆らうので手漕ぎでの直接の船行は困難であったと想像される。したがって沖ノ島への最短距離のムナカタから出発することが多かったと思われるので、 ムナカタの重要性が失われることはなかったであろう。”

【解説】
まず対馬~沖ノ島~本土の「ムナカタルート1」です。ムナカタを経由せずに、直接対馬海流に乗り、山陰地方を経てさらに兵庫県・京都府の日本海側に達したルートもあったことでしょう。青谷上寺地遺跡といえば先般、注目の発表がありました。

「弥生時代の人骨“渡来系”か 青谷上寺地遺跡」(毎日新聞2018年11月18日)
”国史跡・青谷上寺地(かみじち)遺跡(鳥取市)で出土した弥生時代の大量の人骨=2世紀ごろ=のDNA分析の中間報告で、人骨の大半は朝鮮半島や中国大陸などからの“渡来系”である可能性が高いことが分かった。分析が進み、日本人の成り立ちの解明につながる成果が期待される。弥生時代の人骨の本格的なDNA分析は全国で初めて。【園部仁史】
遺跡は弥生時代前期~古墳時代前期に存在した。保存状態の良い、多種多様な出土品や老若男女の人骨が100体以上見つかるなど「地下の弥生博物館」と呼ばれている。
DNA分析を進めてきた国立科学博物館などは17日、鳥取市内で報告会を開催。同館の篠田謙一副館長は約40の人骨から母系の遺伝情報が分かる「ミトコンドリアDNA」を分析し、32体の塩基配列の特徴を調べることができたと説明した。
その結果、日本古来の“縄文系”は32体のうち、わずか1体だったといい、出土した人骨のほとんどは新たに大陸から渡ってきた人のものとみられる。さらにその“渡来系”の人骨は少なくとも12のDNAのグループに分けられることから、同遺跡が多様な人の集う交易拠点だったとする従来の説を強く裏付ける結果になった。篠田氏は「父系の遺伝情報もわかる『核ゲノム』の分析を進めることで、日本人のルーツを探りたい」と話した。
出土した人骨には殺傷痕のあるものも含まれ、戦乱などがあったとされる。弥生時代の日本について記された中国の史料「魏志倭人伝」などには「倭国(わこく)大乱」の記述もあり、人骨を保管する県埋蔵文化財センターの浜田竜彦係長は「『どのような人が殺害されたか』などを知ることで、当時の日本の状況を探る手がかりになるかもしれない」と期待する。 ”


【解説】
なんといっても山陰地方は神話の里であり、人々やクニの成り立ちについてはさまざまな推測がされてました。今回の調査により、母系ではありますが、大陸から渡ってきた人々が多くいたことが確認されました。当然、交易も活発に行われていたことがわかります。
そしてそこから海流に乗れば、容易に兵庫県・京都府の日本海側、当時大国であったと考えられる丹波のクニに達します。丹波のクニが、鉄器供給を武器に勢力を拡大したと考えられます。

さてここで重要な点があります。皆さんは疑問をもたれたでしょうか?

それは、「畿内との関係はどうだったのか?」です。

畿内大和の弥生時代の遺跡からは、鉄器は出土していません。最大の遺跡である「唐古・鍵遺跡」からも出土してませんし、それに続く「纏向遺跡」からも出土してません。

もしムナカタルートで、瀬戸内海を通過して畿内に達するルートがあれば、当然鉄も供給されたことでしょう。しかしながら畿内で弥生時代の鉄は出土してません。

ということは、少なくとも鉄に関して、当時は「北部九州~瀬戸内海~畿内」という交易ルートはなかった、という結論にならざるをえません。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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