後漢書倭伝を読む その4 ~ 卑弥呼にとり最大のライバルであった拘奴国はどこにあったのか?
引き続き、政治の話です。
桓帝(かんてい)・霊帝(れいてい)の頃(146~189年)に、倭国の国内は混乱し、各国が互いに攻め合って、何年もの間統一した君主がなかった。その時、 一人の女子がいて、名前を卑弥呼といった。成長しても結婚せず、神がかりになって託宣し、巫女として振る舞い、人々を治めていた。そこで、互いに戦っていた倭国の人々は、ともに卑弥呼を立てて王とした。
卑弥呼の王宮には、侍女が千人もかしずいているが、卑弥呼の姿を直接見たものは少ない。ただ一人の男子が食事の世話をし、卑弥呼の言葉を伝えている。卑弥呼の住んでいる宮室・高殿(たかどの)・砦(とりで)は、皆武器を持った者たちに守られていて、規律は厳しい。
【解説】
倭国大乱から、卑弥呼擁立までです。邪馬台国の様子も、魏志倭人伝とほぼ同じです。
女王国から東へ、海を渡ること千里余りで拘奴国(こぬこく)に至る。拘奴国の人は皆倭人の仲間ではあるが、女王国には服属していない。
【解説】
魏志倭人伝の記載とほぼ同じですが、拘奴国(魏志倭人伝では、狗奴国)の位置が、邪馬台国から東へ海を渡り千里ほど、つまり本州にある、としてます。拘奴国とは、邪馬台国のライバル国ですが、場所はよくわかっていません。
魏志倭人伝には、「其南有狗奴国」とありますが、どこを起点として南なのかが、はっきりしてません。邪馬台国の南方にあるかのようにも読め、そうなると熊本付近とも考えられますが、決め手はありません。
もしこの東へ海を渡って千里という記載が、確かな根拠に基づくものであるなら、位置特定の大きな手がかりとなります。解釈の仕方によっては、これまた壮大な話になるのですが、ここではここまでにします。
女王国から南へ四千里余り離れて、朱儒国(しゅじゅこく)がある。その国の人の身長は、三、四尺である。朱儒国から東南へ、海路を行くこと一年で、裸国(らこく)、黒歯国(こくしこく)に至る。中国への使者や通訳が往来する所としては、ここが最遠の地である。
【解説】
そして、魏志倭人伝にもあった謎の国々が出てきます。四千里南に小人の国(侏儒国)、そして船で一年行ったところにある裸国、黒歯国です。
注目したいのは、これらの国々と交流がある、と記載していることです。四千里なら交流可能でしょうが、船で一年行った国々と交流などできるのか、と普通なら思います。果たして、どこの国々のことでしょうか?。
記載されていることを図に表しました。

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卑弥呼の王宮には、侍女が千人もかしずいているが、卑弥呼の姿を直接見たものは少ない。ただ一人の男子が食事の世話をし、卑弥呼の言葉を伝えている。卑弥呼の住んでいる宮室・高殿(たかどの)・砦(とりで)は、皆武器を持った者たちに守られていて、規律は厳しい。
【解説】
倭国大乱から、卑弥呼擁立までです。邪馬台国の様子も、魏志倭人伝とほぼ同じです。
女王国から東へ、海を渡ること千里余りで拘奴国(こぬこく)に至る。拘奴国の人は皆倭人の仲間ではあるが、女王国には服属していない。
【解説】
魏志倭人伝の記載とほぼ同じですが、拘奴国(魏志倭人伝では、狗奴国)の位置が、邪馬台国から東へ海を渡り千里ほど、つまり本州にある、としてます。拘奴国とは、邪馬台国のライバル国ですが、場所はよくわかっていません。
魏志倭人伝には、「其南有狗奴国」とありますが、どこを起点として南なのかが、はっきりしてません。邪馬台国の南方にあるかのようにも読め、そうなると熊本付近とも考えられますが、決め手はありません。
もしこの東へ海を渡って千里という記載が、確かな根拠に基づくものであるなら、位置特定の大きな手がかりとなります。解釈の仕方によっては、これまた壮大な話になるのですが、ここではここまでにします。
女王国から南へ四千里余り離れて、朱儒国(しゅじゅこく)がある。その国の人の身長は、三、四尺である。朱儒国から東南へ、海路を行くこと一年で、裸国(らこく)、黒歯国(こくしこく)に至る。中国への使者や通訳が往来する所としては、ここが最遠の地である。
【解説】
そして、魏志倭人伝にもあった謎の国々が出てきます。四千里南に小人の国(侏儒国)、そして船で一年行ったところにある裸国、黒歯国です。
注目したいのは、これらの国々と交流がある、と記載していることです。四千里なら交流可能でしょうが、船で一年行った国々と交流などできるのか、と普通なら思います。果たして、どこの国々のことでしょうか?。
記載されていることを図に表しました。

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