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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(8)~宗像神の信仰域

本年もブログを読んでいただきありがとうございます。
2018年の最終回です。

今回は、北部九州で宗像神が信仰されている地域を、詳細にみていきます。

<図再掲>
ムナカタルート


”宗像神信仰の強い地域は北部九州東部の東宗像ベルトと西部の西宗像ベルトとに分かれている。前者については、前報で見たように弥生文化の東方への伝播に宗像海人族が果たした 役割を示すものと考えられる。オカミ神などとの分布の重なりも、渡来系の人々の拡散と結びつけて考えることができる。”

【解説】
北部九州では、宗像神信仰の強い地域が東部と西部に分かれていて、オカミ神信仰域と重なっています。その領域に押し入るように分布しているのが、神武天皇の母である玉依姫や土の神様である埴安神の信仰域という話でした。
両分布域とも海人族の領域ですが、前者が宗像海人族、後者が阿曇海人族の領域です。

”北西九州における宗像神の広い分布は、このような考えでは説明できない。その中でも、宗像神が特に集中しているのが、佐賀県の伊万里湾から有明へ到る西宗像ベルトである。この西松浦郡と 杵島郡が作る回廊は、その南の宗像神が殆ど見られない東彼杵郡および藤津郡と対蹠的である。この回廊は、前述の田島神社群が示唆するように、伊万里湾へ入る海上交易ルートを有明海方面に繋げるものと考えられる。すなわち、宗像神を祭る 宗像海人族が、海路だけではなく、これに繋がる内陸交易路にも関与していたことを物語ると思われる。
この内陸ルートは、対馬―壱岐を経由する国際交易ルートを、有明海の対岸筑後地方から熊本県方面へ繋げることが主な目的ではないか。次項に述べる古代宗形社があった地域も、そのターゲットの一つであったと思われる。熊本県の西北部にも、図5に見るように宗像神を祭る神社が多い。その中心菊池郡の菊池市宗方に、宗方八幡宮がある。”


【解説】
北西九州についてです。佐賀県の伊万里湾から有明海につながるルートであり、ここから対岸の筑後地方から熊本方面に繋げている、としてます。交易ルートでいうと、
大陸・朝鮮半島~対馬・壱岐~佐賀県~筑後地方~熊本県西北部
ということになります。
熊本県西北部中心である菊池郡に宗方八幡宮があります。

菊池郡といえば、魏志倭人伝に出てくる狗奴国の官「狗古智卑狗(クコチヒコ)」との関連を想起させます。

”その(邪馬台国の)南には狗奴国がある。男を王としている。その官には、狗古智卑狗(クコチヒコ)がおり、女王には属していない。”

”倭の女王卑弥呼は、狗奴国の男王卑弥弓呼(ヒメクコ)と以前から仲が悪かったので、倭の載斯(ソシ)・鳥超(ウオ)らを帯方郡に遣わし、お互いに攻めあっている様子をのべさせた。”(「倭国伝」(藤堂明保他訳)より)

狗奴(くなorこぬ)国がどこにあったのかは諸説ありますが、菊池郡にあったという説が多いようです。

菊池川流域は、チブサン古墳はじめ装飾古墳が117基と、国内一の密度を誇ります。装飾古墳は九州に多く分布しますが、熊本県から福岡県筑後川流域にかけてが中心地です。宗像地方にもありますが、数は圧倒的に少ないです。

九州の装飾古墳分布 
装飾古墳は筑紫君を中心とした勢力範囲内で築造された、と考えられます。

”『釈日本紀』巻9所引筑後国風土記逸文には岩戸山古墳後円部背後東北隅の方形区画と合致する別区の様子が描かれており、衙頭=政所での政務として解部なる役職の存在、偸盗に対する裁判が知られ、石馬・石殿・石蔵の描写は磐井の居館と倉庫や軍事力を支える馬のあり方を示している。その他、当該地域に特有な石人・石馬装飾古墳の分布圏、乱後の屯倉設置場所などにも磐井の勢威やその勢力範囲を読み取ることができ、磐井はなお独自の地域支配を行う首長であったと思われる。
(「交流史から見た沖ノ島祭祀」(森公章)、 宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告Ⅲ、平成25年「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議」より)


ここで磐井とは筑紫君磐井です。いわゆる磐井の乱で殺害されたとされます。
磐井の乱とは、
”527年(継体21年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫君磐井(『日本書紀』は筑紫国造だったとする)がはばみ、翌528年(継体22年)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱。”(Wikipediaより)

下の図は、装飾古墳石人石馬、屯倉の位置を落としたものです。これらの大半が磐井の勢力範囲とすると、筑前・筑後・豊前・肥後を、支配下に置いていたことになります。

となると、佐賀県~筑後地方~肥後(熊本県)西北部のルートも、少なくとも筑後~肥後については筑紫君が押さえていた可能性があります。筑紫君と阿曇海人族は、同系列とされてます。となると、このルート(少なくとも筑後~肥後)は、阿曇海人族が支配していた可能性があります。

磐井勢力図 

 


次に、古代の記録から対比してます。

”前報で紹介したように、古代筑後地方に宗像神を祭る神社が多く存在したことが記録に残る。天慶(てんぎょう)七年(944)成立の『筑後国神名帳』に、筑後7郡のうち御原・御井・三瀦・上妻の4郡に宗形の名を 冠した神社が計8社も見える(図14参照)。そしてそこには、宗形神以外の海神が全く記されていない。宗形神の起源が古代以前に遡り、他の海神はこの頃殆ど祭られていなかったことが分かる。
ところが、『平成データ』には、現在筑後地方にムナカタの名を冠する神社は全く登録されていない。上記4郡には現在宗像神を祭る神社が12社あるが、上記の8社とは必ずしも対応しない。たとえば 『筑後国神名帳』では御原郡に宗形神、宗形若草神、宗形御弁天社の3社が記されるが、『平成データ』には宗像神を祭る神社が全くない。海神としては住吉神のみ7社登録されているので、あるいは祭神が交替したのであろうか。
現在この4郡には、合計で志賀神が52社、住吉神が65社、玉依姫が6社も祭られ、それらの多くはそれぞれの神を表す社名を持つ。少なくとも筑後国については、国内神名帳が編まれた時期以降に大幅な信仰世界の変化が起こったようである。”

【解説】
ここで興味深いデータが挙げられてます。10世紀頃、筑後4郡にあったはずの宗形の名を冠した神社8社が現在は無い、というのです。そして逆に、志賀神・住吉神・玉依姫が多く祭られてます。
ここから、10世紀以降に信仰の変化があったのではないか、と推測してます。
ここで注目は、志賀神・住吉神・玉依姫は、阿曇海人族系であることです。つまり、
宗形海人族→阿曇海人族
への、信仰の変化があったことになります。

”この古層の宗像神信仰は、前報で指摘したようにイチキシマ信仰であったと思われる。これは イチキシマのみを祭る神社が有明海を挟んで筑後と相対する杵島郡に14社(かつて18社)と多く、 また大分県大野郡のような山間部でも18社(かつて28社)に祭られていることからも支持される。
このように考えると、本来宗像神(イチキシマ)の分布には図5のような大きな空白域はなくて、沿海地方や内陸水運(一部陸行を含む)の盛んだった地域に洩れなく祭られていたに違いないのである。その中に独自の神信仰を持つ人々が入り込み、伊都国や奴国のような「クニ」の連合を作り結果として宗像神を祭る人々が排除されたものと思われる。そしてこれらの国々は専用交易路を構築したので、これに 参加する海人をも専属化したのではないか。そしてその祭る神の名も、対馬や壱岐の交易の重要中継地で祭られている玉依姫などに変えられたのであろう。対馬や壱岐でもそれら諸国の交易に参加していなかった地域では、海人が引き続き宗像神を祭り、相互に干渉がないように交易を続けていた。これが 図13・14に見るような宗像神を祭る神社の配置として残ったと思われる。”

【解説】
ここでこの古層の宗像信仰は、ここまでお話したように、イチキシマ信仰と推定されます。そこに独自の信仰を持つ人々が入り込み、伊都国・奴国そして邪馬台国を形成したことにより、宗像神を祭る人々が、東と西に分断された、ということになります。
ここでいう独自の信仰を持つ人々とは、大陸・朝鮮半島からやってきた渡来系弥生人ということでしょう。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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