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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(10)~宗像神信仰中心地域の検討(周防灘沿岸部)

次は宗像~遠賀川地域と並んで宗像神が多く分布する周防灘沿岸域です。

”この地域の特徴は、宇佐神宮の影響で宗像神が八幡系神社に多く祭られていることである。現在の宇佐神宮と同様三女神を祭る場合が多いが、Aで示した小倉南区の古社旧県社の蒲生八幡宮は、宗像神としてタギツのみを祭る。このことは、江戸時代の『豊前国志』や「蒲生社来由略記」でも同様で、 この神社に八幡神が勧請される以前から女神が祭られていたとも記されている。Bで記した豊後高田市の二宮八幡社は、その名にもかかわらず八幡神(応神天皇)がなく、タギツのみが祭られている。これらから、八幡神が普及する以前にこの地域には姫神信仰が広まっていて、その神はタギツと考えられていた時期があったことを示唆する。宇佐神宮では八幡神以前に女神が祭られていたことは宇佐神宮発行の『宇佐神宮由緒記』にも書かれており、このことは定説になっているようである。”

【解説】
この地域には、信仰の中心ともいえる宇佐神宮があります。
宇佐神宮の祭神は
一之御殿:八幡大神 (はちまんおおかみ) - 誉田別尊(応神天皇)とする
二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ) - 宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)とする
三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう) 別名息長足姫命
(Wikipediaより)
です。
このように、この地域は八幡信仰が強いことから、宗像神も八幡神社に多く祭られるようになったと考えられます。

豊国宗像神分布  


もうひとつ注目は、比売大神(ひめのおおかみ)です。比売大神は、謎の女神です。

”神社の祭神を示すときに、主祭神と並んで比売神(比売大神)、比咩神、姫大神などと書かれる。これは特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すものである。
最も有名な比売神は、八幡社の比売大神である。総本宮である宇佐神宮(大分県宇佐市)や宇佐から勧請した石清水八幡宮(京都府八幡市)などでは、宗像三女神を祭神として祀る。
しかし、八幡社の比売大神の正体については諸説があり地域によっても異なる。 比売大神は宇佐神宮南方に位置する御許山に降臨したとされるが、大分県杵築市の奈多宮では、沖合に浮かぶ市杵島(または厳島)と呼ばれる岩礁に比売大神が降臨したと伝えられる。
春日大社に祀られる比売神は天児屋命(あめのこやねのみこと)の妻の天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)である。大日孁貴尊(アマテラス)を比売神としている神社もある。 ”(Wikipediaより)

【解説】
比売大神を、卑弥呼とする説もあります。矢田氏は、八幡信仰が広まる前に、この地域にもともと姫神信仰があり、それはタギツだ、と推測してます。
ちなみに上記中の天児屋(アマノコヤネ)命とは、
”古事記には岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際邇邇芸命に随伴し、中臣連の祖となったとある。”(Wikipediaより)
のように、中臣(藤原)氏の祖とされてます。
藤原氏の出自は謎とされてますが、このあたりに何がしかのヒントがあるかもしれませんね。

”一方図中にCで示した中津市の古社闇無浜(くらなしはま)神社には、宗像三女神のタギツの代わりにセオリツが 入っている。同様の例は滋賀県野洲市(旧中主町)の長澤神社、大阪府千早赤坂村の建水分(たけみくまり)神社、鹿児島県出水市の厳島神社(この神社は『平成データ』にはないが鹿児島県神社庁に登録されている)などにあって、いずれも比較的辺地にあることから、かつてタギツがセオリツの名で祭られていたという推測を補強する。記紀神話以来タギツが宗像神として定着した後でも、辺地ではかつてのセオリツの名が 残っている所があったと解釈できる。
図中Dで示した杵築市(旧大田村)の歳神社は三女神のタギツの 代わりに「織津姫」という神を祭るが、これが瀬織津姫の脱字によるものとすると、これと同様のケースである。上記闇無浜神社は豊の国の古名を持つ神「豊日別」を祭る由緒の古い神社なので、神名変更に 従わなかったとも考えられる。このセオリツ→タギツの祭られかたは、ムナカタのセオリツ神が三女神成立の一つの要素であり、その女神が豊の国起源である可能性を示唆する。”


【解説】

タギツはかつての瀬織津(セオリツ)姫だった、そしてその起源は豊の国である、という推測です。
豊日別(とよひわけ)とは、
”国産みの段で、イザナギ・イザナミが産んだ大八島国の一つである筑紫島(九州)は、体は一つで顔が四つあるとし、そのうちの2番目の顔の名前が豊日別であると記されている。 神名の豊は豊国(豊前・豊後)の意で、豊国自体を神とみたもの、すなわち国魂である。 ”(Wikipediaより)
とあり、かなり古い歴史を感じさせます。

イチキシマのみを祭る神社は宇佐以東に多い。特に国東半島沿岸の港附近に多く、対岸の伊予地方への出発地に祭られた神であることを推測させる。別府市から大分市にかけてもこの傾向が続く。

【解説】
イチキシマが国東半島沿岸の港付近に多い、というのは興味深いですね。対岸にある四国の愛媛県伊予地方とは海を通じての交流があったでしょうから、その出発地に祭られた神という推測も、納得感があります。

伊予といえば、国生み神話で出てきます。古事記によれば、イザナギとイザナミが交わって、生まれたのが大八島(おおやしま)です。大八島の初めが「淡道之穂之狭別島(=淡路島)」で、次が「伊予之二名島(四国)」、4番目が「筑紫島(九州)」です。
このように「伊予」は「筑紫島」とともに神話のはじめに出てきますから、遠い神話の時代から交流があったと考えられます。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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