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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(12)~女性祭祀の伝統

前回の話を受けて論文では、
”福岡県芦屋町の山鹿貝塚から出土する土器は、前記の轟B式に始まり、曽畑式、中期の式船元式、阿高式
などから、後期の中津式鐘崎式など、さらに弥生時代直前の晩期後半に至るまで、約3000年に亘って続いている。この場所が、縄文海人族にとっていかに重要であったかがわかる。”
として、福岡県芦屋町一帯が、縄文海人族にとって非常に重要な地域であった、としてます。

ここで福岡県芦屋町一帯とは、遠賀川河口域を示してます。弥生時代に東日本まで広く伝播した「遠賀川式土器」「遠賀川系土器」の「遠賀川」です。

”なかでも注目されるのが、後期の層(約3500年前)から出土した18体の人骨とそれに伴う出土品である。このうち数体の女性は豊富な装身具を伴っていた。とくに、ほとんど同時に埋葬されたと思われる2体の成人女性は、それぞれ19個および26個の貝輪を腕にはめていた。山鹿貝塚では全7体の女性人骨が多数の貝輪を着けていた。これに対して男性の人骨は、ほとんど装身具を伴っていなかった。これはこの時期の東日本とは大きく異なる。東日本での縄文人では装身具を着けていたのが ほとんど男性に限られていたのに対し、西日本では女性がつける比率が高かった。南九州から北上した縄文人は、もともと女性を尊ぶ風習を持っていたらしい。

【解説】
女性装身具、特に貝の腕輪に注目です。縄文時代、西日本では女性がつける比率が高く、東日本と対照的なのが、興味深いところです。

論文では、貝輪出土地として、下記も挙げてます。
榎坂貝塚(岡垣町の矢矧やはぎ川流域の糠塚)
鐘崎(上穴こうじょう)貝塚
轟貝塚
阿高貝塚
貝の腕輪を着けた女性の骨が出土している。女性が貝輪を着ける慣習が中・南九州から来たもので、土器の北上に伴っていたことが 推測される。)

九州貝塚分布 
 

”岡山県の船元貝塚でも出土している。山鹿貝塚から船元式土器が出土していることからわかるように、縄文時代中期以降北部九州では瀬戸内地方との交流を示す遺物が多くなっている。沖ノ島でも中期には瀬戸内地方など宗像以東の土器が多く、船元式土器も多数出土している。前期以来の海人による交流の伝統が縄文時代中期以降も受け継がれていたことを示す。”

以上を踏まえ、矢田氏は以下のように推測してます。

宗像海人族が女神を祭ることの起源は、このような縄文海人族の伝統を受け継いだものではないか。 神に仕え、神の託宣を受けた古代の巫覡(ふげき)(かんなぎ)は、卑弥呼の例のように、女性であることが多い。日本神話の最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)も、書記本文ではまず大日孁貴(おおひるめのむち)と書かれているように、元々は位の高い巫女(みこ)と考えられていたらしい。
時代は下るが、現在でも台湾や中国沿海部を中心に信仰を集める漁業・ 航海の守護神媽祖(まそ)は、宋代に実在した官吏の娘であったが、海洋気象や海難事故を予測する能力を身に つけ、多くの人を海難事故から救ったという。
山鹿貝塚に葬られていた貝輪をつけた女性も、おそらくこのような巫女であったであろう。前記春成の著書によると、このような貝輪は幼いときにつけたものらしく、ふつう取り外しができなかったと考えられる。したがって労働もできず、少女の頃から特別な存在として育てられていた。そのような巫女で 特に予知能力の優れたものは、やがて神と崇められるに至ったであろう。
任東権によると、韓国東海岸の漁村に祭られている海神は、ほとんど女神であるという(一方西海岸では男性の海神を祭る)。このような信仰の習俗の分布も、図19の漁具の分布と符合している。海神としての女神信仰は、このような縄文時代以来の日韓古代海人族の共通習俗を母体としていると思われる。”

【解説】
さてこうしたことから、矢田氏は、宗像海人族が女神を祭る起源を、縄文海人族に求めてます。古代日本においては、卑弥呼やその宗女壹與(いよ、通説ではとよ)からもわかるとおり、女性祭祀者が絶対的な力をもっていました。この伝統はさらに古く、縄文時代に遡ると推測してます。
注目すべきは、現在の台湾・中国沿岸部にも同様の信仰がある、ということです。となると、そうした地域とは古来から交流があり、共通の文化圏にある、ともいえます。

”女性の巫女は、最近まで南島(琉球列島)で健在であった。南島では、祖霊の祭りをノロ・ヌルまたはユタと呼ばれる巫女が執り行ってきた。沖縄ではピラミッド形の巫女の組織があり、最上位の巫女は聞得大君(きこえおおきみ)と呼ばれ、斎場(せーふぁ)御嶽(うたき)で行われるその即位式は、御新下(うあらう)りと呼ばれ国王の即位式をしのぐ重要な式典であったという。各所にある御嶽(うたき)は、もともと男子禁制であった。
現在でも奄美大島などで農耕儀礼として行われている女性による平瀬マンカイという儀式は、本来 巫女による海上の安全を祈るものであったであろう。このような南島の信仰文化は、縄文以来の古代 海人族の習俗を残していると言えよう。”


【解説】
さらに同じ風習が、沖縄にまであることを指摘してます。実はこの夏、斎場(せーふぁ)御嶽(うたき)を訪れました。パワースポットとしても人気とのことで、多くの見学者でにぎわってました。何か神々しさを感じる場所です。磐座信仰であり、はるか遠い昔から受け継がれているように感じました。縄文海人族の原初的な信仰のようにも見受けられます。
近くには、23000年前という世界最古の釣り針が発見されたサキタリ洞遺跡があります。そこに暮らした人々の末裔が信仰したのかもしれませんね。

斉場御嶽 

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テーマ : 歴史
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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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