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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(13)~倭人の活動領域との関係

前回お話したことから、海人族の活動範囲として、九州~沖縄~中国沿岸~台湾というエリアが想定されます。

ところで、前にこのブログならびに著書において、倭人の活動範囲を推定しました。
これは、
・古代中国殷周の時代(紀元前17世紀~同8世紀頃)に、台湾・沖縄周辺からキイロタカラ貝を黄河流域まで運ぶルートがあったこと。
の時代に倭人がやってきて、暢草(ちょうそう)を献じたという記録があり(論衡)、暢草の原産地が中国南部の鬱林郡と考えられること。
から、推定したものです。
詳細は
日本人は、どこからやってきたのか?(20) ~ 古代「貝の道」があった!
日本人は、どこからやってきたのか?(21) ~ 「倭人」は東アジアの交易を担っていた!? 
を参照ください。

この範囲と、上の海人族の
九州~沖縄~中国沿岸~台湾
という活動範囲が、ほぼ重なっていることに注目です。
時代は異なるものの、ほぼ同様の活動範囲と推定されるということは、海人族は縄文の時代から東アジアの海域で脈々と活動してきたことを、推測させます。




倭人活動領域



さて、論文ではここまでの論考より、
”縄文海人族の伝統は、九州北部「の遠賀川河口域(旧遠賀郡)にあるようにみえる”
と述べてます。となると宗像神信仰の中心である旧宗像郡は、旧遠賀郡からはやや西にあり、縄文海人族の中心拠点ではない、といことになります。

この不整合について矢田氏は、かつては旧遠賀郡から宗像郡にまたがる「大ムナカタ」があったのではかいか?、という仮説を提起してます。

その論拠として、ムナカタとは、「胸の形」から来ているのではないか、と推測してます。
具体的には、
”湯川山(標高471 m)と孔大寺(こだいじ)寺山(標高499 m)の2山を斜め海上から、女性の胸の盛り上がりと見た地名ではないか。したがって、古代ムナカタの範囲は、湯川山と孔大寺山の西側のかつての宗像郡だけではなく、この2山を同様に仰ぎ見る東側をも含んでいたのではないか。少なくとも遠賀郡の西部、遠賀川河口付近までが、その範囲に入るのは当然である。”
と推測してます。

面白い推測ですが、はたしてこれが当たっているのか、正直よくわかりません。もっと別の見方ができるのではないか、とも思えます。

それはいずれということにして、本論文(2)は今回で終わりです。、次回から論文(3)をみていきます。

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テーマ : 歴史
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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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