宗像三女神と沖ノ島祭祀の始まり(1)~世界遺産登録に残された課題
今回から矢田氏の論文「宗像神信仰」の第三弾です。題名は「宗像三女神と沖ノ島祭祀の始まり」です。
ご存じのとおり、”「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”は、2017年にユネスコの世界遺産に登録されました。
”福岡県の宗像市及び福津市内にある宗像三女神を祀る宗像大社信仰や、大宮司家宗像氏にまつわる史跡・文化財を対象とするものであり、自然崇拝を元とする固有の信仰・祭祀が4世紀以来現代まで継承されている点などが評価されている。”(Wikipediaより)
沖ノ島祭祀は、4世紀頃始まったされてますが、詳しいことはよくわかっていません。論文ではそこに切り込んでいきます。
”イコモスは沖ノ島とそれに付随する岩礁についてのみ「記載が適当」とし、資産名を「『神宿る島』沖ノ島」に変更するよう勧告した。イコモスは沖ノ島の世界遺産としての価値を、「独特の地形学的特徴をもち,膨大な数の奉献品が位置もそのままに遺存する祭祀遺跡が所在する沖ノ島総体によって、この島で行われた 500 年にもわたる 祭祀の在り方が如実に示されている」とする。
一方九州本土部の宗像大社辺津宮をはじめとする 4 資産については、「自然崇拝に基づく古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰に継続性が確認できない」とし、「なぜ、どう信仰が変容したのか、説明が不十分」と指摘した。
この勧告は図らずも、日本の神信仰についての一般的な認識の曖昧さと、学術的研究の不足を厳しく衝いた形となっている。”
【解説】
世界遺産登録されたのは、
a.沖ノ島(宗像大社沖津宮)
b.宗像大社中津宮(御嶽山祭祀遺跡を含む)
c.沖津宮遥拝所
d.宗像大社辺津宮
e.新原・奴山古墳群
f.新原・奴山古墳群を除く津屋崎古墳群
g.桜京古墳
h.東郷高塚古墳
の8資産です。
経緯としては、
・2016年5月
「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(Sacred Island of Okinoshima and Associated Sites in the Munakata Region) の名称で文化庁から正式推薦。
・2017年5月
国際記念物遺跡会議 (ICOMOS)は、
”沖ノ島および周辺の3岩礁のみに、古代祭祀に関する考古学的観点からの顕著な普遍的価値を認める一方、宗像大社の信仰上の価値などは日本国内レベルでの価値にとどまるとして、沖ノ島と3岩礁以外の構成資産の除外を条件に「登録」を勧告し、あわせて名称を「『神宿る島』沖ノ島」(Sacred Island of Okinoshima)とすることなども勧告した。”
この経緯について、マスコミ報道では、”国際記念物遺跡会議 (ICOMOS)が宗像大社信仰を理解していないからだ”、といった論調でした。ところがICOMOSの勧告によると、その理由は、
・自然崇拝に基づく古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰に、継続性は確認できない。
・なぜ、どう信仰が変容したのか、説明が不十分。
・女人禁制など沖ノ島の禁忌の由来は、17世紀までしか記録をさかのぼれない。
でした。
特に一番目の、”古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰に、継続性は確認できない。”との指摘は極めて重大です。
私たちは沖ノ島祭祀というと、何となく宗像大社と関連づけてしまいますが、客観(科学)的にみるとそこに”継続性は確認できない”というのです。
もっと踏み込んでいうと、沖ノ島祭祀は古代からの自然崇拝信仰であるのに対して、宗像大社信仰は後世のものであり、同じ系統の人々が行ったかどうかは確認できない、ということです。
論文でも
”この勧告は図らずも、日本の神信仰についての一般的な認識の曖昧さと、学術的研究の不足を厳しく衝いた形となっている。”
と述べてます。
ICOMOSの勧告に対して、政府は8件すべての逆転登録を目指すこととしました。世界遺産委員会の審議では賛否両論出ましたが、最終的に反対国が課題について共同研究の条件を付けて了承、逆転登録が認められました。(以上の経緯はWikipedia参照)
以上のとおり、世界登録遺産にめでたく登録わけですが、課題すなわちー自然崇拝に基づく古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰との間の継続性の確認他ーは依然として残されたままです。
論文ではこうした問題意識のもとに、沖ノ島祭祀の起源について究明していきます。
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ご存じのとおり、”「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”は、2017年にユネスコの世界遺産に登録されました。
”福岡県の宗像市及び福津市内にある宗像三女神を祀る宗像大社信仰や、大宮司家宗像氏にまつわる史跡・文化財を対象とするものであり、自然崇拝を元とする固有の信仰・祭祀が4世紀以来現代まで継承されている点などが評価されている。”(Wikipediaより)
沖ノ島祭祀は、4世紀頃始まったされてますが、詳しいことはよくわかっていません。論文ではそこに切り込んでいきます。
”イコモスは沖ノ島とそれに付随する岩礁についてのみ「記載が適当」とし、資産名を「『神宿る島』沖ノ島」に変更するよう勧告した。イコモスは沖ノ島の世界遺産としての価値を、「独特の地形学的特徴をもち,膨大な数の奉献品が位置もそのままに遺存する祭祀遺跡が所在する沖ノ島総体によって、この島で行われた 500 年にもわたる 祭祀の在り方が如実に示されている」とする。
一方九州本土部の宗像大社辺津宮をはじめとする 4 資産については、「自然崇拝に基づく古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰に継続性が確認できない」とし、「なぜ、どう信仰が変容したのか、説明が不十分」と指摘した。
この勧告は図らずも、日本の神信仰についての一般的な認識の曖昧さと、学術的研究の不足を厳しく衝いた形となっている。”
【解説】
世界遺産登録されたのは、
a.沖ノ島(宗像大社沖津宮)
b.宗像大社中津宮(御嶽山祭祀遺跡を含む)
c.沖津宮遥拝所
d.宗像大社辺津宮
e.新原・奴山古墳群
f.新原・奴山古墳群を除く津屋崎古墳群
g.桜京古墳
h.東郷高塚古墳
の8資産です。
経緯としては、
・2016年5月
「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(Sacred Island of Okinoshima and Associated Sites in the Munakata Region) の名称で文化庁から正式推薦。
・2017年5月
国際記念物遺跡会議 (ICOMOS)は、
”沖ノ島および周辺の3岩礁のみに、古代祭祀に関する考古学的観点からの顕著な普遍的価値を認める一方、宗像大社の信仰上の価値などは日本国内レベルでの価値にとどまるとして、沖ノ島と3岩礁以外の構成資産の除外を条件に「登録」を勧告し、あわせて名称を「『神宿る島』沖ノ島」(Sacred Island of Okinoshima)とすることなども勧告した。”
この経緯について、マスコミ報道では、”国際記念物遺跡会議 (ICOMOS)が宗像大社信仰を理解していないからだ”、といった論調でした。ところがICOMOSの勧告によると、その理由は、
・自然崇拝に基づく古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰に、継続性は確認できない。
・なぜ、どう信仰が変容したのか、説明が不十分。
・女人禁制など沖ノ島の禁忌の由来は、17世紀までしか記録をさかのぼれない。
でした。
特に一番目の、”古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰に、継続性は確認できない。”との指摘は極めて重大です。
私たちは沖ノ島祭祀というと、何となく宗像大社と関連づけてしまいますが、客観(科学)的にみるとそこに”継続性は確認できない”というのです。
もっと踏み込んでいうと、沖ノ島祭祀は古代からの自然崇拝信仰であるのに対して、宗像大社信仰は後世のものであり、同じ系統の人々が行ったかどうかは確認できない、ということです。
論文でも
”この勧告は図らずも、日本の神信仰についての一般的な認識の曖昧さと、学術的研究の不足を厳しく衝いた形となっている。”
と述べてます。
ICOMOSの勧告に対して、政府は8件すべての逆転登録を目指すこととしました。世界遺産委員会の審議では賛否両論出ましたが、最終的に反対国が課題について共同研究の条件を付けて了承、逆転登録が認められました。(以上の経緯はWikipedia参照)
以上のとおり、世界登録遺産にめでたく登録わけですが、課題すなわちー自然崇拝に基づく古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰との間の継続性の確認他ーは依然として残されたままです。
論文ではこうした問題意識のもとに、沖ノ島祭祀の起源について究明していきます。

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