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宗像三女神と沖ノ島祭祀の始まり(9)~タギツはセオリツ?

今回から、三女神の最後の一人「タギツ」です。タギツは謎が多い神です。では論文をみていきましょう。

”タギツを単独で祭る神社はタゴリよりさらに少なく、全国で69社に過ぎず、北部九州4県には4社しかなく、福岡県では小倉北区に1社あるだけでムナカタには全くない。
ところが、三女神のタギツの代わりに瀬織津(セオリツ)姫が入っている神社が、中津市の古社闇無浜(くらなしはま)神社など4社ある。”

ここから「タギツ=セオリツ」との推測が生まれます。

”セオリツは、記紀神話に出ないため一般にはポピュラーな神ではない。しかし神道の最も基本的な祝詞(のりと)の一つである「大祓詞(おおはらえのことば)」では、皇祖神に続いて登場するきわめて重要な神である。
大祓詞は、あらゆる罪を祓え流し人々に和解をもたらす趣旨で、いかにも日本的な祈りの言葉である。セオリツは、罪を祓え流す神々の最初に、「高山(たかやま)・低(ひき)山の末(すえ)より、さくなだりに落ちたぎつ速川(はやかわ)の瀬(せ)に座(ま)す瀬織津比咩という神」(武田祐吉の訓読による)と出る。
上の大祓詞の文言にあるように、セオリツは滝と関係が深いと思われる女神である。実際にセオリツは、滝または急流のある場所に祭られていることが多い。”

【解説】
大祓詞(おおはらえのことば)が出てきました。神社で神主さんが唱える祝詞(のりと)の一つです。大祓詞とは、
”元々は毎年6月と12月の末日に行われる大祓で、犯した罪(神道の観念による「罪」であり、犯罪とは意味合いが異なる)・穢れを祓うために唱えられた祝詞で、中臣氏が京の朱雀門で奏上していたことから中臣祓の称がある。6月と12月では異なる文言であったが、6月の方だけが残った。”
”その成立については賀茂真淵は天智・天武朝説を唱え、本居宣長は文武天皇朝説を唱えているが、いずれの説もその原典になる文章がそれ以前の時代には存在したとしている。”
”大祓詞は、内容から大きく前段と後段の2つに分けられる。前段は、大祓に参集した皇族・百官に対して「祝詞をよく聞け」という内容の文言から始まる。今日の神社本庁の大祓詞ではこの部分は省略されている。次に、葦原中国平定から天孫降臨し天孫が日本を治めることになるまでの日本神話の内容が語られる。そしてそのような国の国民が犯してしまう罪の内容を「天つ罪・国つ罪」として列挙し、そのような罪が出たときの罪の祓い方が述べられる。
後段では、そのような祓を行うと、罪・穢れがどのように消滅するかが語られる。罪・穢れが消滅する様を様々な喩えで表現した後、四柱の祓戸神によって消え去る様子が述べられる。“(Wikipediaより)

大祓詞の前段でさまざまな罪が語られますが、その消滅経路として、セオリツが最初に出てきます。その部分の訳です。
”このようにすべての罪をなくしてしまおうとして、今日こうして朝廷において大祓の儀式を行って、祓い清めて下さる罪(具体的には罪を付けた祓えの品物)を、高い山や低い山の頂から勢いよく落下してさか巻き流れる速い川の瀬においでになる瀬織津比咩せおりつひめという神様が、川から大海原へ持ち出してしまうであろう。”(國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館HPより)

このように、すべての罪を川から大海原へ持ち出してくれるという、たいへん有難い神様です。

”一方タギツにも、水が逆巻き流れるイメージがある。実際に「滝(瀧)津姫」という名の神を祭る神社が35社あるが、そのうち27社では三女神のうちのタギツの位置に入っている。タギツの別表記として間違いないと思われるので、前報ではこれらをタギツの表記の一つとしている。・・・このようにタギツとセオリツはきわめてイメージの近い神々である。
県ごとに見ると、タギツとセオリツは互いに排他的でほとんど混在しない。・・・以上のことから、タギツとセオリツが本来同神であり、いずれか一方が名を変えたのではないかという推測を生む。大祓詞は記紀より成立が古いと思われるので、記紀の最終編纂までの間にセオリツがタギツに変わった(あるいは変えられた)と考えることができる。”
”変更の時期は、大祓詞創始の669年以降で、日本書紀の編纂が終わった720年までの期間ということになるであろう。「ウケイ神話」も、最終的にはその期間内に形を整えたことになる。”

【解説】
タギツが三女神の一人に入っている神社が多くあること、排他的で混在してないことなどから、本来は同じ神だったところ、セオリツがタギツに変わった、と推測してます。
大祓詞の成立は669年とありますが、定かでありません。少なくとも7世紀以前、すなわち古事記・日本書記編纂の前と推測されてます。また中臣祓とも称されることから、中臣(藤原)氏が深く関係していることがわかります。
中臣(藤原)氏といえば、乙巳(いっし)の変が645年にありました。中大兄皇子(のちの天智天皇)、中臣(のちの藤原)鎌足が、当時の権力者、蘇我入鹿を暗殺した事件です。

<乙巳の変絵図>
乙巳の変
(談山神社所蔵『多武峰縁起絵巻』(奈良県桜井市))

この事件を機に、中臣鎌足らが権力奪取したわけです。このころ大祓詞が成立したとなると、大祓詞、古事記・日本書記に、中臣氏の思惑が何らか反映されたことは、想像に難くないですね。

これはいちおういいとしても、ではなぜ「セオリツ」→「タギツ」に変わったのか?、という謎は残ります。それはのちほどということにします。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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