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宗像三女神と沖ノ島祭祀の始まり(11)~祭祀の方向から見える沖ノ島の神

今回は視点を変えて、神社が祭る方向をみていきます。

田島の辺津宮(宗像大社)の中世までの社殿配置の概況です。「宗像千貫寫田島社頭古絵図」により、仏教関係施設を省略し神社社殿のみを概略トレースして示したものです。

<古絵図>

「田島社頭古絵図」 


<現在の宗像大社>
宗像大社境内図 

(宗像大社HPより)

”この図を見ると、第一宮の位置と向きは現在と変わらないが、第二宮と第三宮は全く異なる方向を向いていることが分かる。これはそれぞれの宮で、異なる対象を拝んでいるためと考えられる。この中で イチキシマを祭る第三宮は、まさに沖ノ島の方向を向いて祈る配置となっており、イチキシマが本来の沖ノ島の神というこれまでの検討結果を裏付けている。それでは他の二宮はなぜこのような向きに建てられていたのであろうか。”

【解説】
上の図をみると、宗像大社の三つの宮の向きは、中世と現在では同じでないことがわかります。具体的には、第一宮は同じですが、第二宮と第三宮はまったく異なってます。
中世では、第三宮は沖の島に向かって拝んでおり、第三宮はイチキシマを祭ってますから、イチキシマが本来の沖ノ島の神であることを裏付けている、といっているわけです。
では、他の宮はなぜこのような向きに建てられたのか?、という疑問に対して、矢田氏は以下のとおり、宗像地域全体の祭祀の分布から推測してます。

第一宮の祈る方向に最も合致するのは、タゴリとオオアナムチを祭る矢房神社である。出雲系の遺跡として紹介した東郷高塚古墳や田熊石畑遺跡、光岡長尾遺跡などもほぼこの方向にある。矢房神社は、東郷高塚古墳を向いて祈る配置となっているので、その被葬者を祭る神社ではないかと考えられる。前述のように、この古墳の被葬者は出雲系の胸肩君の首長のいずれかであった可能性がある。時期的には胸肩君の祖吾田片隅命(阿田賀田須命)の可能性が強い。出雲系のタゴリを主神としていた旧第一宮で、出雲系の胸肩君の祖の墓を向いて祈るのは十分考えられることである。上高宮古墳のある「宗像山」からは、東郷の辺りを望むことができる。かつては東郷高塚古墳も見えたはずである。ただし第一宮が沖ノ島の方向をも重視したことは、山野善郎が指摘するように、本殿が背面中央に扉を開く特異な構造になっていたことでも分かる。これは現在の本殿にも踏襲され、賽銭箱も置いてあった(平成の大造営後は撤去されている)。大社の神職も、本殿背面から中津宮を通して沖津宮まで三宮を一度に拝むことができると説明していた。これが田島での祭祀の、本来のあり方であろう。田島は東郷から沖ノ島へ向かう直線上にあるので、あるいは田島での祭祀がこの「信仰線」上で始められたとも考えることができる。


【解説】
第一宮の祈る方向に、矢房神社があります。矢房神社は、第一宮と同じくタゴリを祭ってます。この祈りの軸の反対側、つまり海側の延長線上に、沖の島があるわけです。
矢田氏は、東郷高塚古墳の被葬者を、阿田賀田須命と推測してます。しかしながら、東郷高塚古墳は、4世紀後半頃の築造とされてます。一方阿田賀田須命は、崇神天皇の頃の人ですから、3世紀頃の人と推測されます。時代が大きくずれますので、「?」でしょう。

「田島社頭古絵図」祈り方向 



 


”一方旧第二宮からの祈りの方向には、まず前述の大都加神社と、生家大塚古墳がある。しかしこれら出雲系の胸肩君の一族が残したと思われる古墳と神社と、タギツとの間に接点が見えてこない。なお新原奴山古墳群の中核部はこの線からやや外れるので、可能性はさらに薄いであろう。さらに延長すると、津屋崎の波折神社に到達する。この主祭神はセオリツであり、セオリツがタギツの元の名とすると、タギツの方向を示すことになる。津屋崎方面は田島からは望めないが、田島の西方の名児山などに昇れば見通すことができる。”

【解説】
旧第二宮、すなわち古絵図の第二宮の祈る方向ですが、波折神社に向かってます。この主祭神がセオリツであり、これは旧第二宮がセオリツを祭っていることと一致している、というわけです。なるほどそのとおりです。
こうした方角を使った解釈は、古代史においても他にも様々なされているところです。ただし心すべきことは、それらは慎重になされるべきということです。具体的には、それらが偶然の一致に過ぎないのか、あるいはこじつけになっていないか、という観点です。

今回の説についても、祈りの方向には大都加神社と生家大塚古墳があるのにもかかわらず、それらとの関係性は見出せません。それはなぜなのか?、という問題が残ります。祈りの方向はいくらでも遠くに延長できるわけで、そうなればその先には何がしかの神社や遺跡があるでしょう。そのなかで自分の説に合った神社・遺跡をピックアップして、説明することにもなりがちだからです。

なお私は、矢田氏の今回の解釈を否定しているわけではありません。あくまで短絡的に考えないようにすべきである、という自分自身への戒めも含めてということです。念のため・・・。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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