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宗像三女神と沖ノ島祭祀の始まり(13)~総合考察

ここまでの総合考察です。

”弥生時代のムナカタには朝鮮半島から直輸入された多種文物や葬制などが見られ、その東方への伝播にムナカタ海人族が大きな役割を果たしていたと考えられる。”
と述べたのちに、以下のように興味深い推測をしてます。

それらをもたらした渡来人の有力者が、ムナカタから東進して開いたのが出雲を中心とする日本海沿岸文化であった。『出雲国風土記』が描く出雲の国づくりのリーダのオオアナムチはムナカタの古社に 多く祭神として祭られているが、タゴリはその后神とされムナカタにおける出雲勢力を象徴する神であったと見られる。”

【解説】
渡来人ははじめにムナカタにやってきて、そこから東進して出雲に定着した、というのです。古事記・日本書記によると、スサノオノミコトは、直接出雲にやってきたとされており、オオナムチすなわち大国主命はその直系あるいは娘婿です。つまり矢田氏の推測と逆ということになります。

”弥生時代中期以降、朝鮮半島南部での生産が急増し、日本にも流入が始まる。その中継基地は、韓国南西部海岸にある周囲数㌔の小島勒島(ろくとう、ヌクト)であった(以下図8参照)。
その勒島で使われていた土器が、沖ノ島から数個出土し、ムナカタでも田熊石畑遺跡で出土している。勒島式土器は、交易の寄港地であった対馬、壱岐、糸島半島西部に多く出土するが、「奴国」があった博多湾沿岸には殆ど入らず、ムナカタ以東では山口県から鳥取県までの日本海沿岸に数多く出土する。このことから、朝鮮半島からの渡来人が出雲勢力の範囲内に多く定着したことが分かる。そしてその渡来ルートには、前報のムナカタルート1と2がいずれも使用されていたことが分かる。そしてこの頃の弥生土器が、勒島をはじめそれ以東の朝鮮半島沿海部の多くの遺跡で出土するので、これらルートは日本列島からの渡韓にも多く利用されていたことが分かる。
神話でオオアナムチとタゴリの間の子とされるアジスキは、鉄器にゆかりのある神のようである。この神が田熊石畑遺跡の面する八並川の谷にオオアナムチおよび妹神のシタテルと共に三カ所で祭られていることは、同遺跡で勒島式土器が出ていることとの繋がりを思わせる。アジスキは勒島式土器が 多く出た出雲の諸遺跡の近くの式内社阿須伎(あずき)神社の主祭神であり、タゴリーアジスキ信仰がこのころムナカタと出雲とで共有されたと考えることができよう。

【解説】
勒島式土器が対馬、壱岐、糸島西部、沖ノ島、ムナカタから山口、出雲と出土しており、交易がうかがえます。注目は間にある博多湾岸(通説「奴国」)にはほとんど入っていないことです。ムナカタ海人族とは別の勢力が支配していたからでしょう。ただし下の図で見る限り、ムナカタルート2は博多湾岸も含まれてます。このあたりをどのように解釈してるのか、正直よくわかりません。


<図8>
勒島式土器出土状況 

<ムナカタルート>
ムナカタルート 

”勒島の繁栄は弥生時代後期に入ると衰退し、交易の中心基地は壱岐の原の辻遺跡に取って代わられた。これを久住猛雄は「原の辻=三雲貿易」と呼ぶ。
これは糸島市の三雲や春日市の須玖で「王墓」が造られ、奴国が金印を受領した時代である。朝鮮半島にも三韓南部諸国が成立し、鉄生産と流通を掌握したと見られる。これ以降鉄製品の流入と鉄器生産が福岡平野に集中し、全国から鉄を求めて人が集まるようになる。
しかし一方で、山陰への鉄の流入は止まなかった。青谷上寺地の繁栄は続いていたし、その手前大山山麓の妻木晩田(むきばんだ)遺跡(図8参照)には、鉄器がふんだんに流入していた。この遺跡では福岡平野のような 高度な鉄器加工は行われておらず、鉄素材と鉄器は朝鮮半島から直接輸入されていたと見られている。鉄器の流入はさらに東進し、丹後半島のいくつかの遺跡で多量に発見されるようになる。
これらの弥生時代後期の山陰地方の鉄器出土状況は、「原の辻=三雲貿易」を管理する筑前西部の首長に干渉されない貿易ルートが存在していたことを示す。それは沖ノ島ルート1にほかならない。
前報で指摘したように、このルートでは、特に半島から列島への方向の渡海では、ムナカタを経由せず沖ノ島から直接山口県西岸に到達するバリエーションが可能で、この時期の山陰への鉄器の輸入にはそのルートが使われたのではないか。弥生時代後期にムナカタでそれほど顕著な遺跡が発見されていないことも、その推測を支持する。弥生終末期になると、「原の辻=三雲貿易」は「博多湾岸貿易」に移行し、鉄器などの博多湾岸への集中はさらに進む。一方で沖ノ島―出雲ルートの重要度はさらに 増したと考えられる。
ムナカタ本土を経由しないこのルートでの航海には、必ずしもムナカタの海人の協力を必要としない。宗像出身であっても、沖ノ島―出雲ルートに特化した海人が参加していたのではないか。そのような海人は、沖ノ島の神としてタゴリをも祭るようになったのではないか。

【解説】
「原の辻=三雲貿易」の時期について、通説「奴国」王が金印を拝受した前後、すなわち57年頃としてます。このころ鉄のルートを掌握し、鉄器生産が福岡平野に集中するようになった。その一方で鳥取県妻木晩田(むきばんだ)遺跡、丹後半島など日本海ルートが別にあったとして、それが沖ノ島ルート(ムナカタルート)1だった、と推測してます。
そしてその後「原の辻=三雲貿易」が「博多湾岸貿易」に移行したが、沖ノ島ー出雲ルートの重要度はさらに増した。このルートに特化した宗像海人族がいたのではないか、そのような海人が沖ノ島の神として、タゴリを祭るようになったのではないか、と推測してるわけです。

一読すると、なるほどという感じです。
しかしながらここで疑問が沸きます。

朝鮮半島から出雲地方に行くのに、わざわざ沖ノ島を経由する必要があったのか、という点です。

実際、久住氏論文の下図をみると、博多から直接出雲、丹後に行っているようにみえます。もちろん沖ノ島を経由してもいいのですが、あえて沖ノ島に一度寄港することが効率いいようには思えません。久住氏論文の内容は、
「纏向遺跡は邪馬台国か?(15)~比恵・那珂周辺遺跡群の果たした役割」
を参照ください。

沖ノ島に壱岐の原の辻のような機能があったのなら、原の辻遺跡なみの港湾や市場などの遺跡が残っているはずです。
”原の辻遺跡は、三重の濠を巡らせた大規模な環濠集落、祭祀建物跡、日本最古の船着き場の跡、魏志倭人伝に出てくる卑狗と卑奴母離などの役人の家や役所があったと想像される場所、墓地が見つかっており、遺跡全体の総面積は100ヘクタールにも及ぶ広大なものである。”(Wikipediaより)

沖ノ島には、今のところこのような遺跡は報告されてません。もちろん遺跡がこれから出てくる可能性はありますが、沖ノ島は海岸近くまで山が迫っており平地も少なく、原の辻遺跡の面積100haは、沖ノ島全体面積にもあたるのです。原の辻ほどの機能をもてたのか疑問がつきます。

では当時、沖ノ島では人々はどのような生活をしていたのでしょうか?
”当時の暮らしを想像すると、沖ノ島周辺は大変良好な漁場で、漁を糧(かて)としている朝鮮半島の金海市周辺の人々と宗像の人々が一緒に操業し、仲良く沖ノ島でベースキャンプを張っていたのではないでしょうか。昭和の発掘調査で発見された土器は、そのときのものではないかと考えることもできます。
現在、沖ノ島では、大島の人がベースキャンプを張ってサワラ漁などをしています。”(「遺産登録事情27」<海人たちの軌跡(弥生時代の沖ノ島)、宗像市HP,2008年)

これを読む限り、素朴な漁村の光景です。とても魏志倭人伝が描く壱岐の原の辻のような、賑わいのある港湾都市ではないですね。

ただし対馬~出雲ルートの交易には海人族の協力が必要だったでしょうから、ムナカタの海人族が関与していたことは、十分に考えられます。


博多湾貿易 

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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