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宗像と宇佐の女神(1)~宇佐神と大和朝廷

今回から矢田浩氏の論文の第四弾です。まず本論文の目的です。

タギツはムナカタとの直接の接点が見えない。その祭られ方や祭神分布から、記紀に見えないが朝廷の重要神であった瀬織津姫(以下セオリツ)と同神の可能性が示唆された。この神はムナカタでも重要な位置にある4社に祭られてきた。そして宇佐の周辺には、三女神のタギツがセオリツに置き換わった古社もある。この神の素性を探ることが、沖ノ島祭祀と宇佐降臨神話のある三女神誕生の謎を解くカギになると考えられた。本報はその解明を目的とする。”


【解説】
宗像三女神の一人であるタギツはムナカタと接点がみえない、という話です。残りの二女神であるイチキシマ、タゴリがムナカタと強い関係があるのに対して、対照的で謎でもあるわけです。
このタギツの素性を探れば、沖ノ島祭祀と三女神誕生の謎を解くカギとあるのではないか、という提起です。

宇佐神は、大和朝廷にとって特別な神であった。図1に示すように宇佐の八幡大神と比咩神は、天平(てんぴょう)勝宝(しょうほう)元年(749)人間なら親王の位に当たる品位(ほんい)を授けられている。以下神階に関する典拠は主として岡田莊司らのデータベースによる。”

宇佐神宮神階

”中でも両神が受けた一品は、皇太子の受ける位である。神に品位が授けられるのはきわめて珍しく、他に備中の吉備津彦命社と淡路島の伊左奈伎神社の例があるが、いずれも 9 世紀であり、宇佐神の授位は他の諸名社に先立つ 8 世紀半ばのことである。図 1 に畿内の名社代表として京都の賀茂上下 2 社を示したが、一般神社が最高位の正一位に到達したのは 9 世紀に入ってからである。”

【解説】
いきなり宇佐神宮が出てきましたが、宗像三女神が降臨したのが宇佐嶋であることから、宇佐神宮について分析すれば手掛かりが得られるのではないか、ということです。
その宇佐神宮の八幡大神と比咩(ひめ)神は、なんと皇太子の受ける位である一品を授かってます。破格の待遇ですね。
ここで宇佐神宮の祭神は
一之御殿:八幡大神
二之御殿:比売大神
三之御殿:神功皇后

です。

”宇佐神にこのような厚遇が与えられたのは、聖武天皇発願の大仏造立を援助したためである。天平17 年(747)朝廷は八幡神に遣使して大仏造立成就を祈願させた。八幡神はこれに答えて、「天神地祇を率を率(そっ)し誘(いざない)て」(『続日本紀』)それを助けると託宣した。さらに完成間近い大仏の尊顔を拝すべく神輿に乗って上京した。上記の品位はこのときに受けたものである。なお『延喜式神名帳』では、宇佐郡の神として八幡大菩薩宇佐宮神社・比賣神社(初出の『続日本紀』では比咩神)・大帯姫廟神社の 3 社が挙げられている。大帯姫廟(大帯姫は神功皇后の名の一つ)が神階を受けていないのは、宇佐神宮本殿に祭られたのが八幡神の上京以降の弘仁 14 年(823)であるからである。”

【解説】
ではなぜ宇佐神にこのような特別待遇がされたのでしょうか?。矢田氏はそれを大仏建立を援助したためとしてます。ひとつ興味深いのは、神功皇后を祭ったのが823年と、かなり新しい時代であることです。神功皇后信仰自体、新しいのではないかという推測が生まれます。

”このような八幡神の朝廷との縁の始まりは、養老 4 年(720)の隼人征伐である。それより前南九州の隼人は大和朝廷に貢献するなど良好な関係を保っていたが、班田収受の強制に不満が高まり大隅国国司を殺すに到った。このとき八幡神は征討軍の先頭に立ったと伝えられる。九州での律令制先進地豊前から、多くの民を隼人の地に移住させていたためであろう。
このあと天平 9 年(737)に新羅の無礼を告げるため伊勢神宮他に遣使したときも、宗像を差し置いて住吉・香椎とともに筑紫の三社に入っている。そして同 12 年(740)藤原広嗣の乱が起きたとき、朝廷は征討に当たった大将軍大野東人にまず八幡神に祈らせている。国家有事の際の護国神との位置づけが確立していたのである。上記託宣に示されている自負は、このような背景から理解できる。


【解説】
八幡神と朝廷との縁は隼人征伐から始まった、としてます。そこからやがて護国神との位置付けが確立したわけです。
なお宇佐神宮については、「道鏡事件」が有名です。

"道鏡(どうきょう)が天皇位を得ようとして阻止された事件。766年称徳(しょうとく)天皇の寵(ちょう)を得ていた道鏡は法王に任ぜられ,天皇に準じる高位に昇った。769年豊前国宇佐八幡宮(現大分県宇佐市の宇佐神宮)の八幡神が,道鏡を天皇にすれば天下が太平になるとの神託を称徳天皇に奏上(そうじょう)した。天皇は夢で八幡神から宇佐に尼法均(ほうきん)(和気広虫(わけのひろむし))を派遣せよと求められ,代わりにその弟和気清麻呂(きよまろ)を派遣。清麻呂が神託を請うと,道鏡不適格の託宣(たくせん)を得た。清麻呂はこれを天皇に奏上したため大隅国へ流されたが,天皇も道鏡を天皇の位につけるのを断念し,天皇の死後に道鏡は失脚した(百科事典マイペディア)

八幡神が皇位継承にまで力をおよぼしていたことを示す事件です。

さてここで疑問が浮かびます。
ヤマトからみて遠い宇佐の地にある宇佐神宮が、なぜここまでの力を持ちえたのか?

論文では、聖武天皇発願の大仏造立を援助したため、あるいは隼人征伐の先頭に立ったから、としてますが、それだけでこれほどの厚遇を得られるでしょうか?

もちろん大仏造立の援助ということは、資金的な援助をしたということでしょうし、隼人征伐も大きな功績であることは間違いありません。しかしそれにしても・・・、という疑問は拭えません。この疑問に答えるためには、宇佐神宮の成り立ちを見ていく必要がありそうです。それは次回にいたしましょう。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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