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宗像と宇佐の女神(2)~八幡神信仰の沿革

前回、古代に宇佐神宮が厚遇を受けた理由を知るために、その成り立ちを知る必要がある、という話でした。宇佐神宮に祭られる八幡神の成立について論文からです。

八幡神信仰の成立は、それほど古くは遡らない。天平12年(740)の上記記事が、六国史に現れる最初である。中野幡能によると]、同社については平安時代の17種の縁起が伝わっているという。それらに示される最古の年代は6世紀中頃の欽明天皇の時代で、要約すると応神天皇の神霊として八幡大御神が宇佐郡内に現れ、郡内各地を移り歩いた後最終的に現在の亀山に鎮座したというものである。”

【解説】
八幡神信仰は、思ったほど古くはありません。そして宇佐神宮については、
”社伝等によれば、欽明天皇32年(571年?)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると三才童児となり、「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂(註:応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があったとある。宇佐神宮をはじめとする八幡宮の大部分が応神天皇(誉田天皇)を祭神とするのはそのためと考えられる。 ”(『扶桑略記』(『東大寺要録』、『宮寺禄事抄』、Wikipediaより)
とあり、6世紀半ば過ぎです。こちらもさほど古くありません。

ただし以上はあくまで八幡信仰であって、比咩神信仰ではありません。実は、宇佐神宮の成り立ちは、もっと複雑なようです。

”しかし比咩神信仰の起源は、より古いと考えられている。中野幡能は、原始八幡信仰が地元の豪族宇佐氏の女神信仰に始まり、北部九州から南下してきた渡来系の辛島氏(辛=加羅)がそれを引き継いだと考えている。そこに6世紀大神比義(おおがのひぎ)と称する人物が現れ、応神天皇信仰を持ち込んだ。比義の素性ははっきりしないが、大和の大神(おおみわ)氏の出と考える人が多い。”

【解説】
地元豪族宇佐氏によって始められた比咩(ひめ)神信仰が、渡来系の辛島氏に引き継がれ、さらに大神氏により応神天皇信仰がもちこまれ、習合したというわけです。

ここでまず宇佐氏に注目です。古事記・日本書紀に菟狭津彦(うさつひこ)が出てきます。

宇佐国造(くにのみやつこ)の祖。神武天皇が東征し菟狭(大分県宇佐市)にきたとき,菟狭津媛(ひめ)とともに駅館(やっかん)川の上流に一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)をつくり天皇をもてなしたという。”(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
つまり少なくとも神武東征の時点、私の推測では紀元前1世紀ころには、この一帯にいた豪族だったわけです。

もうひとつの注目が、辛島氏です。この辛(から)は「韓(から)」ともいわれてます。当時の朝鮮半島南部は、三韓時代で、馬韓・辰韓・弁韓の三国が覇を競ってました。そのうちの辰韓(紀元前2世紀-紀元後356年)秦韓とも書かれて、のちの新羅に重なります。

<三韓時代勢力図>
三韓時代地図 
(Wikipediaより)

辰韓の人々が日本にやってきて、秦氏を名乗った
といわれてます。
カンのいい方は、ここでピンときたでしょう。そうです、ここで「秦(はた)」が出てきますね。
「秦(はた)」→八幡の「幡(はた)」
です。

その秦氏が、宇佐の地に八幡信仰を広めたのですが、大神氏が応神天皇信仰をもちこみ、
八幡神=応神天皇
となったというわけです。

なおこの流れは説により若干の違いがあります。

宇佐神宮の研究では、田村圓澄氏(九州大学名誉教授)、中野幡脳氏(大分県立芸術短期大学名誉教授)などが知られてますが、それらをうまくまとめたブログがありますので、参照させていただきます。

八幡神の謎②~もとは「香春岳」に渡来してきた神?
八幡神の謎③~三つの氏族の習合神だった
~神旅 仏旅 むすび旅
からです。

①もともとの宇佐氏の信仰は、宇佐氏によって遥拝されていた聖なる山馬城峰(現御許山)の巨石磐座の原始信仰であった。

②4世紀末期に秦氏が渡来し、秦氏系の辛島氏が豊前国に勢力を張った。
・渡来人は、香春岳の銅に着目して採銅鋳造の技術を活用した。
・702年豊前国の戸籍によると、氏の総人口に対する某勝 秦部姓の比率は93%以上。
香春神社 
 <祭神> 
  辛国息長大姫大目命
・・息長大姫は神功皇后、
  忍骨命・・新羅の御子神
  豊比売命・・秦氏の主神の一つ。秦氏の八幡信仰は母子神信仰だという。
        そしてその「御子神」は「太子」と呼ばれる。


③辛島氏が宇佐郡の駅館川左岸に到達し定着し「宇佐郡辛国」の成立。5世紀末頃。

④大和系の大神氏応神信仰を報じて、大和から馬城峰に天下る。

⑤秦氏系の辛島氏と大和系の大神氏の争いが勃発する。

⑥二系統の神が統合され「八幡神」が誕生する。
です。

おおかた同じなのですが、比咩(比売)神信仰は秦氏がもちこんだとしてる点が異なります。
また秦氏が香春岳の銅の採掘をしていた点も注目です。東大寺の大仏造立の際、大量に銅を供与したといわれます。大和朝廷から厚遇された理由が、ここにもあります。

秦氏はその後、東へ進出します。
”日本へ渡ると初め豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していった。大和国のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、摂津国豊嶋郡など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)説話のある地域は秦氏の居住地域と一致するという平野邦雄の指摘もある。難波津の西成・東成郡には秦氏、三宅氏、吉氏など新羅系の渡来人が多く住み、百済郡には百済系の渡来人が住んだ。”(Wikipediaより)

そして有名な 秦河勝がいます。
聖徳太子に仕え、太秦(うずまさ)蜂岡寺(広隆寺)を創建したことで知られる。村上天皇の日記には「大内裏は秦河勝の宅地跡に建っている」と記されており、平安京への遷都や造成に深く関わっていたことが記紀の記述からも読み取れる。”(Wikipediaより)

【解説】
秦河勝(はたのかわかつ)が政権に深く食い込んでいたことがうかがえます。それは土木・養蚕・機織などの技術をもっていたこともさることながら、銅の採掘により巨万の富を蓄えていたからでしょう。
ただしその秦氏も、当初宇佐の地に入るのは容易ではなかったようです。

”記紀の神功皇后説話では、応神天皇は妊娠中の神功が「三韓征伐」に渡海し、帰国後糟屋郡宇美町で生んだ子とされる。神功説話は記紀に詳述されているばかりではなく、古代の各地風土記やその逸文にも数多く登場することで分かるように、古代日本に広く浸透していた。その子の応神が九州生まれとされることから、応神信仰を持ち込むことにより大陸への玄関口九州の有力神となることで朝廷へのアピールを狙ったのであろう。あたかも欽明の時代には、新羅とのトラブルが頻発していた。
しかし八幡神を宇佐に定着させることは、それほど容易ではなかった。伝承によると、八幡神が現在宇佐神宮の鎮座する南宇佐の小倉山に落ち着くまで、豊前各地を点々とした。八幡神の受け入れにかなりの抵抗があったことを示す。天平勝宝元年(749)から行われていたという行幸会(近世に廃絶)という大規模な神事では、八幡神の神輿は中津市の薦(こも)神社(大貞八幡宮)を出発し、宇佐郡内に入ってから8社の宇佐神宮摂社を廻ったのち本宮に入る。これは八幡神が小倉山に入るまでの遍歴の反映と思われる。”

【解説】
宇佐に定着する前に、中津市の薦(こも)神社(大貞八幡宮)にあったことがわかります。
実は宇佐神宮には本宮がありました。

”宇佐神宮の託宣集である『八幡宇佐宮託宣集』には、筥崎宮の神託を引いて、「我か宇佐宮より穂浪大分宮は我本宮なり」とあり、筑前国穂波郡(現在の福岡県飯塚市)の大分八幡宮が宇佐神宮の本宮であり、筥崎宮の元宮であるとある。宇佐神宮の元宮は、福岡県築上郡築上町にある矢幡八幡宮(現金富神社)であるとする説もある。”
 
本宮が大分八幡宮なのか、矢幡八幡宮なのかは判然としませんが、宇佐神宮の託宣集にのっていること、また北→南の流れからいっても、大分八幡宮である可能性が高いでしょう。もしかしたら矢幡八幡宮にも遷座した時期があったのかもしれませんね。
伝播ルートを推測してみました。


宇佐神宮移動ルート 

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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