宗像と宇佐の女神(5)~比咩神と玉依姫
前回は、香春神社の由緒とともに、「高良玉垂宮神秘書」の話に広がりましたが、論文に戻ります。もうひとつ、八幡信仰発祥の地とされる古宮神社があります。
由緒は
”古宮八幡神社は平安時代にできた「延喜式」の「神名」に挙げられている豊比咩命神社の本社でありその最初の鎮座地は香春三ノ岳の麓、阿曾隈という所である。
創祀は元明天皇和銅2年(709)今より実に壱千弐百八拾余年の古社である。
香春岳三山に祀られる神々は式内社豊前国座のうち三座でその一ノ岳に鎮まる香春神社の神は辛国息長大姫大目命で「豊前国風土記」に新羅の神が渡ってきて住みついたとある。三ノ岳の古宮八幡神社は豊比咩命を祀り養老4年(720)宇佐八幡社の託宣で三ノ岳の銅を掘って長光公が鋳造した神鏡を宇佐宮放生会に奉納した縁で貞観元年(859)応神天皇、神功皇后を勧請して八幡神社の呼び名となる。”
祭神は、
一之御殿・豊比咩命
二之御殿・神功皇后
三之御殿・応神天皇
です。
”豊比売命は近くに在る香春神社例祭の時には香春神社へ下向し、例祭が終わると再び古宮八幡宮に戻る。”(Wikipediaより) とあるように、豊比売命がもともといたところ、ということになります。
香春神社の祭神の豊比売命が、豊玉姫と考えられることは前回お話しましたが、となると古宮神社の豊比売命も、豊玉姫とみていいでしょう。
ここまで宇佐八幡宮の元社関連と考えられる神社をみてきました。その祭神を整理します。なお、
近辺の大きな神社も参考までに記載しました。
ひとつが、宇佐神宮本宮ともいわれる大分八幡宮の近くにある竃門(かまど)神社です。古来から厚く信仰されてきた宝満山にあり、「大宰府鎮護の神」ともされます。
もうひとつが、宇美神社です。神宮皇后がこの地で応神天皇を産んだことから「宇美(うみ)」と名付けられたといわれてます。
祭神のうち、応神天皇と神功皇后はほぼ一致してます。一致しないのは比売大神ですが、よくみると宇佐神宮と薦神社は、宗像三女神になってますが、妻垣神社・大分八幡宮・宇美八幡宮・竃門神社は玉依姫、香春神社・古宮神社は姉の豊玉姫です。
これをみると、
”比売大神は、もともとは玉依姫(または豊玉姫)だったところ、移動して宇佐神宮に近づくにつれ、宗像三女神に変わっていったのではないか?。”
という推測が生まれます。
さて論文は、分布について述べてます。
”嘉穂・田川・京都・築上郡に多い新羅神信仰からも、渡来人は福岡県東部に広く居住していたと考えられている。これは既報で見たオカミベルトとほぼ一致している。”
オカミ神は、記紀神話で宗像神より先に登場する由緒の古い水神です。前にお話ししましたが、
神産みにおいて伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した際に生まれたとされます。
”剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(クラオカミノカミ)が生まれたとされる。龗(おかみ)は龍の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されていた。”
詳細は、
北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(4)~「オカミベルト」と「埴安ベルト」
<オカミベルト>
この分布が、上の神社分布図とも重なっており、宇佐神宮に近づくにしたがい、割合が高くなっていることがわかります。
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由緒は
”古宮八幡神社は平安時代にできた「延喜式」の「神名」に挙げられている豊比咩命神社の本社でありその最初の鎮座地は香春三ノ岳の麓、阿曾隈という所である。
創祀は元明天皇和銅2年(709)今より実に壱千弐百八拾余年の古社である。
香春岳三山に祀られる神々は式内社豊前国座のうち三座でその一ノ岳に鎮まる香春神社の神は辛国息長大姫大目命で「豊前国風土記」に新羅の神が渡ってきて住みついたとある。三ノ岳の古宮八幡神社は豊比咩命を祀り養老4年(720)宇佐八幡社の託宣で三ノ岳の銅を掘って長光公が鋳造した神鏡を宇佐宮放生会に奉納した縁で貞観元年(859)応神天皇、神功皇后を勧請して八幡神社の呼び名となる。”
祭神は、
一之御殿・豊比咩命
二之御殿・神功皇后
三之御殿・応神天皇
です。
”豊比売命は近くに在る香春神社例祭の時には香春神社へ下向し、例祭が終わると再び古宮八幡宮に戻る。”(Wikipediaより) とあるように、豊比売命がもともといたところ、ということになります。
香春神社の祭神の豊比売命が、豊玉姫と考えられることは前回お話しましたが、となると古宮神社の豊比売命も、豊玉姫とみていいでしょう。
ここまで宇佐八幡宮の元社関連と考えられる神社をみてきました。その祭神を整理します。なお、
近辺の大きな神社も参考までに記載しました。
ひとつが、宇佐神宮本宮ともいわれる大分八幡宮の近くにある竃門(かまど)神社です。古来から厚く信仰されてきた宝満山にあり、「大宰府鎮護の神」ともされます。
もうひとつが、宇美神社です。神宮皇后がこの地で応神天皇を産んだことから「宇美(うみ)」と名付けられたといわれてます。


祭神のうち、応神天皇と神功皇后はほぼ一致してます。一致しないのは比売大神ですが、よくみると宇佐神宮と薦神社は、宗像三女神になってますが、妻垣神社・大分八幡宮・宇美八幡宮・竃門神社は玉依姫、香春神社・古宮神社は姉の豊玉姫です。
これをみると、
”比売大神は、もともとは玉依姫(または豊玉姫)だったところ、移動して宇佐神宮に近づくにつれ、宗像三女神に変わっていったのではないか?。”
という推測が生まれます。
さて論文は、分布について述べてます。
”嘉穂・田川・京都・築上郡に多い新羅神信仰からも、渡来人は福岡県東部に広く居住していたと考えられている。これは既報で見たオカミベルトとほぼ一致している。”
オカミ神は、記紀神話で宗像神より先に登場する由緒の古い水神です。前にお話ししましたが、
神産みにおいて伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した際に生まれたとされます。
”剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(クラオカミノカミ)が生まれたとされる。龗(おかみ)は龍の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されていた。”
詳細は、
北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(4)~「オカミベルト」と「埴安ベルト」
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