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宗像と宇佐の女神(7)~比咩神は渡来系?

さらに比咩神について、詳細にみていきましょう。

"宇佐神宮と香春神社の比咩神が、渡来系氏族の祭った神であることは先に見たとおりである。そのほかにも、渡来系氏族が比咩神を祭ったことが明らかな例がある。その一つは、朝廷が有事に奉弊していた「二二社」の一つ京都の平野神社(明神大)である。同社は、現在今木・久度・古開・比売の四神を祭るが、この比売は『文徳天皇実録』仁寿元年(852)に合殿坐須(あいどのにいます)比咩神と書かれているなど、古代には比咩神と書かれることが多かった。

この神社は、大和の今来郡(高市郡)に多く住んでいた百済系渡来人の祭る神を、平安遷都に伴い高野新笠とその子の山部親王(後の桓武天皇)が京都に移したものである。高野新笠は百済系渡来人の娘で光仁天皇の後宮に入っていた。正一位に叙せられた今木神は、滅亡した百済の王であるという。
平野系であることが明らかな神社は、平野の名の付く7社を含め全国に10社あるが、うち9社がヒメ神を祭る。そのうち7社が比売神を、2社が比咩神を祭る。いずれも別の名を冠しない単なるヒメ神であり、渡来人にとって単に比咩(比売)というだけで通じる神であったことが推察される。”


【解説】
京都の平野神社の祭神から、渡来人にとって単に比咩(比売)というだけで通じる通じる特別な神であった、と推測してます。
注目は、百済との関係です。これまで八幡神は新羅との関係が強調されてきましたが、それだけではないようです。

”起源が古いと考えられる「比咩神」を祭る平野神社は、大分市と松浦市にある。来日の頃の因縁を示すものであろうか。 他の例として、延喜式に載る能登国の美麻奈(みまな)比古神社と美麻奈比咩神社が挙げられる。社名から明らかなように、これらは朝鮮半島の任那(みまな)からの渡来人が祭った神と考えられる。志賀剛も、任那人の祖神を祭るとする。能登は渡来人の特に多いところとされる。

伊豆の10社の比咩神も、同様に考えることができよう。これらの女神は、三島の三嶋大社の主神に対し、その后神などと関連づけられている。この三嶋大社の主神は愛媛県の大三島神社の祭神大山祇(おおやまつみ)と事代主であるが、もともとの神は大山祇とされる。大山祇は、『伊予国風土記』(逸文)に百済から渡来した神と記されている。

静岡県はセオリツを祭る神社が全国で最も多く29社あるが、瀬織津比咩の表記も9社と最多である。特に大井川の上流から河口付近にかけて6社の瀬織津比咩を祭る社が分布する。このあたりも渡来人の多いところと言われている。後に武蔵に渡来人の大居住地ができたことを考えると、太平洋に沿って東進する途中で、まず駿河・伊豆に根拠を求めたことは理解できる。”

【解説】
「比咩神」を祭る神社について、任那、百済との関係を指摘してます。能登は渡来人の特に多いところとされる”、とあります。石川県に「比咩神」を祭る神社が多いことは前回お話しましたが、その理由は、ここにもあるかもしれません。

”はじめに比咩神を祭った豊前の渡来人の出自は、『豊前国風土記逸文』が記すように新羅系である。加賀・越前で強い白山信仰は、新羅(しらぎ)(半島での発音はシラ)の山岳信仰が入ったものと考えられている(白山は、もともとシラヤマ)。白山比咩の神名は、新羅系渡来人が祭った神と考えると理解できる。
また、あまり指摘されていないようであるが、菊理(くくり)比咩のククリは高句麗のことではないか。高句麗人がコクリと呼ばれたことは、よく知られている。新羅と高句麗は隣接していたため相互に影響が大きく、渡来後も助け合っていたのであろう。上記能登の美麻奈比古・比咩神社が白山系社の多い地方にあることも、新羅が南下して任那を含む加耶地方を勢力下においたことを考えると納得できる。”

【解説】
高句麗との関係も指摘してます。以上をまとめると、「比咩神」信仰は、新羅・百済・任那といった朝鮮半島南部の人々の信仰に、高句麗の影響も加わった、と推測してます。


三国時代朝鮮半島

さてこのように「比咩神」信仰について総括したうえで、以下のような大胆な推理をしてます。

”このように様々な系統の渡来系氏族が共通して比咩神を祭っているのは、「比咩」が多くの人々の記憶に残っていた偉大な渡来系人物の神格化だからではないだろうか。そして「比咩」という表記に対する強いこだわりは、この表記が本来「ヒメ」とは違った読み方をされていたからではないかと思われる。「咩」という珍しい字は、いずれの漢和辞典にも羊の鳴き声を表す字とあり、他の意味はない。その発音は、「ミ」または「ビ」であって、「メ」という音は記されていない。すなわち、宇佐にもともと祭られていた女神は、「ヒミ」という名であったのではないか。
この名は、直ちに邪馬台国の女王卑弥呼を連想させる。古代中国語の権威白川静によると、「呼」はもと「乎」と同じで、神を呼ぶときの強く発音される声である。日韓古代語の専門家金思燁は、「『呼』は、古代の新羅人が男女の名前に添尾される美称、尊称」であるという。いずれにせよ、
卑弥呼の固有名は「ヒミ」であって、尊敬の意を込めて「ヒミコ!」と呼んでいたのを、そのまま魏使が記録したのではないか。”

【解説】
謎の多い「比咩神」ですが、それはなんと邪馬台国の女王「卑弥呼」ではないか?、というのです。これには正直、唖然としてます。
これまで矢田氏の論文を引用し、解説してきました。多くの統計データを解析するなど、その手法、成果には尊敬の念をもっております。しかしながら、この推測はいかがなものでしょうか。

「比咩神」が偉大な渡来系人物の神格化されたものである可能性は高いでしょう。そういう意味では、これまでお話ししてきたように、玉依姫や豊玉姫の可能性もあると考えます。またもしかしたら「卑弥呼」のことも含まれているかもしれません。ですが、さすがに「比咩神」=「卑弥呼」には賛同できません。

次回、もう少し詳しくみていきます。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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