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宗像と宇佐の女神(15)~銅矛埋納文化圏の拡大と宗像神の関与

九州北部から海を越えて中国・四国地方へと文化が伝播したわけですが、そこに海人族の関与があった述べてます。

”前節のような海を越えての文化の拡散には、海人の関与が考えられる。既報で、北部九州の海神の中で宗像神の起源が最も古いと推定されることと、宗像三女神の中でもイチキシマ信仰の起源が古いと考えられることを見た。図13は北部九州主要部と中国・四国西部のイチキシマ単神を祭る神社の分布を旧郡単位で示したものである(比率表示が既報の図と異なることに注意されたい)。この地域では八幡信仰が圧倒的に強いが、その場合宗像神としては殆ど三女神を祭るので、イチキシマのみを祭る神社はそれ以前から祭られていた神社である可能性が強い。”

【解説】
さて前回までにお話しした埴安神と銅矛圏の重なりと広がりは、海人族の関与だ、と述べてます。

イチキシマ分布  



”埴安神の多い大野郡には、既報で指摘したように三女神のうちイチキシマのみを祭る神社が非常に多い。そしてこれに呼応して対岸の宇和地方とこれに続く高知県幡多郡にも多い。宇和からは四万十川流域に出る古代交通路があったと見られる。四万十川中流の高岡郡四万十町の窪川台地からは、18本もの銅矛が発見されている。なおここには『日本書紀』で三女神と共に化生した五男神のうちの二神天津彦根と活津彦根という珍しい神を祭る多くの神社もある。ここから太平洋に出た旧高岡郡の土佐市には、古い宗像神社が現存する。なお神社明細帳で調べると高岡郡には明治初期には45社の宗像神を祭る神社があり、うち33社がイチキシマのみを祭っていた。

しかし図13から見るとイチキシマ信仰の拡散は日本海沿岸がメインであったようで、山口県西部を起点に既報で見たように江の川や日野川を遡って山陽に達したと見ることができる。その途中で河川交通の重要な拠点のあった広島県旧三峪郡などに、イチキシマを祭る人々が集住していたのであろう(ここには現在も宗像神社がある)。
このように、イチキシマを祭る古代海人族は文化圏の違いを超え、沿海海運から内陸水運まで含めて全国で活動していたと思われる。既報で見たような全国的な広い分布と他神との分け隔てのない親和性は、そのような総合商社的活動の結果と思われる。

【解説】
大分県大野郡から海を渡り宇和地方、高知県幡多郡に、イチキシマ単神を祭る神社が多いですね。高知県幡多郡とは、前回お話しした侏儒国推定地域です。ここで「幡多(はた)」が、「秦(はた)」と関係があるのかどうか、注目です。
日本海沿岸地域から山陽に達したルートがあったのではないか、という点は、すでにお話ししました。「総合商社」という表現は、言いえて妙ですね。
中国地方宗像神伝播ルート

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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