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沖ノ島祭祀を執り行ったのはだれか?(1)~古事記・日本書紀が示すこと

ここまで、矢田浩氏の4つの論文をみながら、宗像神について考えてきました。
今回から最後の論文「宗像・沖ノ島と神から見える日本の古代ー宗像神信仰の研究(5)-」に入ります。

実は、ここからが私にとって本題ともいえるテーマになります。
それは
「沖ノ島祭祀を執り行ったのはだれか?」
というテーマです。

これを聞いて、みなさんのなかには、
「何を今さら。大和王権が執り行ったに決まっているではないか・・・。」
と思われた方も、多いのではないでしょうか?。

ところがそのように断定する論拠は、きわめて心もとないのです。

まず文献からみていきましょう。

古事記ですが、アマテラスとスサノオの誓約により、三女神(タキリビメ・イチキシマヒメ・タキツヒメ)と五男神が生まれます。
このうち三女神について、
”此の三柱の神は、胷形の君等が以ち伊都久三前の大神なり”(宗像神社史)
(現代訳) 
”この三柱の神は、筑紫の氏族である胸形の君などが仕え祭っている三座の神である。”「現代語訳 古事記」(福永武彦)


日本書紀(神代上)は、
”此即ち、筑紫の胸肩君等が祭る神、是なり。”
(現代訳)
”これが筑紫の胸肩君らがまつる神である”「全現代語訳 日本書紀」(宇治谷孟)


とあります。
このように古事記・日本書紀とも、宗像氏が祭祀を執り行ったように記載されてます。

ところがです。
日本書紀には、一書に曰く、という異伝を載せてます。

一書(第三)に曰く
”…即ち日神の生れませる三の女神を以ちて、葦原中國の宇佐嶋に降り居さしむ。今、海の北の道の中に在す。號けて道主貴(みちぬしのむち)と曰す。此れ筑紫の水沼君等が祭る神、是なり”(宗像神社史)
(現代訳)
”日神が生まれた三柱の女神を、葦原中國の宇佐嶋に降らせられた。今、北の海路(朝鮮半島への海路)の中においでになる。名づけて道主貴(みちぬしのむち)という。これが筑紫の水沼君らの祭神である。”「全現代語訳 日本書紀」(宇治谷孟)


ここには、「筑紫の水沼君ら」が祭祀したと記載されてるのです。
これをどのように理解すればいいのでしょうか?。

まず留意すべきは、古事記・日本書紀本文とも、「胸肩の君等」と複数で記載していることです。
つまり、宗像氏が単独で独占的に行ってきたのではないことは明らかです。

沖ノ島祭祀は、海上交通と密接な関係があったとされてます。ということは、沖ノ島祭祀は、朝鮮半島や中国との交易を担う海人族のあいだで行われたのではないか、という推測が生まれます。

水沼君は筑後を基盤とする豪族です。九州王朝の中枢を担う氏族であり、海人族ですから、沖ノ島祭祀を執り行ったと考えても、なんらおかしなことはありません。

別の資料をみていきましょう。

宇佐神宮の元宮候補として、筑前大分の大分八幡宮、中津の薦神社、香春岳の香春神社、宇佐市の鷹居神社、安心院の妻垣神社などがあります。
そのひとつ安心院に、三女(さんみょう)神社という、一風変わった名称の神社があります。
その由緒に、
”宇佐嶋とはこの地宇佐郡安心院邑(むら)にして豪族筑紫君等がこれを祀る。”
とあります。
また案内板に、
”宇佐嶋とはこの地、宇佐郡安心院邑、当三柱山一帯とされ、安心院盆地を一望する聖地で、宇佐都比古、宇佐都比売は三女神を祖神とが故に、全国唯一の三女神の御名前をもつ社であるにして、水沼君等がこれを祀る。”(ブログ「日々平穏」(三女神社@大分県宇佐市安心院町)より)
とあるのです。
さらに、水沼井という井戸らしきものがあり、
”伝説によれば三女神天降(あまくだ)りの際の産水とされ、雨や旱(ひでり)に増減混濁することなし、また手足の不ずいにも著効あり。奉仕の社家は水沼氏と称しお供えや炊事の水にも用いられたといわれる。”
と書かれてます。

三女神とは、いうまでもなく、イチキシマ・タゴリ・タギツのことですが、それを水沼君等が祭る、としてます。また筑紫君等が祭る、とも書かれてます。

このように、宗像神をだれが祭ったのかは、判然としないことがおわかりいただけたと思います。

★沖ノ島祭祀を執り行ったのは誰だったのだろうか?

沖ノ島遠景 

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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