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沖ノ島祭祀を執り行ったのはだれか?(13)~祭祀の謎は解明できたか?

前回、論文にある「沖ノ島祭祀のストーリー」を紹介しましたが、多くの矛盾があることをお話ししました。
では、このストーリーで、以前お話しした「沖ノ島祭祀の謎」は解けるでしょうか?

「沖ノ島祭祀の謎」とは、
1.なぜ沖ノ島で行われたのか?
2.何のために祭祀が行われたのか?
3.なぜ史書等に記載がないのか?
4.祭祀遺跡は祭祀場所か?
5.同種奉献品の数の多さと雑多さの理由とは?

の5つです。

さらにもう少し詳しくみると、2つほどあるので追加します。
6.なぜ畿内古墳にない特徴がみられるのか?
7.なぜ8世紀初頭に祭祀が突然ローカルになったのか?

では、以上の7つの謎を、矢田氏のストーリーで説明できるでしょうか?。みていきましょう。

1.2の「なぜ、何を目的として沖ノ島で祭祀が行われたのか?」について
沖ノ島は通常の朝鮮半島や中国本土への渡海ルートから外れており、沖ノ島を経由する公式なルートは存在していなかった、とされてます。ではなぜ、沖ノ島で祭祀が行われたのか、です。

遣隋使や遣唐使派遣の際の経由地、というのが通説ですが、矢田氏は独自の見解です。

論文では、
”北部九州の邪馬台国連合が半ば独占していた韓半島南部の鉄を、3世紀末から4世紀初頭に、畿内のヤマト王権が出雲や宗像海人族を抱き込むことにより瀬戸内海ルートを開拓して、手に入れることができるようになった。その誓約がウケイ神話であり、沖ノ島祭祀が始まった。
そして、5世紀後半から7世紀にかけて、ムナカタは朝鮮半島出兵の騎馬軍団渡海基地となり、将兵が寄港地の沖ノ島で航海安全と武運を祈り帰還時に感謝して奉献した
663年の白村江の戦いの敗戦で、出兵は終わり、祭祀もローカルなものになった。”
としてます。

ウケイ(誓約)神話の話は、想像の域であり、検証のしようもありません。
祭祀がもっとも盛んだった5世紀後半から7世紀後半は、岩陰祭祀、半岩陰半岩上祭祀ですが、はたして沖ノ島が朝鮮半島出兵のための経由地であったのか、不明です。というのは何ら史書等に記載がないからです。
また兵士たちが立ち寄るとなると、相当規模の船が何隻も寄港することになり、兵士の数は数百、あるいは数千人にもなると思われますが、それに対応しうる港湾遺跡はありません。飲料水などの補給基地という説もありますが、沖ノ島にそれだけの人数に対応しうる施設があったとは考えられません。

矢田氏は通説の、「遣隋使・遣唐使派遣の経由地」をあえて否定して自説を構築してますが、残念ながら納得しうるだけの説にはなっていません。

3.「なぜ史書等に記載がないのか?」について
すでにお話しましたが、具体的に「沖ノ島を祭祀した」という記載は、古事記・日本書紀には皆無です。わずかに「胸肩の神」等の記載がいくつかあるのみです。これは通説の視点からみると、きわめて不思議なことです。もしヤマト王権が国家祭祀として、沖ノ島を重要視していたなら、「〇〇天皇の御代に、沖ノ島での祭祀を奉った」という記載が数多くあってしかるべきです。

これは矢田氏の説においても、同じ疑問が残ります。朝鮮半島出兵は国家を挙げてのことであったわけで、普通に考えれば、「出兵の前に、○○天皇は必勝を祈願して沖ノ島に祈りを捧げた」といった記載があってしかるべしですが、それが全くないわけです。

となるとはたしてヤマト王権が、本当に国家祭祀として沖ノ島祭祀を執り行ったのか?、という点に大きな疑問がつきます。

4.「祭祀遺跡は祭祀場所か?」について
これはすでに論文でも解説しているとおり、祭祀遺跡と祭祀場所は必ずしも同じということではなく、そこから5世紀から7世紀後半までの祭祀回数が20回程度であると推測してます。それが天皇の在位数とほぼ同じであることから、祭祀が即位後の継承儀礼の一つとして続けられてきたと見ること も 可能であろう、とも見解も示されています。
それが朝鮮半島出兵とどのような関係となるのか、よくわかりませんが、謎に対するひとつの答えにはなっなっています。

5.「同種奉献品の数の多さと雑多さの理由とは?」について
国家祭祀として執り行われたのでれば、奉献品は祭祀に使用する奉献品が、必要な数だけでいいはずです。ところが、一回の祭祀に多種多様な奉献品があるばかりではなく、品目によってはおびたしい数が捧げられています。などは品質がまちまちで粗悪品も見受けられます。金銅製馬具類も、同じ品種のものが突出して多くあります。

論文では、多くの人が沖ノ島の祭祀に参加し、それぞれ捧げものをした、と考えなければ説明が難しいのではないか。ヤマト王権または宗像氏単独での、あるいはその両者のみでの祭祀とは考えにくいのである。”と解説してます。

このように、祭祀は即位後の継承儀礼などの国家祭祀ということも考えられますが、それよりもさまざまな人々が祭祀を行った、と考えたほうが自然です。朝鮮半島出兵の祈願ということであれば、いちおう筋は通ります。

6.「なぜ畿内の古墳にない特徴があるのか?」について
たとえば出土した鏡は、品質がまちまちで粗悪品もみられます。これについて論文では
”京都府木津川市の 椿井(つばい)大塚山古墳では、 36 面の鏡のうち 鏡種の分かる 32 面 すべて が三角縁神獣鏡であり、うち 26 面は品質が優れていため舶載(はくさい)鏡(中国からの輸入鏡)と言われている。”
と述べ、このようなことは、”畿内の古墳ではほとんどみられない。”と述べてます。

これについて、朝鮮半島出兵兵士の奉献品と考えれば、筋は通りそうです。
しかしながらことはそう簡単ではありません。

これまでにも紹介してきましたが、沖ノ島祭祀の出土品は、質・量とも傑出してます。論文でも岩上祭祀について、ヤマト王権が支配していた畿内にもこの頃これほどの遺物を出した祭祀遺跡はなく、比較的大型の前期前方後円墳(全長 100 140 m 級)からの出土品と品目が似ている。すなわち、この頃のヤマト王権に属する有力氏 族の長が持っていたと同等の宝物が捧げられていた。”と述べてます。
ようは品目が似ているという理由だけで、ヤマト王権と関連づけてますが、なぜ畿内の古墳をも上回る出土品が多数あったのか、疑問に答えてません。

また金銅製竜頭や五弦琴など、畿内の古墳にみられないものが多数出土してるわけです。

いくら畿内のヤマト王権が沖ノ島祭祀を重視したからといって、天皇陵に副葬する品々を上回る奉献品を奉げた、というのは不自然です。まして朝鮮半島出兵の兵士たちが、そのような品々を奉献した、というのも、きわめて考えにくいでしょう。

7.「なぜ8世紀初頭に祭祀が突然ローカルになったのか?」について
7世紀後半から8世紀の半岩陰・半岩上祭祀において、金銅製竜頭や五弦琴など、祭祀は隆盛を極めるわけですが、8世紀初頭に突然終焉を告げ、石製人形・舟形などの、ローカルな祭祀になります。
通説の、遣唐使派遣の寄港地ということでは、逆に8世紀以降が遣唐使派遣が活発化するので、説明がつかないわけです。それを朝鮮半島出兵という観点でみれば、663年の白村江の戦いの敗戦により、国家祭祀は行われなくなり、ローカルな祭祀になった、という説は、いちおうもっともに聞こえます。

しかしながら、半岩陰・岩上祭祀は、7世紀いっぱいは継続していたとみられています。白村江の戦での敗戦が確定したた663年以降も、なぜ祭祀が続けられたのか?、謎は残ります。

以上、7つの謎についてみてきました。確かに矢田氏の説で説明できる謎もありますが、多くは納得しうる説明になっていないのではないでしょうか?。

それがなぜなのか、またどのように考えれば筋が通った説明がしうるのか、を次回お話ししたいと思います。

★沖ノ島祭祀を執り行ったのは、はたしてだれか・・・?
岩上祭祀

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テーマ : 歴史
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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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