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日本神話の源流(6)~国生みと神生み

前回の日向神話とともに、南洋との伝承がいちじるしいといわれてきたのは、順番的には日向神話より前に出てくるイザナギ・イザナミの夫婦神を主人公とする「国生み神話」です。今回はその「国生み神話」をみていきます。

「国生み神話」の冒頭は、オノロゴ島創造の物語です。

"伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二神は、漂っていた大地を完成させるよう、別天津神(ことあまつがみ)たちに命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。イザナギ・イザナミは天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした地上を掻き混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった。”(Wikipedia)

オノロゴ島が実在の島か、架空の島かは議論が分かれるところですが、それはいずれみていくとして、吉田氏はこの神話の型について以下のように述べてます。

”この神話は従来、研究者たちによってポリネシアを中心にしてメランシアやミクロネシアの一部にも分布している、陸地創造神話の系統を引くとみなされてきた。これらの南洋神話は、太古に神が海底から島を釣り上げたという形で、陸地の起源を説明したもので、「島釣り型」として分類されている。"(同書P48)

同様の話が、ポリネシアのマルケサス諸島、ニウエ島にあるとのことです。そしてニュージーランド・ハワイでは、ポリネシア神話のもっともポピュラーな主人公であるマウイ神の冒険のひとつとして言い伝えられている、と述べてます。

◆島生み型
次に、イザナミ・イザナギの二神はオノロゴ島に降り、結婚します。二神は男女として交わることにより、大八島を構成する島々を生み出していきます。以下が生み出された島です(古事記による)。

1.淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま、アハヂノホノサワケシマ) - 淡路島。
2.伊予之二名島(いよのふたなのしま) - 四国。
3.隠伎之三子島(おきのみつごのしま) - 隠岐島。
4.筑紫島(つくしのしま) - 九州。
5.伊伎島(いきのしま) - 壱岐島。
6.津島(つしま) - 対馬。
7.佐度島(さどのしま) - 佐渡島。
8.大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま、オホヤマトトヨアキツシマ) - 本州

以上の八島が最初に生成されたため、日本を大八島国(おおやしまのくに、オホヤシマノクニ)といいます。

二神は続けて6島を産みます。
1.吉備児島(きびのこじま) - 児島半島。
2.小豆島(あずきじま、アヅキジマ) - 小豆島。
3.大島(おおしま、オホシマ) - 屋代島(周防大島)。
4.女島(ひめじま) - 姫島。
5.知訶島(ちかのしま) - 五島列島。
6.両児島(ふたごのしま) - 男女群島。

このように、島が男女の神の交合の結果、子として生み出されたという「島生み型」の陸地創造神話は、ポリネシアに広く分布しています。
ハワイ神話では、
”天神ワケアはパパ女神と結婚し、パパはまず最初にハワイ島とマウイ島を生んだ。”
として以下次々に、ラナイ・モロカイ・オアフ・カウアイ・ニハウなどの島を生んだ、となってます。

これと同様の神話が、マルケサス、ソシエテ、ニュージーランドなどにも存在している、と指摘してます。

<島生みの絵>
国生み神話

◆黄泉の国(死者の国)への訪問
イザナギとイザナミは、「国生み」を終えたあと、今度は多くの神々を生みます(神生み)。
その最後からです。

”イザナミが、火の神である火之迦具土神(カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなった。イザナギがイザナミの遺体にすがって泣いていると、彼の涙から泣沢女神が生まれた。その後イザナギはカグツチを殺し(その血や死体からも神が生まれる)、出雲と伯伎(伯耆)の国境の比婆山に埋葬した。

イザナギは、イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国(よみのくに)まで逢いに行った。黄泉の火で調理した料理を食べてしまったイザナミは最初こそ夫の勧めを断るが、やはり愛しい夫が逢いに来てくれたことだから自分も帰りたいと考え、黄泉津神たちと話し合うことにするが、その間は「決して覗いてはいけない」と言った。
しかしいつまで経ってもイザナミが帰って来ないため、イザナギは妻との約束を破ってしまうが、そこで見てしまったのは、腐敗して蛆にたかられ、八雷神(やくさのいかづちがみ)に囲まれた最愛の妻の姿であった。その姿を恐れてイザナギは地上へ向かって逃げ出してしまう。追いかけてくる八雷神、予母都志許女(よもつしこめ)に髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実(意富加牟豆美命、おほかむづみ)を投げながら難を振り切った。

最後にイザナミが追って来たが、イザナギは黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を千引きの岩とされる大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁した。岩の向こうからイザナミが「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」と言うと、イザナギは「それならば私は産屋を建て、1日1500の子を産ませよう」と言い返した。 ”(Wikipediaより)

この話と、ポリネシアのニュージーランドのマオリ族の神話とが、
”妻の女神に先立たれた夫の神が、彼女を生き返らせようとして後を追い、冥界に赴くが、結局は妻を連れ戻すのに失敗して、一人で上界に戻らねばならなかったという、話の基本的筋立てにおいて、軌を一にしている。”と指摘してます(同書P54)。


このように、イザナギ・イザナミ神話は、南洋、特にポリネシアの神話との類似が著しい、としてます。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




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芋と気候

縄文時代、タロイモや里芋を程度栽培していた件ですが、タロイモも里芋の
1種類で同属です。これらの芋は寒さに弱く10度以下になると腐って翌年発芽しません。現在でも冬期の保管が難しい穀物です。
縄文時代は結構温暖な気候でしたが、里芋でも九州あたりから南でないと冬を越せない植物ではないかと思います。特に寒さに弱いタロイモの北限は沖縄ぐらいではないでしょうか?農業技術がまだ発達してない縄文時代、里芋系の芋を冬の間保管し翌年植え付けする事は困難と考えます。現在でも10度以上の室内保存が必要です。収穫量もさつまいもやじゃがいもに比べ多くありません。
縄文時代の日本は米意外では、里芋ではなく栗類は栽培が容易で広く栽培されていたのではないでしょうか?栗は九州から東北に広く分布していますし、北の縄文時代遺跡から出てきています。縄文時代の日本では栗が広く栽培がされていたと思います。
Someちゃん

Re: 芋と気候

Someちゃんさん
コメントありがとうございます。

> 縄文時代の日本は米意外では、里芋ではなく栗類は栽培が容易で広く栽培されていたのではないでしょうか?栗は九州から東北に広く分布していますし、北の縄文時代遺跡から出てきています。縄文時代の日本では栗が広く栽培がされていたと思います。

ご指摘のとおり、縄文時代に栽培されていたのは、芋類だけではありません。雑穀や陸稲も栽培されていたと考えられます。粟もそのうちのひとつでしょう。縄文農耕については、次回以降に詳細にとりあげます。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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