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日本神話の源流(8)~縄文農耕

ここまでは、日本神話は、メラネシアなどの南洋の神話とよく似ている、という話でした。
ここから、日本神話は南洋から伝わったのではないか、という推測ができます。

吉田氏は、
”現在南洋における古栽培民文化のもっとも重要な担い手であり、ハイヌウェレ型神話とそれに伴う儀礼を、もっとも特徴的な形で保持しているメラネシア(特にニューギニア)原住民の文化と、多くの点できわめてよく類似した文化が、縄文時代の中期に日本に渡来した可能性があるという指摘がされている。”(同書P71)
と述べてます。

この文化は、先にお話しした岡正雄氏による、古代日本の5つの「種族文化複合」のうち最も古いもので、「母系的・秘密結社的・芋栽培=狩猟民文化」と名づけられた文化に該当します。

その文化は、縄文時代中期に渡来したのではないかとしてます。
その特徴として、
・縄文式土器に渦巻文様が盛行、土器文様が繁縟化
・土偶の出現
・乳棒状石斧・棍棒用石頭・いくつかの型式の石鍬
・大規模の集落、切妻の長方形家屋

などを挙げてます。

同様のものがニューギニアからメラネシアにかけて見出される、というのです。
特に土偶については、祖先像あるいは地母像ともみられ、これがニューギニア・メラネシアの祖先木偶と一致する、とう指摘は興味深いところです。

土偶と木偶

こうしたことから吉田氏は、
”日本列島の栽培民は、タロ芋や里芋などの芋類を栽培したのかもしれない。すなわち少なくとも縄文時代中期ころ、すでに低栽培民文化が存在した。
という仮説を立ててます。

またこの文化の重要な構成要素であったという「秘密結社」について、
神ー祖霊ー妖怪として村々に出現し、女や子どもを威嚇するいわゆる秘密結社は、わが国においては、
・東北地方のナマハゲ
・祭事における仮面仮装人の出現
・秘儀を中心とする祭祀結社
・沖縄における、仮面仮装の神ー祖先が舟にのって島々を訪れてくるという信仰と行事
に見出される。”
と述べてます。

ナマハゲをはじめとする日本古来の祭りと類似しているという指摘は、興味深いところです。


なまはげ

続いて、
”縄文中期以後の土偶の取り扱われ方には、記紀のオオゲツヒメ神話と共通する信仰が、明瞭に反映しているという指摘が、坪井清足氏、藤森栄一氏からされている”、と述べてます。

縄文時代といえば土偶を思いおこす人が多いように、土偶について関心の高い方は多いと思われますが、同書でも詳しく解説してます。

”縄文時代の中期以後に作られるようになる、典型的な大型の土偶には、土中から完全な形で発見されるものが少なく、かならず胴体や手足などが、明らかに人為的と思われるしかたで、ばらばらにされ、離れたところから発見される。このような壊された土偶の破片は、住居跡からも出るが、時には焼畑にされるのに適している、住居から離れた山や丘でも発見されている。この出土状況から判断すれば、これらの土偶は、最初完全な形で作られたものを、後にわざわざばらばらに壊して、離れた場所にばらまくか埋めるかした、と結論せざるをえないという。”

"しかもこれらの土偶は、そのほとんどが女性をかたどっているうえに、乳房や尻が強調されたり、妊娠の様子が表されているなど、豊穣母神像として解釈するのがもっとも自然と思われる。”

”その時代にすでに、オオゲツヒメ神話の原形となった神話が、わが国に存在したことを示唆する。つまり縄文土偶は、殺され、ばらばらにされるこによって、身体から作物を生じさせるオオゲツヒメ的女神格をかたどったものであった。”(同書P76)


土偶は多くが、女性を表現したもので、かつまた破壊されたものが多いことが、知られています。この解釈についてはいろいろです。

a. 脚部の一方のみを故意に壊した例が多く、祭祀などの際に破壊し、災厄などを祓うことを目的に製作された。
b. 安産・多産などを祈る意味合いがあった。
c. 生命の再生、神像(女神像を含む)、精霊の像、呪物、お守り(護符)、子供の玩具やお守り
d. 破壊することで身体の悪い所の快癒を祈った。
e. ばらばらになるまで粉砕された土偶はそれを大地にばら撤くことが豊穣の祈念を意味した。
f. 集落のゴミ捨て場などに投棄された状態で出土されることが非常に多く、これは、最初から意図的に破壊して投棄することが目的であった。
g. 縄文人は冬期の太陽の弱まりを怖れ、土偶祭祀は冬を中心に行われた。
 (Wikipediaより)


かようにさまざまな解釈がされてます。
私はかつて、
”出産前に安産の祈りをこめて製作し、無事に安産した際は破壊し、不幸な結果になった際は破壊せずに大切に保管した。”
という説を耳にしたことがあります。何とも縄文時代らしい信仰だなと、思ったものです。

とはいえ、この説だけでは解釈しきれないことは、明らかです。むしろひとつの目的というよりも、各地方・各時代でさまざまな信仰上の目的で製作されたのではないでしょうか。そのうちのひとつに、eのオオゲツヒメ神話に描かれるような目的もあったのかもしれません。

さて土偶の話は以上にして、本筋に戻りましょう。

縄文時代中期には、日本では低栽培文化があり、オオゲツヒメ神話もその文化から生まれた、といえそうです。

吉田氏は、このことを示唆する祭りが、現代日本に残されていると述べてます。

”天竜川奥地一帯の狩祭シシ祭りは、一方種取りまたはオビシヤ等の称もあって、その内容は農耕に深い関係があることが考えられる。その次第は、まず鹿の模型を作り、その腹部に握飯や餅を納めて置くが、これをサゴと称した事も深い意味があった。その鹿を氏子一同環視の中で神主が射て取る。かくして腹部のサゴを取り出し、これを別に用意した飯や餅に混ぜて氏子に頒つ一方に穀物の種子と山の土(多くは境内)を添え、五穀の種子と称して同じく氏子に分配する。”(「日本古代の精神」横田健一)(同書P82)

ところがです。話はそう簡単ではありません。
吉田氏は述べてます。

この説には”重大な難点がある。”
それは
”縄文中期に、すでにわが国で農耕が行われていたかどうかが、確かでないということである。”(同書P76)
と指摘しています。

この「重大な難点」について、次回みていきます。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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