日本神話の源流(10)~タロイモは語る
前回、日本神話がどこから伝播したのかについて、DNA解析による日本人渡来ルートとの関連について、お話ししました。それによると、フィリッピン~台湾~沖縄という南方ルートあるいは中国大陸からという二つのルートが推定されるとともに、時代も何回かに分かれて渡来したのではないか、という話をしました。
では実際に栽培植物が、それにともなってやってきたということはいえるのでしょうか。
吉田氏が神話と強い関連性があるとみるイモ類について、みてみましょう。
タロイモの渡来ルートと時期について、「「食と農」の博物館 展示案内 No.62 今知られていること、伝えること「タロイモは語る」(東京農業大学)」を参照します。
まずタロイモは、
”狩猟採集時代からヒトにとって、重要な食用資源として知られ、約一万年前に始まったとされる農耕の起源に深く関わったイモ型の作物の一つ。”
です。
起源地については諸説ありますが、
”インド東部からアジア大陸部、さらに、原産地に隣接する中国南部とインドネシアをサブセンターとする”
説が有力です。
日本列島への渡来ルートは、
”インド東部から東南アジア大陸部の熱帯森林地域から民族の移動と共に、イネ(種子栽培農耕)に先行して中国南部や太平洋地域、オセアニア地域、西は熱帯アフリカ、地中海地域へと伝播していったと推定されています(中尾1956)。”
”日本へは、起源地から東マレーシア、フィリッピン諸島、バタン諸島、台湾などの島々沿いを黒潮海流の北上と共に南島から日本列島へ渡ってきた海上の道と、中国大陸経由の草原の道を通り、南島の海上の道を経て日本列島に渡来した民族によって持ち込まれたと考えられています。”
、日本列島への渡来ルートは二つあった、とされてます。
図の
③中国大陸~台湾~沖縄~日本本土(40,000年前、5,000年前)
④フィリピン~沖縄~日本本土(40,000年前、12,000年前、5,000年前)
です。
③、④とも、5,000年前に渡来したとしており、日本でタロイモ栽培が始まった時代に合致してます。今後の調査研究次第では、④の12,000年前というのも、ありうるかもしれません。
いずれにしろ、DNAでいうと、D1の人々にあたるでしょうか。
もう少し、詳しくみてみます。
タロイモは染色体研究によると、基本染色体数(X)は14、栽培品種には染色体数28の二倍体(2X)と42の三倍体(3X)があります。
栽培品種の二種は
・二倍体 熱帯系 親芋用
分布・・インドシナ、メラネシア、台湾、沖縄
日本の品種・・唐芋・八つ頭・枇榔心・筍芋・タイモ
・三倍体 温帯系、子芋用
分布・・中国、日本本土
日本の品種・・土垂・石川早生・蓮葉芋・黒軸・赤芽
二倍体が熱帯系で古く、三倍体が温帯系で新しい、ということになります。
こうしたことから、日本列島には当初、熱帯系の二倍体が南方から伝わり、のちの時代に温帯系の三倍体が中国大陸から伝わった、ということが推定できます。前回お話しした、日本列島への渡来は、いくつかのルートを経由して何回かにわたってされた、という推測と合致しました。
なおタロイモのほかにも、ナガイモ、コンニャク、クワイ、ハス、チョロギなども、かなり古い時代に伝播したと推測されてます。
イネ(陸稲)も、6400年前には伝播していたことが確実です。
以上より、縄文農耕はあった、と考えて間違いないでしょう。そしてこうした栽培作物の伝播にともなって神話も伝播した、と考えられそうです。
ところで、伝播ルートには大きく分けて、南方からと中国大陸から、の二ルートが想定されます。そのあたり神話の伝播からみた場合、どのように理解すればいいのでしょうか?。
次回は、それをテーマとします。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
では実際に栽培植物が、それにともなってやってきたということはいえるのでしょうか。
吉田氏が神話と強い関連性があるとみるイモ類について、みてみましょう。
タロイモの渡来ルートと時期について、「「食と農」の博物館 展示案内 No.62 今知られていること、伝えること「タロイモは語る」(東京農業大学)」を参照します。
まずタロイモは、
”狩猟採集時代からヒトにとって、重要な食用資源として知られ、約一万年前に始まったとされる農耕の起源に深く関わったイモ型の作物の一つ。”
です。
起源地については諸説ありますが、
”インド東部からアジア大陸部、さらに、原産地に隣接する中国南部とインドネシアをサブセンターとする”
説が有力です。
日本列島への渡来ルートは、
”インド東部から東南アジア大陸部の熱帯森林地域から民族の移動と共に、イネ(種子栽培農耕)に先行して中国南部や太平洋地域、オセアニア地域、西は熱帯アフリカ、地中海地域へと伝播していったと推定されています(中尾1956)。”
”日本へは、起源地から東マレーシア、フィリッピン諸島、バタン諸島、台湾などの島々沿いを黒潮海流の北上と共に南島から日本列島へ渡ってきた海上の道と、中国大陸経由の草原の道を通り、南島の海上の道を経て日本列島に渡来した民族によって持ち込まれたと考えられています。”

図の
③中国大陸~台湾~沖縄~日本本土(40,000年前、5,000年前)
④フィリピン~沖縄~日本本土(40,000年前、12,000年前、5,000年前)
です。
③、④とも、5,000年前に渡来したとしており、日本でタロイモ栽培が始まった時代に合致してます。今後の調査研究次第では、④の12,000年前というのも、ありうるかもしれません。
いずれにしろ、DNAでいうと、D1の人々にあたるでしょうか。
もう少し、詳しくみてみます。
タロイモは染色体研究によると、基本染色体数(X)は14、栽培品種には染色体数28の二倍体(2X)と42の三倍体(3X)があります。
栽培品種の二種は
・二倍体 熱帯系 親芋用
分布・・インドシナ、メラネシア、台湾、沖縄
日本の品種・・唐芋・八つ頭・枇榔心・筍芋・タイモ
・三倍体 温帯系、子芋用
分布・・中国、日本本土
日本の品種・・土垂・石川早生・蓮葉芋・黒軸・赤芽
二倍体が熱帯系で古く、三倍体が温帯系で新しい、ということになります。
こうしたことから、日本列島には当初、熱帯系の二倍体が南方から伝わり、のちの時代に温帯系の三倍体が中国大陸から伝わった、ということが推定できます。前回お話しした、日本列島への渡来は、いくつかのルートを経由して何回かにわたってされた、という推測と合致しました。
なおタロイモのほかにも、ナガイモ、コンニャク、クワイ、ハス、チョロギなども、かなり古い時代に伝播したと推測されてます。
イネ(陸稲)も、6400年前には伝播していたことが確実です。
以上より、縄文農耕はあった、と考えて間違いないでしょう。そしてこうした栽培作物の伝播にともなって神話も伝播した、と考えられそうです。
ところで、伝播ルートには大きく分けて、南方からと中国大陸から、の二ルートが想定されます。そのあたり神話の伝播からみた場合、どのように理解すればいいのでしょうか?。
次回は、それをテーマとします。
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