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日本神話の源流(11)~東南アジアの影響

前回、日本列島に神話が伝わったルートとして、メラネシア~フィリッピン~台湾~日本列島、という南洋ルートが考えられるが、中国東南部からのルートも考えられる、という話でした。

実は専門家の間では、日本神話の起源地として南洋ルートを考える人は少なく、中国江南地方からインドシナを経て、インドのアッサム地方にいたるアジア大陸東南部の地域が重視されている、としたうえで、

”特に中国江南地方に発生した神話の影響が、一方で日本に及ぶとともに、他方ではインドネシアを経由して、ミクロネシアやポリネシアの島々にまで波及した結果として説明される傾向にある。”(同書P84)
と述べてます。

日本の先史文化は、東南アジア地域からの影響を大きく受けており、日本神話と密接な関係にあると思われる水稲耕作が、弥生時代に中国の江南地方から伝わったことが確実であり、縄文の農耕文化も同様である、としてます。

一方、南洋の島々の原住民の文化に、東南アジア起源の要素が多く含まれている、としてます。

こうしたことから、
”日本と南洋に共通して見出される神話の原郷を、東南アジア、特に中国の江南地方と考えられる”
と述べてます(同書P85)。

ここで、なぜ原郷は「東南アジア」ではなく、「特に中国江南地方」と限定して推測しているのか、という疑問が浮かぶのですが、それはのちほどとして、話を進めます。

日本と南洋によく似た諸神話について、その原形がこの地域で発生したものであることを証明できていない、と述べてます。たとえば、海底に釣り針を探しにいく話や、島釣り神話、国生み神話などは、東南アジア地域の伝承からは発見されていない、というのです。

その原因は、そもそも日本の先史時代に、江南地方でどのような神話があったのかわからないから、としてます。では、実際に現在残っている神話をみていきましょう。

a.失われた釣針を探しに海底に行く話 
「捜神記」の巻四にみえる
”江西省の宮亭湖の廟においた小刀あるいはかんざしが、後に舟の中に飛び込んだ魚の中から発見された。”
”いかりをなくした漁夫が湖底におり、女が枕にして寝ていたそのいかりを取り返して帰還した。”(鄱陽湖の伝説)


b.山幸彦とトヨタマヒメ(豊玉姫)の結婚を思わせるような竜女との結婚をテーマとする話
揚子江下流以南の地方から数多く報告されている。
”夫のところからの妻の逃亡や、兄弟の争い、竜宮からの土産の珠(たま)”

c.山幸彦とトヨタマヒメの離別と対応する話
”人間の妻となっていた水界の女が、ある時その本体を見られたために夫や子と別れ、またもとの世界に戻っていってしまった。”
(捜神記)巻十四(同書P87)

d.竜女との結婚の話
インドシナに、王朝の起源を物語る説話の形をとって数多くある。
”竜女と結婚した夫が、妻のいましめを無視し、その本体を見たことが夫婦の別れの原因あった。”(北部ミャンマーのシャン人の国家の一つの始祖出伝説)(同書P88)

e.山幸彦の話
カンボジアのロチゼン王子の話

以上のとおりです。

ここで吉田氏はとても興味深い指摘をしています。
海幸彦・山幸彦神話のなかに、壮大な規模の宇宙論的観念が反映されている、というのです。

”海と山を、対立する宇宙の二大原理と見なし、この二原理の争いによって、高潮あるいは洪水が引き起こされる、という二元論的観想である。ところが、このように海と山の二大原理の対立によって、高潮や洪水が起こるという観念は、中国の江南地方からアッサムにかけて分布している。”(同書P92)

ヴェトナム神話として、南アッサムのガロ族には、
”山の支配者と水界の支配者のあいだに、結婚がきっかけとなって争いが生じ、その結果洪水が起こる。”

中国では、有名な呉越の抗争のなかに、それが反映されている、といいます。
呉越の抗争とは、中国春秋戦国時代に、揚子江下流にあった呉と越が勢力争いに明け暮れ、呉が紀元前473年に滅亡した戦いを指してます。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」や「呉越同舟」など、名言故事が生まれたことで知られます。

この二国ですが、海の原理を表す呉と、山の代表者である越の間の対決という図式だというのです。

・呉 水の都として名高い姑蘇(こそ)に都を置いた、すぐれて水と緑の深い典型的な水の国。

・越 本拠地は、神山として有名な会稽(かいけい)山を有する地域。王家は、夏王朝の始祖禹(う)の後裔と称した。
禹は、父の鯀(こん)と父子二大にわたって、大洪水を治めるため尽力したとされる。会稽山は神話的祖先の墳墓の地と考えられていた。

”銭溏江(せんとうこう)(浙江)河口に起こる潮嘯(ちょうしょう)に起こる異常な高潮が、江南の二強国の宿命的抗争の物語と結びつけられた。”

こうしたことより、
”海幸彦・山幸彦の神話の祖型が、中国江南地方で発生したものである可能性は、ひじょうに濃厚である。”(同書P101)

と推測してます。

ところで、冒頭に、
”中国江南地方に発生した神話の影響が、一方で日本に及ぶとともに、他方ではインドネシアを経由して、ミクロネシアやポリネシアの島々にまで波及した。”
という見解を紹介しました。

実際、遺伝子学や考古学等から、オーストロネシア語族と呼ばれる人々が、約6000年前に中国南部から台湾に渡り、そこからフィリッピン、インドネシア、さらにメラネシア・ミクロネシア・ポリネシアへ渡ったと推定されてます。日本列島にも、沖縄や九州などに渡ったと推測されてます。Y染色体では、O1aにあたります。

こうしたことからも、海幸彦・山幸彦型神話は中国江南地方発祥説が有力とも考えられます。

一方、いくつか疑問も残ります。

まず、海幸彦・山幸彦型神話に、「壮大な規模の宇宙論的観念」「二元論的観想」が含まれている、という点です。

メラネシア等では、内容は似ているものの、どちらかというと素朴で原始的です。つまり、中国等の神話はメラネシア等の神話の発展型である、という点です。となると、メラネシア島の神話のほうが古いのではないか、という疑問が出ます。

また時代も、呉越の神話ということになると、紀元前5世紀以降ですから弥生時代と、オーストロネシア人移動に比べると、かなり新しい時代になります。

このように考えると、伝播も、
「メラネシア→東南アジア→中国」
とするのが、自然のように思えます。

もっとも、”中国にはもともと素朴で原始的な神話があり、それがメラネシア等に伝わった、中国ではそれが独自に発展して、「壮大な規模の宇宙論的観念」「二元論的観想」が含まれるようになった。”という解釈も可能ですが、やや苦しいように感じられます。

一方、日本列島に伝わった時代・ルートもこれだけでは何ともいえません。

海幸彦・山幸彦型神話に「壮大な規模の宇宙論的観念」「二元論的観想」が含まれていることからすると、弥生時代に入ってから呉越の戦乱の時代のころに、渡来系弥生人が伝えたことが考えられます。あるいはもっと新しい時代かもしれません。

他の可能性として、さらにはるか昔に、神話の祖型となるものが南洋から伝わっていたのか、あるいは中国南部からオーストロネシア人が伝えた可能性もあります。

このようにさまざまな解釈が可能ですが、では真実はどうだったのかについては、のちほど考えていきたいと思います。

オーストロネシア人移動 
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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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