日本神話の源流(12)~東南アジアとの比較 魚の陸地と蛭子
イザナギ・イザナミ神話についても、起源を中国江南地方に求めようとする専門家が多いようです。
1.魚が陸地になる話
陸地がもとは海上を漂游する魚であったという発想は、ニュージーランド、ソシエテ諸島、タヒチの神話に認められます。
日本神話でも、オノロゴジマが創造される以前の国土の状態を、
”州壌(くに)の浮き漂えるは、譬(たと)えばなほ游(あそ)ぶ魚の水の上に浮かべるごとくなり”(日本書紀)
”国雅(わか)く、浮かべる脂の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時”(古事記)
とあります。
日本神話では、陸地がもとは魚だったとは書いてませんが、魚やクラゲなど、海の生き物をたとえに使ってます。
一方中国では、蓬莱(ほうらい)島に関する伝説の中にも認められます。
”蓬莱山は、方丈山、瀛州(えいしゅう)とともに、三神山と呼ばれ、渤海湾のはるか沖に浮かび、人が近づこうとすると、蜃気楼のように見え隠れして寄せつけぬ仙境であると信じられてた。”(同書P104)。
「列子」湯問篇では、蓬莱山などの神山は、もとは浮島であったが、巨大な亀の頭に支えられてはじめて安定した、とされてます。
神仙思想が強く反映されてますが、神仙思想の潤色を受ける以前には、説話の原形となった「浮き島伝承」があったのではないか、と仮定して、もともとは亀ではなく、ただの魚だったのではないか、と推察してます。
他の例として、
”原古の陸地を魚または魚に支えられた「浮き島」として観念した「魚の島」型の神話が、西南中国に住む彝(い)族系アシ人に伝わる創世神話のなかに見出される(P110)。
このように、もともと中国には陸地を魚だったとする神話があった、と推測してます。
2.兄妹婚と身体障がい児の出生
イザナギ・イザナミの二神は、古事記・日本書紀では、はっきり兄妹の関係にあるとされてます。
その話は、
”世界が水で覆われているとき、最初に現れた陸地の上で、兄妹が結婚し、最初はできそこないの子を生むが、天神の命にしたがってやり直しをして、はじめて満足な子を生む。”
というストーリーです。
これときわめてよく似た話が、台湾のアミ族のあいだに伝わってます。
"大洪水で人類が死滅した後、生き残った兄妹から現在の人類が発祥した。”
”最初に生まれた子は蛇で、次の子は蛙であった。・・・今度は二人の女の子と一人の男の子が生まれた。”(同書P114)
はじめに生まれた子が、人間でなく、蛇やカエルというところが異なりますが、最後に満足な子が生まれたという構成は同じです。
同様の話は、インドシナや南洋の一部に分布してますが、特に数多く発見されているのは中国の西南地方の少数民族である、苗びょう)族・傜(よう)族・彝(い)族のあいだである、と述べてます。
そして多くは、伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)がその主人公とのことです。
伏羲(ふくぎ)とは、
”古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王。兄妹または夫婦と目される女媧(じょか)と共に、蛇身人首の姿で描かれることがある。、黄帝・神農などのように古代世界においてさまざまな文化をはじめてつくった存在として語られる。伏羲と女媧は兄妹であり、大洪水が起きたときに二人だけが生き延び、それが人類の始祖となったという伝説が中国大陸に広く残されている。洪水神話は天災によって氏族の数が極端に減少してしまった出来事が神話に反映したのではないかと考えられている。”(Wikipediaより抜粋)
伊藤清司氏は、傜(よう)族の神話のを挙げ、
”兄妹が物の周囲をまわった上に、結婚の可否を知るために占いをしている点が、日本神話でイザナギ・イザナミは天の御柱のまわりをめぐった後、結婚の失敗の理由を尋ねるため、天に上り占いをしたといわれているのと、類似している。そしてこのような「神占い」のモチーフを含む同類型の話は、彝(い)族族の神話にもみられる。”(同書P117)
と指摘していると述べてます。
このような細部にまでわたる類似というのは、単なる偶然ではないことは明らかといっていいでしょう。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
1.魚が陸地になる話
陸地がもとは海上を漂游する魚であったという発想は、ニュージーランド、ソシエテ諸島、タヒチの神話に認められます。
日本神話でも、オノロゴジマが創造される以前の国土の状態を、
”州壌(くに)の浮き漂えるは、譬(たと)えばなほ游(あそ)ぶ魚の水の上に浮かべるごとくなり”(日本書紀)
”国雅(わか)く、浮かべる脂の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時”(古事記)
とあります。
日本神話では、陸地がもとは魚だったとは書いてませんが、魚やクラゲなど、海の生き物をたとえに使ってます。
一方中国では、蓬莱(ほうらい)島に関する伝説の中にも認められます。
”蓬莱山は、方丈山、瀛州(えいしゅう)とともに、三神山と呼ばれ、渤海湾のはるか沖に浮かび、人が近づこうとすると、蜃気楼のように見え隠れして寄せつけぬ仙境であると信じられてた。”(同書P104)。
「列子」湯問篇では、蓬莱山などの神山は、もとは浮島であったが、巨大な亀の頭に支えられてはじめて安定した、とされてます。
神仙思想が強く反映されてますが、神仙思想の潤色を受ける以前には、説話の原形となった「浮き島伝承」があったのではないか、と仮定して、もともとは亀ではなく、ただの魚だったのではないか、と推察してます。
他の例として、
”原古の陸地を魚または魚に支えられた「浮き島」として観念した「魚の島」型の神話が、西南中国に住む彝(い)族系アシ人に伝わる創世神話のなかに見出される(P110)。
このように、もともと中国には陸地を魚だったとする神話があった、と推測してます。
2.兄妹婚と身体障がい児の出生
イザナギ・イザナミの二神は、古事記・日本書紀では、はっきり兄妹の関係にあるとされてます。
その話は、
”世界が水で覆われているとき、最初に現れた陸地の上で、兄妹が結婚し、最初はできそこないの子を生むが、天神の命にしたがってやり直しをして、はじめて満足な子を生む。”
というストーリーです。
これときわめてよく似た話が、台湾のアミ族のあいだに伝わってます。
"大洪水で人類が死滅した後、生き残った兄妹から現在の人類が発祥した。”
”最初に生まれた子は蛇で、次の子は蛙であった。・・・今度は二人の女の子と一人の男の子が生まれた。”(同書P114)
はじめに生まれた子が、人間でなく、蛇やカエルというところが異なりますが、最後に満足な子が生まれたという構成は同じです。
同様の話は、インドシナや南洋の一部に分布してますが、特に数多く発見されているのは中国の西南地方の少数民族である、苗びょう)族・傜(よう)族・彝(い)族のあいだである、と述べてます。
そして多くは、伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)がその主人公とのことです。
伏羲(ふくぎ)とは、
”古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王。兄妹または夫婦と目される女媧(じょか)と共に、蛇身人首の姿で描かれることがある。、黄帝・神農などのように古代世界においてさまざまな文化をはじめてつくった存在として語られる。伏羲と女媧は兄妹であり、大洪水が起きたときに二人だけが生き延び、それが人類の始祖となったという伝説が中国大陸に広く残されている。洪水神話は天災によって氏族の数が極端に減少してしまった出来事が神話に反映したのではないかと考えられている。”(Wikipediaより抜粋)

伊藤清司氏は、傜(よう)族の神話のを挙げ、
”兄妹が物の周囲をまわった上に、結婚の可否を知るために占いをしている点が、日本神話でイザナギ・イザナミは天の御柱のまわりをめぐった後、結婚の失敗の理由を尋ねるため、天に上り占いをしたといわれているのと、類似している。そしてこのような「神占い」のモチーフを含む同類型の話は、彝(い)族族の神話にもみられる。”(同書P117)
と指摘していると述べてます。
このような細部にまでわたる類似というのは、単なる偶然ではないことは明らかといっていいでしょう。
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