日本神話の源流(13)~東南アジアとの比較 穀物の起源
今回は、オオゲツヒメ、ウケモチの神話をみていきましょう。
先にお話ししたように、これらの神話は、五穀の発生と農業の起源を説明する神話とされてます。「ハイヌウェレ型」と呼ばれ、南洋に濃密に分布しています。
一方、中国江南地方からインドシナ・アッサムにかけての東南アジアからは、典型的な例話はほとんど発見されてません。
しかしながら、大林太良氏は、もともとは原型となる神話があったとしたうえで、
”直接には中国東南から、焼畑で雑穀を耕作する農耕文化にともなって、縄文時代の末ころ日本に渡来した。”(同書P118)
と推測してます。
たしかに、日本書紀の書の二では、”ワクムスビの頭に蚕と桑の木が生じ、臍(へそ)の中に五穀が発生した。”とありますが、ワクムスビは、火の神カグツチと土の神ハニヤマヒメの間の子です。ここには、火と土の結婚から農作物を生じさせる神が生まれる、という焼畑農耕が反映されている、というのです。
古事記でも、オオゲツヒメは、生まれるとすぐ、母(イザナミ)は火の神(カグツチ)を生むことによって身体を焼かれ、死にます。このとき瀕死のイザナミが苦しまぎれに出した吐瀉(としゃ)物や大小便からは、土の神、水の神、穀物の神(ワクムスビ)など、農業と関係する神々が発生しました。
この話が、焼畑農耕を反映していると述べてます。
ここで注目は、
”オオゲツヒメという神格が、稲よりはむしろ粟(あわ)によって代表される雑穀と本来的に関係する存在であるらしい。”(同書P119)
と推測していることです。
その論拠として、古事記における四国誕生において、
”粟(あわ)の国をオオゲツヒメという”
とあることを挙げてます。
つまり、農耕と関係が深いといっても、それは水稲耕作ではなく焼畑雑穀栽培である、ということになります。
水稲稲作は弥生時代の始まりから、すなわち最近の年代観では、紀元前9~同10世紀からです。一方、焼畑雑穀栽培は、遅くとも縄文時代中期から、すなわち紀元前4000~同3000年からです。歴史の古さを感じさせますね。
また、中国広東省の傜(よう)族と漢民族には、
”昔には稲には花が咲いたが、実はならなかった。一人の高貴な女性が、彼女の処女の乳をしぼり、稲の花にふりかけると、はじめはみごとな稲穂が実った。彼女はそこですべての稲に実をならせようとして、無理に乳をしぼり続けると、しまいに乳の代わりに血が出た。この血をかけられた稲は、赤っぽい実を結ぶ赤米となった。”
という伝承があります。
白米よりも価値が高いと考えられている赤米ですが、山地の焼畑で作られます。
焼畑で耕作される作物(陸稲・サツマイモ・トウモロコシ・シコクビエ・粟・コーリャン・タロ芋)の中で、もっとも上等と考えられている種類の起源伝承であるわけです。
また福建省やその付近には、同じような話が水仙の起源伝説となってますが、元来は稲の起源伝説だった、と推測してます。
さらに、中国南部(広東・広西・雲南・風建)からヴェトナムにかけて、
(1)一人の女が死ぬ。
(2)彼女の墓から藪林が生え出る。
(3)彼女の夫がこの植物を利用し、陶酔を味わっていると、亡妻の幻影が見られる。
女性の死体からの化成によって説明する伝説が流布している、と述べてます。
これにはピンときた方もおられるかと思います。檳榔樹(びんろうじゅ)や阿片(アヘン)などの起源とのことで、ようするに麻薬です。
中国西南端のラオス国境に近い地域に住むラフ族や、東北アッサムのレモング族にも、「ハイヌウェレ型神話」に似た神話が、伝承されている、と述べてます。
こうしたことから、
”このようにみてくると、たしかに大林氏のいわれるように、中国の江南からインドシナ、アッサムにかけての地域に、かつては山地の焼畑で栽培される雑穀などの起源を説明したハイヌウェレ型神話が存在し、それが日本のオオゲツヒメ神話の原型となった可能性は、十分考えられそうである。”(同書P126)
と推測してます。
一見、もっともそうにも思えます。
しかしながらよくよく検証してみると、そうは簡単に結論づけられないのではないか、とも考えられます。
芋栽培と雑穀栽培の歴史は1万年以上前とされますが、どちらが古いのかはよくわかってません。ただ皆さん経験あると思いますが、芋栽培は、芋を分割して土に埋めれば、あとは自然に育って大きな芋ができあがるというとてもシンプルな方法です。あくまで感覚的なものでありますが、雑穀栽培より原初的な印象はあります。
ハイヌウェレ神話は
”ハイヌウェレは生き埋めにして殺され、ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。”
ということからわかるとおり、「芋栽培」を前提とした物語です。
またハイヌウェレ神話の中には、暴行・殺害など残忍な描写がみられ、より未開な印象を与えます。
こうしたことから、南洋などのハイヌウェレ神話が原型であり、そこから進化したのが、中国・インドシナの神話ではないか、という見方も可能です。
すなわち、
南洋(メラネシア)→インドシナ→中国江南地方→日本
という経路で伝わったのではないか、という仮説です。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
先にお話ししたように、これらの神話は、五穀の発生と農業の起源を説明する神話とされてます。「ハイヌウェレ型」と呼ばれ、南洋に濃密に分布しています。
一方、中国江南地方からインドシナ・アッサムにかけての東南アジアからは、典型的な例話はほとんど発見されてません。
しかしながら、大林太良氏は、もともとは原型となる神話があったとしたうえで、
”直接には中国東南から、焼畑で雑穀を耕作する農耕文化にともなって、縄文時代の末ころ日本に渡来した。”(同書P118)
と推測してます。
たしかに、日本書紀の書の二では、”ワクムスビの頭に蚕と桑の木が生じ、臍(へそ)の中に五穀が発生した。”とありますが、ワクムスビは、火の神カグツチと土の神ハニヤマヒメの間の子です。ここには、火と土の結婚から農作物を生じさせる神が生まれる、という焼畑農耕が反映されている、というのです。
古事記でも、オオゲツヒメは、生まれるとすぐ、母(イザナミ)は火の神(カグツチ)を生むことによって身体を焼かれ、死にます。このとき瀕死のイザナミが苦しまぎれに出した吐瀉(としゃ)物や大小便からは、土の神、水の神、穀物の神(ワクムスビ)など、農業と関係する神々が発生しました。
この話が、焼畑農耕を反映していると述べてます。
ここで注目は、
”オオゲツヒメという神格が、稲よりはむしろ粟(あわ)によって代表される雑穀と本来的に関係する存在であるらしい。”(同書P119)
と推測していることです。
その論拠として、古事記における四国誕生において、
”粟(あわ)の国をオオゲツヒメという”
とあることを挙げてます。
つまり、農耕と関係が深いといっても、それは水稲耕作ではなく焼畑雑穀栽培である、ということになります。
水稲稲作は弥生時代の始まりから、すなわち最近の年代観では、紀元前9~同10世紀からです。一方、焼畑雑穀栽培は、遅くとも縄文時代中期から、すなわち紀元前4000~同3000年からです。歴史の古さを感じさせますね。
また、中国広東省の傜(よう)族と漢民族には、
”昔には稲には花が咲いたが、実はならなかった。一人の高貴な女性が、彼女の処女の乳をしぼり、稲の花にふりかけると、はじめはみごとな稲穂が実った。彼女はそこですべての稲に実をならせようとして、無理に乳をしぼり続けると、しまいに乳の代わりに血が出た。この血をかけられた稲は、赤っぽい実を結ぶ赤米となった。”
という伝承があります。
白米よりも価値が高いと考えられている赤米ですが、山地の焼畑で作られます。
焼畑で耕作される作物(陸稲・サツマイモ・トウモロコシ・シコクビエ・粟・コーリャン・タロ芋)の中で、もっとも上等と考えられている種類の起源伝承であるわけです。
また福建省やその付近には、同じような話が水仙の起源伝説となってますが、元来は稲の起源伝説だった、と推測してます。
さらに、中国南部(広東・広西・雲南・風建)からヴェトナムにかけて、
(1)一人の女が死ぬ。
(2)彼女の墓から藪林が生え出る。
(3)彼女の夫がこの植物を利用し、陶酔を味わっていると、亡妻の幻影が見られる。
女性の死体からの化成によって説明する伝説が流布している、と述べてます。
これにはピンときた方もおられるかと思います。檳榔樹(びんろうじゅ)や阿片(アヘン)などの起源とのことで、ようするに麻薬です。
中国西南端のラオス国境に近い地域に住むラフ族や、東北アッサムのレモング族にも、「ハイヌウェレ型神話」に似た神話が、伝承されている、と述べてます。
こうしたことから、
”このようにみてくると、たしかに大林氏のいわれるように、中国の江南からインドシナ、アッサムにかけての地域に、かつては山地の焼畑で栽培される雑穀などの起源を説明したハイヌウェレ型神話が存在し、それが日本のオオゲツヒメ神話の原型となった可能性は、十分考えられそうである。”(同書P126)
と推測してます。
一見、もっともそうにも思えます。
しかしながらよくよく検証してみると、そうは簡単に結論づけられないのではないか、とも考えられます。
芋栽培と雑穀栽培の歴史は1万年以上前とされますが、どちらが古いのかはよくわかってません。ただ皆さん経験あると思いますが、芋栽培は、芋を分割して土に埋めれば、あとは自然に育って大きな芋ができあがるというとてもシンプルな方法です。あくまで感覚的なものでありますが、雑穀栽培より原初的な印象はあります。
ハイヌウェレ神話は
”ハイヌウェレは生き埋めにして殺され、ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。”
ということからわかるとおり、「芋栽培」を前提とした物語です。
またハイヌウェレ神話の中には、暴行・殺害など残忍な描写がみられ、より未開な印象を与えます。
こうしたことから、南洋などのハイヌウェレ神話が原型であり、そこから進化したのが、中国・インドシナの神話ではないか、という見方も可能です。
すなわち、
南洋(メラネシア)→インドシナ→中国江南地方→日本
という経路で伝わったのではないか、という仮説です。

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