日本神話の源流(14)~東南アジアとの比較 日食
最後に、アマテラスの天岩戸伝説の話について、みていきます。
古事記でのあらすじは、以下のとおりです。
"アマテラスは、イザナギがイザナミの居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生した。このとき右目から生まれた月読命(ツクヨミ)、鼻から生まれたスサノオと共に、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このときイザナギはアマテラスに高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した。
海原を委任されたスサノオは、イザナミのいる根の国に行きたいと言って泣き続けたためイザナギによって追放された。スサノオは根の国へ行く前に姉のアマテラスに会おうと高天原に上ったが、アマテラスは弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。
スサノオは身の潔白を証明するために誓約をし、アマテラスの物実から五柱の男神、スサノオの物実から三柱の女神が生まれ、スサノオは勝利を宣言する。
誓約で身の潔白を証明したスサノオは、 高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に乱暴を働いた。他の神はアマテラスに苦情をいうが、アマテラスは「考えがあってのことなのだ」とスサノオをかばった。
しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、スサノオが機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。ここでアマテラスは見畏みて、天岩戸に引き篭った。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。
そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神(オモイカネノカミ)の案により、さまざまな儀式をおこなった。
常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。鍛冶師の天津麻羅(アマツマラ)を探し、伊斯許理度売(イシコリドメノ)命に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八尺鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖(タマノオヤノ)命に八尺の勾玉の五百箇の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作らせた。
天児屋(アメノコヤネ)命と布刀玉(フトダマ)命を呼び、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八尺鏡と布帛をかけ、布刀玉命が御幣として奉げ持った。天児屋命が祝詞(のりと)を唱え、天手力男神(アメノタジカラヲ)が岩戸の脇に隠れて立った。
天宇受賣(アメノウズメ)命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
これを聞いたアマテラスは訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。
アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命がアマテラスに鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。
すぐに布刀玉命が注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうしてアマテラスが岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。
八百万の神は相談し、スサノオに罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。 ”(Wikipediaより抜粋)
この話について、岡正雄氏より、中国南部の苗(びょう)族、アッサムのカシ族・ナガ族にみられる、
”洞窟に隠れた太陽を、鶏を鳴かせたり花を見せておびき出すという筋の話との類似している。”(P128)と指摘されてます。
”日本神話でアマテラスの岩戸隠れの原因となった暴行を働いているスサノオは、日神と月神とともにイザナミのみそぎによって生まれた三貴子の一つであり、日と月の弟であるとされている。このように太陽と月に、悪行を働く末弟があり、これが太陽が隠れ、世界が闇に閉ざされる原因を作っているという点では、日本の天の岩戸神話は、インドシナに分布する日食起源神話と類似している。”(同書P129)
”同類の神話は、ラオスとカンボジアおよびミャンマーのパラカン族とシャン族の間に、わずかずつ形を変えて見出され、またそのかなり大幅に変容したヴァリアントと認められる話は、ベンガル湾のカル・ニコバル島にも伝わっている。”(P130)
このように、天岩戸伝説と同類の話は、インドシナに古くからあったと考えられます。ベンガル湾のカル・ニコバル島とは、インドシナ半島の西にあるアンダマン・ニコバル諸島の島です。
ちなみにアンダマン諸島といえば、現代日本人男性が多くもち縄文人の主体であったと考えられているY染色体のD1aの男性が多いことで、知られてます。
(日本ではD1a2、アンダマン諸島では、D1a3)
もしかして何か関係があるのでしょうか?
大林太良氏によれば、日食が太陽と月の弟によって引き起こされるという内容は、東南アジア大陸に独自の伝承である、としてます。
そしてこのうち、
(1)太陽と月は兄弟(または姉妹)であって、その下にもう一人弟(または妹)がある。
(2)この末の弟(または妹)が悪行を働く。
(3)日食(および月食)は、この弟(または妹)によって引き起こされる。
という点で、日本の天岩戸神話とほぼ正確に一致している(同書P132)。
と述べてます。
天岩戸伝説が日食のことを象徴的に表している、という説はよく聞きます。はたして本当にそうなのかは異論もあるところですが、東南アジアに起源があるのであれば、日食を表しているともいえそうです。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
古事記でのあらすじは、以下のとおりです。
"アマテラスは、イザナギがイザナミの居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生した。このとき右目から生まれた月読命(ツクヨミ)、鼻から生まれたスサノオと共に、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このときイザナギはアマテラスに高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した。
海原を委任されたスサノオは、イザナミのいる根の国に行きたいと言って泣き続けたためイザナギによって追放された。スサノオは根の国へ行く前に姉のアマテラスに会おうと高天原に上ったが、アマテラスは弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。
スサノオは身の潔白を証明するために誓約をし、アマテラスの物実から五柱の男神、スサノオの物実から三柱の女神が生まれ、スサノオは勝利を宣言する。
誓約で身の潔白を証明したスサノオは、 高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に乱暴を働いた。他の神はアマテラスに苦情をいうが、アマテラスは「考えがあってのことなのだ」とスサノオをかばった。
しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、スサノオが機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。ここでアマテラスは見畏みて、天岩戸に引き篭った。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。
そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神(オモイカネノカミ)の案により、さまざまな儀式をおこなった。
常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。鍛冶師の天津麻羅(アマツマラ)を探し、伊斯許理度売(イシコリドメノ)命に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八尺鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖(タマノオヤノ)命に八尺の勾玉の五百箇の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作らせた。
天児屋(アメノコヤネ)命と布刀玉(フトダマ)命を呼び、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八尺鏡と布帛をかけ、布刀玉命が御幣として奉げ持った。天児屋命が祝詞(のりと)を唱え、天手力男神(アメノタジカラヲ)が岩戸の脇に隠れて立った。
天宇受賣(アメノウズメ)命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
これを聞いたアマテラスは訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。
アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命がアマテラスに鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。
すぐに布刀玉命が注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうしてアマテラスが岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。
八百万の神は相談し、スサノオに罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。 ”(Wikipediaより抜粋)

”洞窟に隠れた太陽を、鶏を鳴かせたり花を見せておびき出すという筋の話との類似している。”(P128)と指摘されてます。
”日本神話でアマテラスの岩戸隠れの原因となった暴行を働いているスサノオは、日神と月神とともにイザナミのみそぎによって生まれた三貴子の一つであり、日と月の弟であるとされている。このように太陽と月に、悪行を働く末弟があり、これが太陽が隠れ、世界が闇に閉ざされる原因を作っているという点では、日本の天の岩戸神話は、インドシナに分布する日食起源神話と類似している。”(同書P129)
”同類の神話は、ラオスとカンボジアおよびミャンマーのパラカン族とシャン族の間に、わずかずつ形を変えて見出され、またそのかなり大幅に変容したヴァリアントと認められる話は、ベンガル湾のカル・ニコバル島にも伝わっている。”(P130)
このように、天岩戸伝説と同類の話は、インドシナに古くからあったと考えられます。ベンガル湾のカル・ニコバル島とは、インドシナ半島の西にあるアンダマン・ニコバル諸島の島です。
ちなみにアンダマン諸島といえば、現代日本人男性が多くもち縄文人の主体であったと考えられているY染色体のD1aの男性が多いことで、知られてます。
(日本ではD1a2、アンダマン諸島では、D1a3)
もしかして何か関係があるのでしょうか?
大林太良氏によれば、日食が太陽と月の弟によって引き起こされるという内容は、東南アジア大陸に独自の伝承である、としてます。
そしてこのうち、
(1)太陽と月は兄弟(または姉妹)であって、その下にもう一人弟(または妹)がある。
(2)この末の弟(または妹)が悪行を働く。
(3)日食(および月食)は、この弟(または妹)によって引き起こされる。
という点で、日本の天岩戸神話とほぼ正確に一致している(同書P132)。
と述べてます。
天岩戸伝説が日食のことを象徴的に表している、という説はよく聞きます。はたして本当にそうなのかは異論もあるところですが、東南アジアに起源があるのであれば、日食を表しているともいえそうです。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。
にほんブログ村
スポンサーサイト