日本神話の源流(29)~「世界神話」のなかの天地創造
前回は、現生人類がアフリカを出る前にもっていた神話があり、それが人類の拡散とともに世界に広がり各地域で発展した、という「世界神話」仮説についてでした。
具体的には、
1.パン・ガイア神話
アフリカにいた人々が、出アフリカ前にもっていた神話
2.出アフリカ神話
アフリカを出て、アラビア半島からインドに到達した人々がもっていた神話
3.ゴンドワナ神話
アラビア半島・インドから東へ向かい、ニューギニア・オーストラリアに到達した人々がもっていた神話
4.ローラシア神話
(1)アラビア半島・インドから東へ向かい、東南アジア~中国~シベリア~北米~南米と到達した人々がもっていた神話
(2)アラビア半島・インドから北へ向かい、中央アジアステップ地帯にと到達した人々がもっていた神話
(3)アラビア半島・インドから北東に向かい、ヨーロッパや、アフリカ北部に到達した人々がもっていた神話
です。
このうち、このなかで3番目に古いゴンドワナ神話と、もっとも新しいローラシア神話について、みていきます。
まずゴンドワナ神話ですが、特徴として、
1.創造神話の欠如(すでに存在する世界に人類が出現するという形が一般的)
2.女性呪術師の欠如
が挙げられてます。
ローラシア神話では、
1.宇宙と世界の起源
2.神々の系譜
3.半神的英雄の時代
4.人類の出現
5.王の系譜の起源
6.世界の終末(と場合によってはそこからの復活)
という一連の連続性がある、としてます。
ゴンドワナ神話では「創造神話が欠如」しているのに対して、ローラシア神話では「宇宙と世界の起源」があり、対照的です。
創造神話というと、聖書を思い出します。聖書においては、この世の初めに存在するものは、神のみです。
"はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。"(創世記 1章1-8節(口語訳聖書)、Wikipediaより)
このように聖書では、神が天地を創造します。創造神話があるので、ローラシア神話ということになります。
一方、日本の神話はどうでしょうか。古事記を読み下しします。
”天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。
次に国稚く浮ける脂の如くして、海月なす漂えるとき、葦牙の如く萌え騰る物によりて、成りし神の名は宇摩志阿斯訶備比古遲神、次に天之常立神。”
聖書のように、神が天地を創造した、という形にはなってません。天地ができたあとに、天之御中主神(あめのなかぬし)・高御産巣日神(たかむすび)・神産巣日神(かみむすび)の三神が生まれてます。
では、創造神話がないといえるのかというと、そうではありません。
冒頭に「天地が初めて撥けし」とあります。創造神話の欠如を、
「すでに存在する世界に人類が出現するという形」
と定義すれば、これにはあてはまりません。
逆にきわめて短い描写ですが、ローラシア神話の条件である「宇宙と世界の起源」が語られています。つまり創造神話があるといえます。
日本書紀では、もう少し詳細に表現されてます。これは次回、とりあげます。
このように見てくると、日本神話はローラシア神話の特徴をもっている、といえます。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
具体的には、
1.パン・ガイア神話
アフリカにいた人々が、出アフリカ前にもっていた神話
2.出アフリカ神話
アフリカを出て、アラビア半島からインドに到達した人々がもっていた神話
3.ゴンドワナ神話
アラビア半島・インドから東へ向かい、ニューギニア・オーストラリアに到達した人々がもっていた神話
4.ローラシア神話
(1)アラビア半島・インドから東へ向かい、東南アジア~中国~シベリア~北米~南米と到達した人々がもっていた神話
(2)アラビア半島・インドから北へ向かい、中央アジアステップ地帯にと到達した人々がもっていた神話
(3)アラビア半島・インドから北東に向かい、ヨーロッパや、アフリカ北部に到達した人々がもっていた神話
です。
このうち、このなかで3番目に古いゴンドワナ神話と、もっとも新しいローラシア神話について、みていきます。
まずゴンドワナ神話ですが、特徴として、
1.創造神話の欠如(すでに存在する世界に人類が出現するという形が一般的)
2.女性呪術師の欠如
が挙げられてます。
ローラシア神話では、
1.宇宙と世界の起源
2.神々の系譜
3.半神的英雄の時代
4.人類の出現
5.王の系譜の起源
6.世界の終末(と場合によってはそこからの復活)
という一連の連続性がある、としてます。
ゴンドワナ神話では「創造神話が欠如」しているのに対して、ローラシア神話では「宇宙と世界の起源」があり、対照的です。
創造神話というと、聖書を思い出します。聖書においては、この世の初めに存在するものは、神のみです。
"はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。"(創世記 1章1-8節(口語訳聖書)、Wikipediaより)
このように聖書では、神が天地を創造します。創造神話があるので、ローラシア神話ということになります。
一方、日本の神話はどうでしょうか。古事記を読み下しします。
”天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。
次に国稚く浮ける脂の如くして、海月なす漂えるとき、葦牙の如く萌え騰る物によりて、成りし神の名は宇摩志阿斯訶備比古遲神、次に天之常立神。”
聖書のように、神が天地を創造した、という形にはなってません。天地ができたあとに、天之御中主神(あめのなかぬし)・高御産巣日神(たかむすび)・神産巣日神(かみむすび)の三神が生まれてます。
では、創造神話がないといえるのかというと、そうではありません。
冒頭に「天地が初めて撥けし」とあります。創造神話の欠如を、
「すでに存在する世界に人類が出現するという形」
と定義すれば、これにはあてはまりません。
逆にきわめて短い描写ですが、ローラシア神話の条件である「宇宙と世界の起源」が語られています。つまり創造神話があるといえます。
日本書紀では、もう少し詳細に表現されてます。これは次回、とりあげます。
このように見てくると、日本神話はローラシア神話の特徴をもっている、といえます。
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