隋書倭国伝を読む その6 ~ 阿蘇山が象徴的に描かれている理由とは?
倭(原文は俀(たい))国の風俗の話が続きます。
【現代訳】
楽器には、五弦の琵琶・琴・笛がある。男も女も、臂(ひじ)に入れ墨したり、顔に小さな印をつけたり、身体に入れ墨したりしており、潜水で魚を捕っている。文字はなく、ただ木に刻み目をつけたり、縄に結び目をつくったりして文字のかわりにしていた。仏教を敬い、百済から仏教経典を求め得るようになってから、はじめて字をもった。占易(うらない)をすることを知ってはいるが、巫女の神おろしの方をより信ずる。
毎年正月一日には必ず射的競技をし、酒宴を開く。その他の季節ごとの行とれる事は、だいたい中国と同じである。倭人は、碁・双六・さいころばくちが好きである。気候は温暖で、草木は冬でも枯れることがなく、緑をなし、地味は豊かで、川や湖が多く、陸地は少ない。首に小さな輪をかけ、紐をつけた鵜(う)を水にもぐらせて魚を捕えさせると、一日に百匹余りもとれる。
【解説】
人びとの生活が描かれています。水に潜り魚を捕る、とありますが、魏志倭人伝にも同様の記載があることから、海での話と考えるべきです。また、陸地が少ないとあることからも、内陸の山地というより、海に近い地域の話であることがわかります。魏志倭人伝の記載については、
「魏志倭人伝を読む その3 ~倭の風俗 倭人は海洋民族だった!(2015/5/1号)」
を参照ください。
また、鵜飼いの話が出てきます。鵜飼いというと、すぐに長良川を連想してしまいますが、鵜(海鵜)は全国各地の海岸で生息してます。そして北九州の海岸にも多く生息してます。
長良川の鵜飼い

鵜に関連してもう一つ。実は、神武天皇の父の名前が、日子波限建鵜葺草葺不合(ひこなぎさたけるうがやふきあえず)なのです。
古田武彦氏は、鵜葺草葺は姓ではないか、そして職に関連しているのではないか、との説を提唱してます。詳細はいずれお話ししますが、少なくともなにかしら鵜に関連していたことは間違いないでしょう。神武天皇の東征の出発地は、筑紫の日向ですから、隋書のこの話も、九州北部の話と考えるのが自然です。
【現代訳】
民衆の間では、皿やまな板は使わない。食物を盛るには柏の葉を敷き、手づかみで食べる。人々の性質は素朴で正直であり、雅やかでさえある。女が多く、男が少ない。結婚するときは、同姓を避ける。男女で互いに好き合った者は、すぐ結婚する。新婦が夫の家に入るときは、必ず最初に戸口の火をまたいでから新夫と顔を合わせる。夫人はみだらでなくやきもちをやかない。
死者を埋葬するには、棺と槨(かく)とに収める。親戚客人は遺体の傍らで歌い踊って弔い、死者の妻子兄弟は白布で喪服をつくる。貴人の場合は、三年間、家の外にかりもがりをし、一般民衆の場合は、日を選んで埋葬する。埋葬には、船の上に遺骸を乗せ、地上を綱で引く。遺骸を小さな輿にのせることもある。
【解説】
日々の生活の様子がわかります。結婚については、比較的自由にできたようです。面白いのは、新婦が夫の家に初めて入るときです。新婦が火をまたぐという風習があったとのことです。今でも東南アジアにはあるようです。なお原文では、火ではなく犬となっており、原文による解釈もできますが、長くなるのでここまでにとどめます。
【現代訳】
阿蘇山という山がある。突然噴火し、その火が天にも届かんばかりとなる。人々はこれを異変だとして、そのために祈祷祭祀を行う。如意宝珠(にょいほうしゅ)という珠がある。その色は青で、大きな鶏卵ほどもあり、夜には光を発する。倭人は「魚眼精(魚の眼)」といっている。
新羅・百済では、倭国を大国で珍しい物が多い国と考えて、両国とも倭国を畏(かしこ)み、うやまい、常に使節を行き来させている。
【解説】
阿蘇山の話が出てきます。さて、ここで不思議に思わないでしょうか?。国の象徴的な山として、なぜ阿蘇山なのでしょうか?。
もし飛鳥地方に朝廷があったのなら、活火山や風光明媚な山、あるいは信仰の対象としていた山が、他にもあったはずです。もちろんこのときまでに全国統一していたなら、富士山のことを書いてもよかったでしょう。なぜ阿蘇山なのでしょうか?。
答えは、きわめてシンプルです。阿蘇山が、朝廷にとって信仰の対象として、特別な意味をもっていたからです。
そして当然のことながら、その山はその地方の生活に密着していたはずです。
つまり、 俀国の朝廷は阿蘇山の近くにあったということに他なりません。
阿蘇山

如意宝珠(にょいほうしゅ)という珠の話が出てきますが、これが難問です。如意宝珠とは、さまざまな霊験を表すとされる宝の珠(たま)のことです。文面から察するに、青い蛍光の性質をもった宝石のことでしょうか?。
青く美しい宝石と言えば、ラピスラズリが有名です。和名は瑠璃で、世界で最初にパワーストーンとして認識された石と言われ、「最強の聖石」と呼ばれてます。古代より装飾品に利用され、あのツタンカーメン王のマスクにも使われています。(Wikipediaより)
ラピスラズリは、福岡県の宮地嶽古墳から丸玉や壺などが出土するなど、他地域の遺跡からも出土してます。となると、この如意宝珠がラピスラズリである可能性はありうると考えられます。
なおラピスラズリは、古代の原産地はアフガニスタンがほとんどなので、西アジアの品々が、当時の日本に入ってきていたことになります。
ラピスラズリの原石

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【現代訳】
楽器には、五弦の琵琶・琴・笛がある。男も女も、臂(ひじ)に入れ墨したり、顔に小さな印をつけたり、身体に入れ墨したりしており、潜水で魚を捕っている。文字はなく、ただ木に刻み目をつけたり、縄に結び目をつくったりして文字のかわりにしていた。仏教を敬い、百済から仏教経典を求め得るようになってから、はじめて字をもった。占易(うらない)をすることを知ってはいるが、巫女の神おろしの方をより信ずる。
毎年正月一日には必ず射的競技をし、酒宴を開く。その他の季節ごとの行とれる事は、だいたい中国と同じである。倭人は、碁・双六・さいころばくちが好きである。気候は温暖で、草木は冬でも枯れることがなく、緑をなし、地味は豊かで、川や湖が多く、陸地は少ない。首に小さな輪をかけ、紐をつけた鵜(う)を水にもぐらせて魚を捕えさせると、一日に百匹余りもとれる。
【解説】
人びとの生活が描かれています。水に潜り魚を捕る、とありますが、魏志倭人伝にも同様の記載があることから、海での話と考えるべきです。また、陸地が少ないとあることからも、内陸の山地というより、海に近い地域の話であることがわかります。魏志倭人伝の記載については、
「魏志倭人伝を読む その3 ~倭の風俗 倭人は海洋民族だった!(2015/5/1号)」
を参照ください。
また、鵜飼いの話が出てきます。鵜飼いというと、すぐに長良川を連想してしまいますが、鵜(海鵜)は全国各地の海岸で生息してます。そして北九州の海岸にも多く生息してます。
長良川の鵜飼い

鵜に関連してもう一つ。実は、神武天皇の父の名前が、日子波限建鵜葺草葺不合(ひこなぎさたけるうがやふきあえず)なのです。
古田武彦氏は、鵜葺草葺は姓ではないか、そして職に関連しているのではないか、との説を提唱してます。詳細はいずれお話ししますが、少なくともなにかしら鵜に関連していたことは間違いないでしょう。神武天皇の東征の出発地は、筑紫の日向ですから、隋書のこの話も、九州北部の話と考えるのが自然です。
【現代訳】
民衆の間では、皿やまな板は使わない。食物を盛るには柏の葉を敷き、手づかみで食べる。人々の性質は素朴で正直であり、雅やかでさえある。女が多く、男が少ない。結婚するときは、同姓を避ける。男女で互いに好き合った者は、すぐ結婚する。新婦が夫の家に入るときは、必ず最初に戸口の火をまたいでから新夫と顔を合わせる。夫人はみだらでなくやきもちをやかない。
死者を埋葬するには、棺と槨(かく)とに収める。親戚客人は遺体の傍らで歌い踊って弔い、死者の妻子兄弟は白布で喪服をつくる。貴人の場合は、三年間、家の外にかりもがりをし、一般民衆の場合は、日を選んで埋葬する。埋葬には、船の上に遺骸を乗せ、地上を綱で引く。遺骸を小さな輿にのせることもある。
【解説】
日々の生活の様子がわかります。結婚については、比較的自由にできたようです。面白いのは、新婦が夫の家に初めて入るときです。新婦が火をまたぐという風習があったとのことです。今でも東南アジアにはあるようです。なお原文では、火ではなく犬となっており、原文による解釈もできますが、長くなるのでここまでにとどめます。
【現代訳】
阿蘇山という山がある。突然噴火し、その火が天にも届かんばかりとなる。人々はこれを異変だとして、そのために祈祷祭祀を行う。如意宝珠(にょいほうしゅ)という珠がある。その色は青で、大きな鶏卵ほどもあり、夜には光を発する。倭人は「魚眼精(魚の眼)」といっている。
新羅・百済では、倭国を大国で珍しい物が多い国と考えて、両国とも倭国を畏(かしこ)み、うやまい、常に使節を行き来させている。
【解説】
阿蘇山の話が出てきます。さて、ここで不思議に思わないでしょうか?。国の象徴的な山として、なぜ阿蘇山なのでしょうか?。
もし飛鳥地方に朝廷があったのなら、活火山や風光明媚な山、あるいは信仰の対象としていた山が、他にもあったはずです。もちろんこのときまでに全国統一していたなら、富士山のことを書いてもよかったでしょう。なぜ阿蘇山なのでしょうか?。
答えは、きわめてシンプルです。阿蘇山が、朝廷にとって信仰の対象として、特別な意味をもっていたからです。
そして当然のことながら、その山はその地方の生活に密着していたはずです。
つまり、 俀国の朝廷は阿蘇山の近くにあったということに他なりません。
阿蘇山

如意宝珠(にょいほうしゅ)という珠の話が出てきますが、これが難問です。如意宝珠とは、さまざまな霊験を表すとされる宝の珠(たま)のことです。文面から察するに、青い蛍光の性質をもった宝石のことでしょうか?。
青く美しい宝石と言えば、ラピスラズリが有名です。和名は瑠璃で、世界で最初にパワーストーンとして認識された石と言われ、「最強の聖石」と呼ばれてます。古代より装飾品に利用され、あのツタンカーメン王のマスクにも使われています。(Wikipediaより)
ラピスラズリは、福岡県の宮地嶽古墳から丸玉や壺などが出土するなど、他地域の遺跡からも出土してます。となると、この如意宝珠がラピスラズリである可能性はありうると考えられます。
なおラピスラズリは、古代の原産地はアフガニスタンがほとんどなので、西アジアの品々が、当時の日本に入ってきていたことになります。
ラピスラズリの原石

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