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古事記・日本書紀のなかの史実 (2)~解明の基本スタンス

前回は、通説の一丁目一番地ともいえる津田左右吉氏の言説をみました。

意外なことに津田氏は、邪馬台国は北部九州にあり、畿内のヤマト王権とば別のものとしてます。その畿内ヤマト王権が邪馬台国を屈服させた、としてます。

細かい点は別にして、おおまかな流れとしては私の説と共通するものがあるのが、面白いところです。

さてこれから古事記・日本書紀のなかの史実を解明していきますが、あらためてその基本的スタンスをお話します。なぜ私がたびたびこれを強調するのかというと、ここがぶれていては、他人と議論する場合、話がかみ合わなくなる場合が多いからです。

基本的スタンスは、神話等はなにがしかの史実を物語にした可能性があるという前提のもと、日本の古代史を解明していくというものです。そしてその手法として、
1.史書(日本・外国)の解読
2.考古学的成果
3、神社や地方伝承
4.年代測定法、遺伝子学、気候天文学、地質学等の科学的データ
等を総合的にみて、すべてにおいて矛盾なく説明しうる仮説こそ、もっとも可能性の高い説である、とするものです。

たとえばある史書を読み、「何々~」と解釈できるとしても、その説が上のすべてにおいて矛盾ないものになっているのか、それが検証されない限りあくまで一つの仮説にすぎない、と考えてます。
もちろんはるか昔の古代のことですから、すべてが完璧にできるわけではありませんが、少なくともこのような手順を緻密に積み重ねていけば、A説、B説、C説という仮説があった場合、どの説がより可能性が高いのかが検証できます。

特に重視すべきは客観的データです。統計データや科学的データなどを用いながら、ひとつひとつの事柄について、何が事実と考えられるのか、それを明らかにしていけば、真実はおのずと見えてくるはずです。まさに「データは語る」ということです。

興味深いことに、津田氏も同様のことを強調されてます。

”またこういう解釈や説明をする場合の人種や民族に関する知識は、記紀の記載からまったく離れた独立の研究によって得たものでなくてはならぬ。
”記紀の解釈をするにあたって、文献の外の知識、たとえば考古学の知識などを借りることである。”
”考古学を考古学として独立に研究した上での知識でなくてはならぬ。”
”もっぱら遺跡や遺物そのものによらなければならない。”
未だ批判を経ない記紀の記載に、いい加減の、あるいはほしいままな意義をつけ加え、その助けによってつくりあげられたエセなる考古学があるとすれば、それは考古学としての本領を傷つけるものであると同時に、また決して記紀の批判の助けとなる資格のないものである。記紀の研究のほうからいうと、その批判の準拠しようと思う考古学が逆に記紀を用いていたのでは、何にもならぬのである”
(以上「古事記及び日本書紀の研究、建国の事情と万世一系の思想」(津田左右吉)P61-63)

たとえば考古学についてですが、それはあくまで考古学として独立したものでなければならない、と述べてます。
ある遺跡が発掘された場合、それが何なのか、というのは、あくまでその遺跡からわかることだけを考察すべきであって、古事記・日本書紀にこう書いてあるから、という理由で断定してはいけないということです。

一番いい例が、古墳の被葬者です。たとえば、先般世界遺産に登録された大山陵古墳です。
世界遺産登録においても、「仁徳天皇陵」としてますが、いかがなものでしょうか?。
古墳の被葬者を特定するには、墓銘碑・墓誌などの出土が必須ですが、大山陵古墳からは出土してません。
仁徳天皇陵とする論拠は、毛受之耳原もずのみみはら)に陵墓がある(古事記)、毛受之耳原(もずのみみはら)に陵墓がある(日本書紀)だけです。延喜式にも同様の記載がありますが、平安時代に作られたものなので、古事記・日本書紀の記載元にした可能性が高いでしょう。

したがって、大山陵古墳が仁徳天皇陵と断定できるものは、ひとつもないのです。
もちろん古事記・日本書紀にある記載から、仁徳天皇陵の可能性はありますが、あくまでひとつの仮説としておくべきでしょう。

大仙陵古墳

またその他の古墳でも、テレビ・新聞などでも
”この古墳は巨大古墳であり、日本書紀によると当時の天皇は「○○天皇」だから、この古墳は「○○天皇の墓」と考えられる。”
との見解を耳にすることがよくありますが、これも全く同じ図式です。

こうした事例は、まさしく津田氏のいうところの「エセ考古学」ということになります。

したがってやはり史実を解明していくためには、4の年代測定法、遺伝子学、気候天文学、地質学等の科学的データをもとに、古事記・日本書紀などをみていくことが、ポイントだと考えます。これらの科学的データで説明できない解釈は成立しない、ということになります。

ところで、私はこれまでさまざまな説をお話してきましたが、これに対して、
「なぜそんなことがいえるのだ。断定できるほどの根拠はないじゃないか。」
という反論をする方がいます。

私はそのような方に対して、逆に次のような質問をします。
「ではあなたの説には、断定できるだけの根拠があるのでしょうか?」

つまり、いわゆる通説に対しても、まったく同じことがいえるのです。
歴史においては、推測するための資料が限られてます。まして2千年近く前の話となれば、ごくごくわずかのものしかありません。きわめて限定された資料のなかで仮説を立て、検証を重ねていくしかありません。

したがって、あらゆる説は「仮説」のままであって、断定できるものはほとんどないといっていいでしょう。そのようなかにおいて、どの説が確率論的にみてもっとも可能性が高いと考えられるか、というスタンスが大切だと考えてます。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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