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古事記・日本書紀のなかの史実 (5)~天地開闢(てんちかいびゃく)

 今回から、いよいよ古事記・日本書紀を読みながら、みていきます。

ここまでお話しているとおり、両書には内容に大きな違いがある箇所があり、そのすべてを取り上げると煩雑になり、かえってわかりにくくなってしまうので、基本的には古事記をベースとして、それを補う形で日本書紀をとりあげる、というスタイルでいきます。

ところで古事記といえば、江戸時代の研究者である本居宣長が有名です。彼は「古事記は史実に即したもの」という理解のもと、古事記全般について研究し、その集大成を「古事記伝」にまとめてます。個々の解釈について問題が多いのは事実ですが、実に詳細に検討しており参考になるので、引用したいと思います。

では古事記の冒頭からです。読みは「本居宣長『古事記伝』を読むⅠ」(神野志隆光)によります。

"天地の初発(はじめ)の時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬし)神。次に高御産巣日(たかみむすび)神。次に神御産巣日(かみむすび)神。この三柱の神は、並(みな)独神成り座して、身を隠したまひき。
次に国稚く浮脂(うきあぶら)の如くして、くらげのなすただよえる時に、葦牙(あしかび)の如萌え謄(あが)る物に因りて成りませる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこ)神。次に天之常立(とこたち)神。この二柱の神も亦独神成り座して、身を隠したまひき。
上の件五柱の神は別天(ことあま)つ神。"

有名な、天地開闢(てんちかいびゃく)です。

冒頭から、重要な論点が出てきます。
「天地初発時」を、本居宣長は、「天地のはじめのとき」と読み下してます。これについて、
天地以前に神があり、その神のはたらきのもとに天地をはじめすべてが生成される、という世界のはじまりを語るものとして読まなければばらない”(同書P30)
という本居宣長の解釈です。

もっとも「天地初発」を天地が成ったというのではなく、次の「浮脂(うきあぶら)」にあるとしてます。
”この浮脂のような物がひとむら生じたという。これが天地になるものであって、天にあるべき物と地になるべき物とはまだ分かれず、ひとつにまじっている。「日本書紀」の一書に天地混成之時というのがこれだ。(同書P32)

そしてその浮脂のようにただよっているものが、「葦牙の如萌え謄る」ということが、
”ひとかたまりのなかから、萌えあがって天と成り、地と成るべきものはのこりとどまって、後に地となった”(同書P33)

こまごまと解説してますが、ようは宣長は日本書紀との対比から、古事記冒頭には「天地創造」が描かれている、と主張してるわけです。

しかしながら、この解釈は無理があるようです。著書の神野志氏は、
"天地が既に成り立ち、天の世界・高天原に神々が登場するところから語りはじめる(天地の創造はふれない)と見るべきです。そして、地の側は、まだ「国」とないえないような、クラゲのように漂っているだけの状態だというのです。”(同書P37)
と述べてます。

また「天地初発」は、天地がすでにあってうごきはじめていることをいうものとして、新編日本古典文学全集では、アメツチハジメテアラハレシと訓んでます(同書P38)。

たしかに原文は「天地初発之時」であり、このとき神様が成ったといっているのですから、あくまでこれは神様が成った「時」を説明しているのであり、「天地創造」のことをいっているのではない、と解釈するのが自然と考えます。

では日本書紀は、どのように描いているのでしょうか。本文です。

昔、天と地が分かれず、陰と陽とが分かれていなかったとき、渾沌として形の定まらないことは鶏卵の中身のごとくであり、自然の気がおこり薄暗いなかにきざしを含むものであった。気がわかれて、陽気は軽く清らかで高く揚がって天となり、陰気は重く濁っていて滞って地となった。すなわち、清くこまかなものはまとまりやすく、重く濁ったものはかたまりにくい。だから、天がまず成って、地が後に定まった。然る後に神がその天地の中に生じた。

明らかに冒頭は、天と地が分かれる前の状態です。そのような状態から天と地が分かれてますから、「天地創造」が描かれているといえます。古事記とは明らかな違いがあります。

ちなみに冒頭の箇所は、中国の古典の『淮南子』の「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」によっているとする説があります(坂本太郎『日本書紀 上』岩波書店〈日本古典文学大系 67〉、P543)。

日本書紀に、中国の陰陽五行説が反映されていることに注目です。中国の思想の影響を強く受けていることは、明らかですね。

以上から天地開闢について、古事記と日本書紀では一見似ているようで、大きな違いがあることがわかりました。

次の図で、以上の関係をイメージ化しました。日本書紀原文も記載しましたが、これを読むと、やはり古事記とは明確な違いがあることがわかります。
天地開闢
   
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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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