古事記・日本書紀のなかの史実 (7)~天之御中主(アメノミナカヌシ)の謎
では続きに進みましょう。
あらためて、冒頭「天地開闢」の読み下し文です。今回は、「古事記 祝詞」(倉野憲司・武田祐吉校注)からです。
"天地初めて発(ひらけし)時、高天の原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬしの)神。次に高御産巣日(たかみむすひの)神。次に神御産巣日(かみむすひの)神。此の三柱の神は、並(みな)独神と成り座(ま)して、身を隠したまひき。
国稚(くにわか)く浮きし脂(あぶら)の如くして、くらげのなすただよへる時、葦牙(あしかび)の如く萌え謄(あが)る物に因りて成れる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこの)神。次に天之常立(とこたちの)神。この二柱の神も亦、独神と成り座(ま)して、身を隠したまひき。
上(かみ)の件(くだり)の五柱の神は、別天(ことあま)つ神”
天地が分かれてから、高天原に現れた神が「造化三神」で、そのはじめが天之御中主(アメノミナカヌシ)神です。この神は、謎の神です。
”神名は天の真中を領する神を意味する。『古事記』では神々の中で最初に登場する神であり、別天津神にして造化三神の一柱。『日本書紀』の正伝には記述がなく、異伝(第一段の第四の一書)に天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)として記述されている。『古事記』『日本書紀』共にその事績は何も記されていない。そのため天之御中主神は中国の思想の影響により創出された観念的な神であるとされるが、これに否定的な論もある。
『古事記』、『日本書紀』ともに天之御中主神に関する記述は非常に少なく、『延喜式神名帳』にも天之御中主神の名前や祭った神社の記載はない。そのため、天之御中主神は中国の天帝の思想の影響によって机上で作られた神であると解釈されてきた。しかし天之御中主神には倫理的な面は全く無いので、中国の思想の影響を受けたとは考え難いとする意見もある。至高の存在とされながらも、信仰を失って形骸化した天空神は世界中で多くの例が見られるものであり、天之御中主神もその一つであるとも考えられる。
日本神話の中空構造を指摘した河合隼雄は、月読命(つくよみのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)と同様、無為の神(重要な三神の一柱として登場するが他の二柱と違って何もしない神)として天之御中主神を挙げている。”(Wikipediaより)
以上のとおり、しばしば大胆な解釈も載せるWikipediaでさえ、あいまいです。それくらい、解釈するための資料、材料がないということでもあります。
「天之御中主」という名前は、「宇宙の中心にいる」というニュアンスです。中国の道教の影響を受けているともされますが、何ともいえません。いずれにしろ古事記においては最初に登場する神でもありますから、「至高の神」であることは間違いでしょう。
ところが不思議なことに、日本書紀本文には登場しません。わずかに、異伝(第一段の第四の一書)に出てくるのみです。
これは何を意味しているのでしょうか?
古事記や日本書紀異伝に記載されているということは、かつては存在した神だったことは確実です。それが何らかの理由で、正史である日本書紀の本文ではカットされたと考えられます。
その理由ははっきりしませんが、「天之御中主神」が道教思想によるものだったなら、日本書紀が編纂された8世紀前半は、仏教の布教に力を入れていた時代だったことが影響したのかもしれません。
新著です。よろしくお願い申し上げます!!
あらためて、冒頭「天地開闢」の読み下し文です。今回は、「古事記 祝詞」(倉野憲司・武田祐吉校注)からです。
"天地初めて発(ひらけし)時、高天の原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬしの)神。次に高御産巣日(たかみむすひの)神。次に神御産巣日(かみむすひの)神。此の三柱の神は、並(みな)独神と成り座(ま)して、身を隠したまひき。
国稚(くにわか)く浮きし脂(あぶら)の如くして、くらげのなすただよへる時、葦牙(あしかび)の如く萌え謄(あが)る物に因りて成れる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこの)神。次に天之常立(とこたちの)神。この二柱の神も亦、独神と成り座(ま)して、身を隠したまひき。
上(かみ)の件(くだり)の五柱の神は、別天(ことあま)つ神”
天地が分かれてから、高天原に現れた神が「造化三神」で、そのはじめが天之御中主(アメノミナカヌシ)神です。この神は、謎の神です。
”神名は天の真中を領する神を意味する。『古事記』では神々の中で最初に登場する神であり、別天津神にして造化三神の一柱。『日本書紀』の正伝には記述がなく、異伝(第一段の第四の一書)に天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)として記述されている。『古事記』『日本書紀』共にその事績は何も記されていない。そのため天之御中主神は中国の思想の影響により創出された観念的な神であるとされるが、これに否定的な論もある。
『古事記』、『日本書紀』ともに天之御中主神に関する記述は非常に少なく、『延喜式神名帳』にも天之御中主神の名前や祭った神社の記載はない。そのため、天之御中主神は中国の天帝の思想の影響によって机上で作られた神であると解釈されてきた。しかし天之御中主神には倫理的な面は全く無いので、中国の思想の影響を受けたとは考え難いとする意見もある。至高の存在とされながらも、信仰を失って形骸化した天空神は世界中で多くの例が見られるものであり、天之御中主神もその一つであるとも考えられる。
日本神話の中空構造を指摘した河合隼雄は、月読命(つくよみのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)と同様、無為の神(重要な三神の一柱として登場するが他の二柱と違って何もしない神)として天之御中主神を挙げている。”(Wikipediaより)
以上のとおり、しばしば大胆な解釈も載せるWikipediaでさえ、あいまいです。それくらい、解釈するための資料、材料がないということでもあります。
「天之御中主」という名前は、「宇宙の中心にいる」というニュアンスです。中国の道教の影響を受けているともされますが、何ともいえません。いずれにしろ古事記においては最初に登場する神でもありますから、「至高の神」であることは間違いでしょう。
ところが不思議なことに、日本書紀本文には登場しません。わずかに、異伝(第一段の第四の一書)に出てくるのみです。

これは何を意味しているのでしょうか?
古事記や日本書紀異伝に記載されているということは、かつては存在した神だったことは確実です。それが何らかの理由で、正史である日本書紀の本文ではカットされたと考えられます。
その理由ははっきりしませんが、「天之御中主神」が道教思想によるものだったなら、日本書紀が編纂された8世紀前半は、仏教の布教に力を入れていた時代だったことが影響したのかもしれません。
新著です。よろしくお願い申し上げます!!
最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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