古事記・日本書紀のなかの史実 (13)~大八州(おおやしま)はどこか?
続いて、イザナギ・イザナミが次々に国を生んでいきます。
はじめに、八つの大きな州(しま)すなわち大八州(おおやしま)を生みます。
ここでも、古事記と日本書紀では記載が異なっています。下表にまとめました。一番右に、通説を載せてます。

次の図は、通説の比定地です。

さて、上の表及び図をみて、何か気づくことがあるでしょうか?
1.嶋のほとんどが西日本にあります。中心が畿内であるなら、東日本にもっと嶋があってもいいはずです。たとえば伊豆大島などです。大倭豊秋津嶋が本州だからおかしくないという考えもありますが、はたしてどうでしょうか?。
2.次に目につくのは、島の大きさがバラバラなことです。一番大きい大倭豊秋津嶋(本州)と比べると、一番小さい伊岐嶋(壱岐島)はとても小さいですね。古代の人が神話を創作する際、島を選ぶときに、このような選び方をするであろうか、という素朴な疑問が湧きます。どうせ選ぶなら、似たような大きさの島を選ぶのが自然です。
それ以前に、そもそも古代の人は本州を島と認識していたのだろうか、という疑問も浮かびます。
3.日本書紀に出てくる「大州」「越州」が古事記にはありません。代わりに古事記では、伊岐嶋(壱岐島)、津嶋(対馬)になってます。
4.もうひとつ、神話の主舞台である「出雲」がありません。これはどうしたことでしょうか?。また同じく神話にしばしば出てくる「越の国(越州)」も、古事記の大八州にありません。
この疑問に対して、通説では、「出雲」「越の国」は本州である「大倭豊秋津嶋」のなかにあるから書かれないのだ、という説明をします。
しかしながらもしそうであるなら、吉備児島(児島半島)も本州の一部でありながら書かれていることと矛盾します。
以上のとおり、通説では説明できないことが多々あります。
これらの疑問に対して、古田武彦氏は「記紀の秘密」において、明快な説を提示しています。
まず日本書紀の「州」ですが、これは一般的な「島(シマ)」ではなく、「州(クニ)」である、というのです。
これは日本書紀をみればわかります。
”是に於いて、彼の嶋に降居して、因りて共に夫婦と為り、州国(クニ)を産生せんと欲す。”
((イザナギ・イザナミは)そこでこの嶋にお降りになって、夫婦の行為を行って国土を生もうとなされた。)(神代紀、第四段、本文)
古田氏は、日本書紀のクニは、一定のルールに基づいて記載されているとして、次のルールを挙げてます。
(1)「州」(クニ)は、限定された「一定領域」を指す言葉である。
(2)「AのB]という形は、”A国の中のB領域”という意味である。(P164)
当然、「AのB」という形は、Aという州(クニ)のなかのBであるから、Aより狭い領域となります。
ではこのルールに沿って、みてみましょう。
まず「AのB」の形です。
・伊豫二名州
「伊予のクニの中の二名という領域」
・億岐三子州
「隠岐のクニの中の三子という領域」
次に「州」のみのクニです。
・淡路州
「淡路のクニ」。古事記では「淡道之穂之狭別嶋」なので、「淡路のクニの穂之狭別という領域」となります。
・伊岐州
「壱岐のクニ」
・對馬州
「対馬のクニ」
・佐度州
「佐渡のクニ」
以上のとおりで、問題はありません。
さらにみてみましょう。
・越州
「越のクニ」。これも明らかでしょう。北陸地方(越前・越中・越後)の「越の国」ですね。
・大州
「大のクニ」。これが通説では愛媛県の大島、山口県の大島などに当てられますが、これらの島は他の島に比べてかなり小さく、一つのクニではないので、ルールに従えば「伊予の大州」「周防の大州」としなければおかしいことになります。
では「大州」とはどこか。皆さんは、どこと考えますか?。
条件としては、「越のクニ」にも匹敵する大きさをもったクニです。ヒントは、「オオクニ」=「大国」です。
そうです。「大国」といえば、すぐに出雲の王「大国主(オオクニヌシ)」を思い浮かべますよね。つまり「大国」=「出雲」だとしてます。
むむ、と唸ってしまうような鋭い推論で、納得感があります。
・筑紫州
「筑紫のクニ」、通説では「九州島」全体を指すとしてますが、あくまで「筑紫」というクニです。そしてそのクニとは、筑紫国であり、かつては「筑紫国=筑前国」でしたから、筑前ということになります。
最後が、問題の「大日本豐秋津洲」です。
大日本は、いかにもここが中心という仰々しい名前であることから、後から付加されたものではないか、としてます。
さらに
a.「津は」港を指し示す語である。
b. 銅矛圏にあるクニである。
c. 「AのB」という形であり、比較的狭い領域である。
などから、「豊のクニの秋津という領域」と推測してます。
実際、豊国(大分県)には、「安岐」「安岐川」などの地名があり、平安時代にできた和名抄(わみょうしょう)にも「阿岐」の地名があります。
こうしたことから、「アキ津=別府湾」ではないか、としてます。
以上が、日本書紀から推測した「大八州」です。
ではなぜ古事記の「大八州」には、「越州」「大州」がないのでしょうか?
これについては、”古事記の編者は、「大日本豊秋津州」を本州島としたために、本州のなかにある「越州」「大州」を外さざるをえず、代わりに「伊岐嶋」「津嶋」を入れたのではないか。”としてます。
以上、たいへん鋭い推測ですね。
この説であれば、先に挙げた疑問をきれいに説明できます。何より、神話の集積地ともいえる「筑紫」「出雲」「越」「豊」がそろうのが、気持ちいいところです。
もちろん断定はできませんが、一つの説として、通説よりはるかに説得力のあるものとなっているのではないでしょうか。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
はじめに、八つの大きな州(しま)すなわち大八州(おおやしま)を生みます。
ここでも、古事記と日本書紀では記載が異なっています。下表にまとめました。一番右に、通説を載せてます。

次の図は、通説の比定地です。

さて、上の表及び図をみて、何か気づくことがあるでしょうか?
1.嶋のほとんどが西日本にあります。中心が畿内であるなら、東日本にもっと嶋があってもいいはずです。たとえば伊豆大島などです。大倭豊秋津嶋が本州だからおかしくないという考えもありますが、はたしてどうでしょうか?。
2.次に目につくのは、島の大きさがバラバラなことです。一番大きい大倭豊秋津嶋(本州)と比べると、一番小さい伊岐嶋(壱岐島)はとても小さいですね。古代の人が神話を創作する際、島を選ぶときに、このような選び方をするであろうか、という素朴な疑問が湧きます。どうせ選ぶなら、似たような大きさの島を選ぶのが自然です。
それ以前に、そもそも古代の人は本州を島と認識していたのだろうか、という疑問も浮かびます。
3.日本書紀に出てくる「大州」「越州」が古事記にはありません。代わりに古事記では、伊岐嶋(壱岐島)、津嶋(対馬)になってます。
4.もうひとつ、神話の主舞台である「出雲」がありません。これはどうしたことでしょうか?。また同じく神話にしばしば出てくる「越の国(越州)」も、古事記の大八州にありません。
この疑問に対して、通説では、「出雲」「越の国」は本州である「大倭豊秋津嶋」のなかにあるから書かれないのだ、という説明をします。
しかしながらもしそうであるなら、吉備児島(児島半島)も本州の一部でありながら書かれていることと矛盾します。
以上のとおり、通説では説明できないことが多々あります。
これらの疑問に対して、古田武彦氏は「記紀の秘密」において、明快な説を提示しています。
まず日本書紀の「州」ですが、これは一般的な「島(シマ)」ではなく、「州(クニ)」である、というのです。
これは日本書紀をみればわかります。
”是に於いて、彼の嶋に降居して、因りて共に夫婦と為り、州国(クニ)を産生せんと欲す。”
((イザナギ・イザナミは)そこでこの嶋にお降りになって、夫婦の行為を行って国土を生もうとなされた。)(神代紀、第四段、本文)
古田氏は、日本書紀のクニは、一定のルールに基づいて記載されているとして、次のルールを挙げてます。
(1)「州」(クニ)は、限定された「一定領域」を指す言葉である。
(2)「AのB]という形は、”A国の中のB領域”という意味である。(P164)
当然、「AのB」という形は、Aという州(クニ)のなかのBであるから、Aより狭い領域となります。
ではこのルールに沿って、みてみましょう。
まず「AのB」の形です。
・伊豫二名州
「伊予のクニの中の二名という領域」
・億岐三子州
「隠岐のクニの中の三子という領域」
次に「州」のみのクニです。
・淡路州
「淡路のクニ」。古事記では「淡道之穂之狭別嶋」なので、「淡路のクニの穂之狭別という領域」となります。
・伊岐州
「壱岐のクニ」
・對馬州
「対馬のクニ」
・佐度州
「佐渡のクニ」
以上のとおりで、問題はありません。
さらにみてみましょう。
・越州
「越のクニ」。これも明らかでしょう。北陸地方(越前・越中・越後)の「越の国」ですね。
・大州
「大のクニ」。これが通説では愛媛県の大島、山口県の大島などに当てられますが、これらの島は他の島に比べてかなり小さく、一つのクニではないので、ルールに従えば「伊予の大州」「周防の大州」としなければおかしいことになります。
では「大州」とはどこか。皆さんは、どこと考えますか?。
条件としては、「越のクニ」にも匹敵する大きさをもったクニです。ヒントは、「オオクニ」=「大国」です。
そうです。「大国」といえば、すぐに出雲の王「大国主(オオクニヌシ)」を思い浮かべますよね。つまり「大国」=「出雲」だとしてます。
むむ、と唸ってしまうような鋭い推論で、納得感があります。
・筑紫州
「筑紫のクニ」、通説では「九州島」全体を指すとしてますが、あくまで「筑紫」というクニです。そしてそのクニとは、筑紫国であり、かつては「筑紫国=筑前国」でしたから、筑前ということになります。
最後が、問題の「大日本豐秋津洲」です。
大日本は、いかにもここが中心という仰々しい名前であることから、後から付加されたものではないか、としてます。
さらに
a.「津は」港を指し示す語である。
b. 銅矛圏にあるクニである。
c. 「AのB」という形であり、比較的狭い領域である。
などから、「豊のクニの秋津という領域」と推測してます。
実際、豊国(大分県)には、「安岐」「安岐川」などの地名があり、平安時代にできた和名抄(わみょうしょう)にも「阿岐」の地名があります。
こうしたことから、「アキ津=別府湾」ではないか、としてます。
以上が、日本書紀から推測した「大八州」です。
ではなぜ古事記の「大八州」には、「越州」「大州」がないのでしょうか?
これについては、”古事記の編者は、「大日本豊秋津州」を本州島としたために、本州のなかにある「越州」「大州」を外さざるをえず、代わりに「伊岐嶋」「津嶋」を入れたのではないか。”としてます。
以上、たいへん鋭い推測ですね。
この説であれば、先に挙げた疑問をきれいに説明できます。何より、神話の集積地ともいえる「筑紫」「出雲」「越」「豊」がそろうのが、気持ちいいところです。
もちろん断定はできませんが、一つの説として、通説よりはるかに説得力のあるものとなっているのではないでしょうか。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
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