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古事記・日本書紀のなかの史実 (12)~ヒルコはエビス神?

 前回、イザナギ・イザナミはめでたく結ばれました。続きです。

”しかし、女性であるイザナミのほうから誘ったため、正しい交わりでなかったということで、まともな子供が生まれなかった。二神は、最初に生まれた不具の子である水蛭子(ヒルコ)を葦船(あしぶね)(※『日本書紀』の場合は、堅固な樟(くす)で作った船『天磐櫲樟船〈あまのいわくすぶね〉』になっている)に乗せて流してしまい、次に淡島(アワシマ)が生まれたが、(明記こそされていないものの)またしても不具の子であったらしく、ヒルコともどもイザナギ・イザナミの子供のうちに数えられていない。 
悩んだ二神は別天津神の下へと赴き、まともな子が生まれない理由を尋ねたところ、占いにより、女から誘うのがよくなかったとされた。そのため、二神はオノロゴ島に戻り、今度は男性であるイザナギのほうから誘って再び目合った”(Wikipediaより)

【解説】
待望の子供が生まれます。子供といっても、これ以降「国生み(島生み)」が続くので、島を生んだことになります。
せっかく生まれた子供ですが、不幸なことに不具の子供(ヒルコ)でした。かわいそうなことに、舟に乗せて流されてしまいます。
注目は、不具の子が理由が生まれた理由を、「先に女のほうから誘ったのがよくなかった」としている点です。これに関して、古田武彦氏が興味ある解釈をしてます。
「これは女性差別の神話である」
というのです。

これは聖書も同じだ、と述べてます。聖書では、
”アダム(男)からエバ(女)が創造されたのち、蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。エバはその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆った。
この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す”

となってます。あたかも、エバ(女)が木の実を食べたのがよくない、といっているような描き方ですね。

聖書の解釈はいろいろあるでしょうが、たしかにイザナギ・イザナミと似ているといえば似てます。ようは、男性優先・女性蔑視の時代につくられた神話だ、という解釈です。

逆の見方をすれば、かつては女性優先だった時代があったが、それが男性優位に転換された時点の神話だ、ともいえるかもしれません。

このヒルコですが、さまざまな解釈がされてます。Wikipediaをみてみましょう。

”『日本書紀』では三貴子(みはしらのうずのみこ)の前に生まれ、必ずしも最初に生まれる神ではない。書紀では、イザナミがイザナギに声をかけ、最初に淡路洲(淡路島)、次に蛭児(ヒルコ)を生んだが、蛭児が三歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ。堅固な楠で作った船)に乗せて流した、とする。中世以降に起こる蛭子伝説は主にこの日本書紀の説をもとにしている。”

”始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。”

”流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって夷三郎殿として西宮に現れた(西宮大明神)、と記している。日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多い。

ヒルコとえびす(恵比寿・戎)を同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、それ以前に遡るような古伝承ではないが、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。現在、ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで祀られているが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代主とするところも多い。

平安期の歌人大江朝綱は、「伊井諾尊」という題で、「たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たたずして」と詠み、神話では触れていない不具の子に対する親神の感情を付加し、この憐憫の情は、王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れみ、異形が神の子の印(聖痕)とするのちの伝説や伝承に引き継がれた。海のかなたから流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承が異相の釣魚翁であるエビス(夷/恵比寿など)と結びつき、ヒルコとエビスの混同につながったとされる。

また、ヒルコは日る子(太陽の子)であり、尊い「日の御子」であるがゆえに流された、とする貴種流離譚に基づく解釈もあり、こちらでは日の御子を守り仕えたのがエビスであるとする。

不具の子にまつわる類似の神話は世界各地に見られるとされるが、神話において一度葬った死神を後世に蘇生させて伝説や信仰の対象になった例は珍しいという。”

諸説あり、はっきりしないということのようです。

まず、蛭子(ヒルコ)という字から、人の血を吸う生き物である「蛭(ヒル)」を連想してしまいますが、そうではなく、ヒルコ=太陽神である、ということです。つまりもともとは「太陽神」であったものが、「蛭」という字をあてられて、おとしめられたのではないか、ということがいえます。

そして、蛭子と書いて「エビス」と読まれるように、「ヒルコ=エビス神」という説もあります。エビス神は外来の神ともいわれますが、古田氏は、「エビス」の「エ」は輝くという意味、「ヒ」は太陽の「日」、「ス」は須磨、鳥栖と同じで住まいの「ス」、つまり「エビス=輝く太陽の住まい」という意味である、としてます(「古田武彦講演会「君が代前」、2005年7月30日)。

この解釈が成り立つのかははっきりしないところですが、両者とも「太陽」というイメージとしては合ってますね。

エビス神
さらに
”始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話が、特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。”という指摘も重要です。

前のシリーズ、「日本神話の源流」でも、日本神話の源流のひとつとして、東南アジア、もっというとかつて陸地であったスンダランドではないか、という話をしました。


遠い昔に、スンダランドに住んでいた人々が、黒潮に乗って、あるいはアジア大陸東岸づたいに北上して日本列島にやってきた。彼らがこの神話の祖型をもっていた、と推測される、という話でした。
詳細は、
日本神話の源流(15)~本当に中国江南地方が起源か?
を参照ください。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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