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古事記・日本書紀のなかの史実 (19)~神生み④ オオゲツヒメ

イザナギ・イザナミは、次の神々を生みます。

鳥之石楠船神(トリノイハクスブネ)
亦の名は天鳥船(アメノトリフネ)
大宜都比売(オホゲツヒメ)
火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲ)
金山毘古神(カナヤマビコ)
金山毘売神(カナヤマビメ)
波邇夜須毘古神(ハニヤスビコ)
波邇夜須毘売神(ハニヤスビメ)
弥都波能売神(ミツハノメ)
和久産巣日神(ワクムスヒ)


順にみていきましょう。
まず、鳥之石楠船神(トリノイハクスブネ)です。

「神が乗る船の名前」とされますが、他の場面でも登場します。

”『古事記』の葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の段では、天鳥船(アメノトリフネ)神が建御雷(タケミカヅチ)神の副使として葦原中国に派遣され、事代主(コトシロヌシ)神の意見をきくために使者として遣わされた。
しかし『日本書紀』の同段では天鳥船神は登場せず、事代主神に派遣されたのも稲背脛(いなせはぎ)という別の者になっている。稲背脛は「熊野諸手船(もろたふね)、またの名を天[合+鳥]船」という船に乗っていったというが、『古事記』では天鳥船神が使者となっている。また熊野諸手船は美保神社の諸手船神事の元である。

これとは別に、『日本書紀』の神産みの段本文で、イザナギ・イザナミが産んだ蛭児を鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)に乗せて流したとの記述があるが、『古事記』では蛭子が乗って行ったのは鳥之石楠船神ではなく葦船(あしぶね)である。

国譲りの使者は各史料によって建御雷神、経津主神、鳥之石楠船神、稲背脛、天夷鳥命のいずれかから二柱が伴って派遣されるが、建御雷神を除くこれらは皆同一神の別名を伝えたものと考えられる。経津主神、鳥之石楠船神、稲背脛、天夷鳥命は祭祀氏族が共通し、その神名、事績からも製鉄・鳥トーテムに縁のある天孫族系の神であったと考えられ、『神道大辞典』においても出雲国造の祖と鳥之石楠船神を同一視する説を唱えている。また、これに従えば『古事記』、『日本書紀』における記述の違いは、使者の主・従関係の違いだけにとどまり、ほとんど同じ内容を伝えていたこととなる。”(Wikipediaより)


以上のとおり、古事記では、国譲りの話のなかで、蘆原中国(あしはらのなかつくに)へ使者として派遣されます。一方の日本書紀では、別の神が派遣されてます。
これらが同一の神なのか、伝承が混雑しているのかは、なんともいえないところです。

次に生まれたのが、大宜都比売(オオゲツヒメ)です。
この神は、たいへん重要な神です。

”『古事記』においては、まず伊邪那岐(イザナギ)命と伊邪那美(イザナミ)命の国産みにおいて、一身四面の神である伊予之二名島(四国)の中の阿波国の別名として「大宜都比売」の名前が初めて表れる。そしてその直後の神産みにおいて、どういうわけか他の生まれいづる神々に混じり、ほぼ同名といえる「大宜都比売神」が再度生まれている記述がある。
更に高天原を追放された須佐之男(スサノオ)命に料理を振る舞う神としても登場するが、これらが同一神か別神かは不明。

”高天原を追放された須佐之男(スサノオ)命は、空腹を覚えて大気都比売(オオゲツヒメ)神に食物を求め、オオゲツヒメはおもむろに様々な食物を須佐之男命に与えた。それを不審に思ったスサノオが食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。スサノオは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまった。すると、オオゲツヒメの頭からが生まれ、目からが生まれ、耳からが生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部からが生まれ、尻から大豆が生まれた。
これを神産巣日御祖神が回収した。

また島根県石見地方に伝わる伝説には、オオゲツヒメの娘に乙子狭姫がおり、雁に乗って降臨し作物の種を地上に伝えたとする。

オオゲツヒメは『古事記』において五穀や養蚕の起源として書かれているが、『日本書紀』では同様の話がツクヨミがウケモチを斬り殺す話として出てくる。

なお、ここでオオゲツヒメはスサノオに殺されている筈だが、後に大年神の系譜において羽山戸神の妻として八神を生んだとの記述がある。 ただし国産みのオオゲツヒメと須佐之男命の天降りのオオゲツヒメ、羽山戸神の妻のオオゲツヒメが必ずしも同一神とは限らない。"(Wikipedia「オオゲツヒメ」より)

以上のとおり、いくつかの場面で登場してます。また古事記ではスサノオがオホゲツヒメを斬り殺しますが、日本書紀ではスサノオがツクヨミに、オホゲツヒメがウケモチに変わってます。これも伝承の混雑でしょうか。

注目は、オオゲツヒメの役割です。

”オオゲツヒメという名称は「大いなる食物の女神」の意味である。
殺害された者の屍体の各部から栽培植物、とくに球根類が生じるという説話は、東南アジアから大洋州・中南米・アフリカに広く分布している。芋類を切断し地中に埋めると、再生し食料が得られることが背景にある。オオゲツヒメから生じるのが穀物であるのは、日本では穀物が主に栽培されていたためと考えられている。”(同上)

こうした神話は、ハイヌウェレ型神話と呼ばれます。有名なインドネシアのセラム島のウェマーレ族に伝わる話は、次のようなものです。

”ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。”(Wikipedia「ハイヌウェレ型神話」より)

ハイヌウェレ型神話


詳細は
日本神話の源流(7)~神の殺害と農耕の起源 オオゲツヒメ神話とハイヌウェレ神話
を参照ください。

ハイヌウェレ型神話については、以下のとおりです。
”この形の神話は、東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸に広く分布している。それらはみな、芋類を栽培して主食としていた民族である。イェンゼンは、このような民族は原始的な作物栽培文化を持つ「古栽培民」と分類した。彼らの儀礼には、生贄の人間や家畜など動物を屠った後で肉の一部を皆で食べ、残りを畑に撒く習慣があり、これは神話と儀礼とを密接に結びつける例とされた(「世界神話辞典」(大林太良・吉田敦彦他編)・Wikipedia「ハイヌウェレ型神話」より)。”

私は、ハイヌウェレ型神話の発祥は、かつて東南アジアにあったスンダランドではないか、と推測してます。その神話をもった人々が海流に乗って直接、あるいはインドシナ半島沿岸を北上し中国経由で、日本列島にやってきました。

日本では穀物栽培や養蚕が始まったので、穀物・養蚕起源神話になったのではないか、と考えます。

もうひとつ注目すべき点があります


”彼ら(古栽培民)の儀礼には、生贄の人間や家畜など動物を屠った後で肉の一部を皆で食べ、残りを畑に撒く習慣があり、これは神話と儀礼とを密接に結びつける例とされた”
とあります。

つまり、神話は単に物語として単独で存在したのではなく、儀礼と密接に結びついていた、という点です。私はこれを、「神話のリアリティ」と呼んでいます。

「神話のリアリティ」とは、「神話は何がしかの史実を反映したものである」ということを、意味しています。逆にいえば、「神話のなかに、史実の痕跡が残っている」ということです。

このことは、これから神話を読み解いていくうえで、たいへん重要なテーマになります。

詳しくは、
日本神話の源流(36)~神話と祭祀儀式はセット
を参照ください。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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