古事記・日本書紀のなかの史実 (21)~神生み⑥ トヨウケビメ
ワクムスヒが生んだ神が豊宇気毘売神(トヨウケビメ)です。
この神はきわめて重要な神であるとともに、よくわからない神でもあります。
Wikipediaをみてみましょう。
”豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受大神として知られている。『古事記』では豊宇気毘売神と表記される。『日本書紀』には登場しない。
『古事記』では伊邪那美命(いざなみ)から生まれた和久産巣日神(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売神(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(宇迦之御魂神)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。”
伊勢神宮には、外宮と内宮の二つの正宮があります。内宮がアマテラスを祀る皇大神宮であり、外宮がトヨウケビメを祀る豊受大神宮です。参拝の際には、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされてます。
このようにアマテラスに相対するほどのきわめて重要な神であるにもかかわらず、なぜか日本書紀には登場しません。
”伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神(アマテラス)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、外宮に祀るようになったとされている。即ち、元々は丹波の神ということになる。”
アマテラスが呼び寄せた食物の神ということになりますが、もともとは丹波の神でした。なぜこれほどまでに丹波の神が重要視されたのか、がポイントです。
当時、丹波にはヤマト王権をも気を遣わなくてはならないほどの、強大な勢力があったのではないか、と推測できます。
”『丹後国風土記』逸文には、奈具社の縁起として次のような話が掲載されている。丹波郡比治里の比治山頂にある真奈井で天女8人が水浴をしていたが、うち1人が老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住み万病に効く酒を造って夫婦を富ましめたが、十余年後に家を追い出され、漂泊した末に奈具村に至りそこに鎮まった。この天女が豊宇賀能売命(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという。”
有名な羽衣伝説です。羽衣伝説は静岡県の三保の松原など日本各地に残ってますが、ここ丹後と滋賀県長浜市余呉湖を舞台にしたものが最古とされています。東アジア・東南アジア・インド・メラネシア・南北アメリカなどにも同様の伝承が残っており、関連があると考えられます(Wikipedia「羽衣伝説」より)。
この天女がなぜトヨウケビメとされているのかも、興味深いところです。
”尚、『摂津国風土記』逸文に、 止与宇可乃売(トヨウケビメ)神は、一時的に摂津国稲倉山(所在不明)に居たことがあったと記されている。また、豊受大神の荒魂(あらみたま)を祀る宮を多賀宮(高宮)という(外宮境内社)。
伊勢神宮外宮(三重県伊勢市)、奈具社(京都府京丹後市)、籠神社(京都府宮津市)奥宮天真奈井神社、比沼麻奈為神社(京都府京丹後市)、十市御縣坐神社(奈良県橿原市)で主祭神とされているほか、神明神社の多くや、多くの神社の境内社で天照大神とともに祀られている。また、トヨウケビメを祀っている稲荷神社もある。
中世に入り外宮の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)では、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であるとしている。”

上記のとおり、畿内を中心として、多くの神社で祀られています。もともとは丹後地方の一神であったトヨウケビメが、なぜここまで広く信仰されたのかについては、中世に力をもった伊勢神道による影響もあると考えられます。
日本書紀に登場しないのは、編纂時の奈良時代初頭にはまだ、それほど信仰が広まっていなかったからと考えれば、理解できます。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
この神はきわめて重要な神であるとともに、よくわからない神でもあります。
Wikipediaをみてみましょう。
”豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受大神として知られている。『古事記』では豊宇気毘売神と表記される。『日本書紀』には登場しない。
『古事記』では伊邪那美命(いざなみ)から生まれた和久産巣日神(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売神(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(宇迦之御魂神)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。”
伊勢神宮には、外宮と内宮の二つの正宮があります。内宮がアマテラスを祀る皇大神宮であり、外宮がトヨウケビメを祀る豊受大神宮です。参拝の際には、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされてます。
このようにアマテラスに相対するほどのきわめて重要な神であるにもかかわらず、なぜか日本書紀には登場しません。
”伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神(アマテラス)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、外宮に祀るようになったとされている。即ち、元々は丹波の神ということになる。”
アマテラスが呼び寄せた食物の神ということになりますが、もともとは丹波の神でした。なぜこれほどまでに丹波の神が重要視されたのか、がポイントです。
当時、丹波にはヤマト王権をも気を遣わなくてはならないほどの、強大な勢力があったのではないか、と推測できます。
”『丹後国風土記』逸文には、奈具社の縁起として次のような話が掲載されている。丹波郡比治里の比治山頂にある真奈井で天女8人が水浴をしていたが、うち1人が老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住み万病に効く酒を造って夫婦を富ましめたが、十余年後に家を追い出され、漂泊した末に奈具村に至りそこに鎮まった。この天女が豊宇賀能売命(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという。”
有名な羽衣伝説です。羽衣伝説は静岡県の三保の松原など日本各地に残ってますが、ここ丹後と滋賀県長浜市余呉湖を舞台にしたものが最古とされています。東アジア・東南アジア・インド・メラネシア・南北アメリカなどにも同様の伝承が残っており、関連があると考えられます(Wikipedia「羽衣伝説」より)。
この天女がなぜトヨウケビメとされているのかも、興味深いところです。
”尚、『摂津国風土記』逸文に、 止与宇可乃売(トヨウケビメ)神は、一時的に摂津国稲倉山(所在不明)に居たことがあったと記されている。また、豊受大神の荒魂(あらみたま)を祀る宮を多賀宮(高宮)という(外宮境内社)。
伊勢神宮外宮(三重県伊勢市)、奈具社(京都府京丹後市)、籠神社(京都府宮津市)奥宮天真奈井神社、比沼麻奈為神社(京都府京丹後市)、十市御縣坐神社(奈良県橿原市)で主祭神とされているほか、神明神社の多くや、多くの神社の境内社で天照大神とともに祀られている。また、トヨウケビメを祀っている稲荷神社もある。
中世に入り外宮の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)では、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であるとしている。”

上記のとおり、畿内を中心として、多くの神社で祀られています。もともとは丹後地方の一神であったトヨウケビメが、なぜここまで広く信仰されたのかについては、中世に力をもった伊勢神道による影響もあると考えられます。
日本書紀に登場しないのは、編纂時の奈良時代初頭にはまだ、それほど信仰が広まっていなかったからと考えれば、理解できます。

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