古事記・日本書紀のなかの史実 (24)~神生み⑨ イザナギの黄泉の国訪問
イザナミは、火の神カグツチを生んだ傷がもとで死んで、黄泉(よみ)の国へと行ってしまいます。
イザナギはイザナミを取り戻そうと黄泉国へ赴きます。
”黄泉に着いたイザナギは、戸越しにイザナミに「あなたと一緒に創った国土はまだ完成していません。帰りましょう」と言ったが、イザナミは「黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、生き返ることはできません」と答えた(注:黄泉の国のものを食べると、黄泉の住人になるとされていた。これを「黄泉竈食ひ(よもつへぐい)」という)。さらに、イザナミは「黄泉神と相談しましょう。お願いですから、私の姿は見ないで下さいね。」といい、家の奥に入った。
イザナギは、イザナミがなかなか戻ってこないため、自分の左の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつまくし)という櫛の端の歯を折って、火をともして中をのぞき込んだ。するとイザナミは、体は腐って蛆(ウジ)がたかり、声はむせびふさがっており、8柱の雷神(八雷神)がまとわりついていた。雷神の名は以下の通り。
大雷(オホイカヅチ、イザナミの頭にある)
火雷(ホノイカヅチ、イザナミの胸にある)
黒雷(クロイカヅチ、イザナミの腹にある)
拆雷(サクイカヅチ、イザナミの陰部にある)
若雷(ワカイカヅチ、イザナミの左手にある)
土雷(ツチイカヅチ、イザナミの右手にある)
鳴雷(ナルイカヅチ、イザナミの左足にある)
伏雷(フシイカヅチ、イザナミの右足にある)
おののいたイザナギは逃げようとしたが、イザナミは自分の醜い姿を見られたことを恥じて、黄泉醜女(ヨモツシコメ)にイザナギを追わせた。”(Wikipedia「神生み」より)

有名なイザナギの黄泉の訪問の話です。
イザナギが火を灯した「ゆつつま櫛」ですが、竹製の櫛です。櫛は神話において、呪術的な道具として使われ、邪悪なものを斥けるものと考えられてました。
イザナギの見たイザナミは、想像するのもおぞましい姿でした。
このシーンについて、
”死体が腐乱していく様子を象徴的に描いたもので、横穴式石室の古墳に死者を追葬する際に、一度埋葬した遺体に再会した恐怖を題材にしたという説や、古墳時代の葬儀の中で、長期間にわたって殯宮(喪屋)に安置されている遺体がどんどん腐乱していく場面を題材にしたという説が有力である。”(「『ヨモツヒラサカ』を超えた神々」(古代出雲歴史博物館 森田喜久男)P7より)
とあります。
確かにこのシーンが、古墳時代の埋葬の際の風習と関連している可能性はあります。しかしながらだからといって、古墳時代の風習を題材に、後世に創作された話とするのは、早計です。
古墳時代の埋葬風習は、古墳時代に突然出現したものではないはずです。当然、過去の長い歴史のなかで受け継がれてきた風習でしょう。あくまで感覚的なものですが、かなり原始的な風習のように感じられます。
となると、はるか昔の当時、こうした風習がありそれが古墳時代にも引き継がれた、と考えるほうが自然です。
前にイザナミが死んだあと、イザナギがイザナミの枕元で腹ばいになり、次にイザナミの足元で腹ばいになって大声で泣くシーンがありましたが、森田氏はこの所作についても、
”古墳時代に行われていたモガリという葬送儀礼を反映したものである。”
と述べています(同資料P6)。
これについても同様のことがいえます。
つまりもともとはるか昔(イザナギ・イザナミの時代)からそのような風習があり、それが古墳時代のモガリに引き継がれた、となります。
皆さんは、どのように考えるでしょうか?
さて、イザナギはイザナミを連れ帰ろうとしますが、結局失敗してしまいます。失敗の原因は、イザナミの「自分の姿を見てはいけない」という約束を破ったからです。いわゆる「見るな」のタブーを犯したからです。
この話が、ギリシア神話におけるオルペウスが、死んだ妻エウリュディケーを取れ戻すために、冥府を訪問し失敗する話と似ていることが、指摘されてます。しかも失敗の原因が、「亡き妻の姿を見てはならぬ」という禁止に背いた点も似ています。
こうした共通点から、通説では、ギリシア神話が中央アジアステップ地帯から朝鮮半島を経て日本に伝わり、イザナギの話ができあがったのではないか、とされています。
これに対して私は、必ずしもそうはいえないのではないか、という問題提起をしました。
詳しくは
日本神話の源流(16)~ギリシア神話との比較
を参照ください。
次に、イザナミの腐敗した各部位から、八柱の神々が化成します。これも、前のオオゲツヒメやカグツチの体から、次々と穀物や神々が生まれる話と同じ発想です。
古代の人々の間には、人間の各部位に神が宿るという発想があったということでしょう。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
イザナギはイザナミを取り戻そうと黄泉国へ赴きます。
”黄泉に着いたイザナギは、戸越しにイザナミに「あなたと一緒に創った国土はまだ完成していません。帰りましょう」と言ったが、イザナミは「黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、生き返ることはできません」と答えた(注:黄泉の国のものを食べると、黄泉の住人になるとされていた。これを「黄泉竈食ひ(よもつへぐい)」という)。さらに、イザナミは「黄泉神と相談しましょう。お願いですから、私の姿は見ないで下さいね。」といい、家の奥に入った。
イザナギは、イザナミがなかなか戻ってこないため、自分の左の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつまくし)という櫛の端の歯を折って、火をともして中をのぞき込んだ。するとイザナミは、体は腐って蛆(ウジ)がたかり、声はむせびふさがっており、8柱の雷神(八雷神)がまとわりついていた。雷神の名は以下の通り。
大雷(オホイカヅチ、イザナミの頭にある)
火雷(ホノイカヅチ、イザナミの胸にある)
黒雷(クロイカヅチ、イザナミの腹にある)
拆雷(サクイカヅチ、イザナミの陰部にある)
若雷(ワカイカヅチ、イザナミの左手にある)
土雷(ツチイカヅチ、イザナミの右手にある)
鳴雷(ナルイカヅチ、イザナミの左足にある)
伏雷(フシイカヅチ、イザナミの右足にある)
おののいたイザナギは逃げようとしたが、イザナミは自分の醜い姿を見られたことを恥じて、黄泉醜女(ヨモツシコメ)にイザナギを追わせた。”(Wikipedia「神生み」より)

有名なイザナギの黄泉の訪問の話です。
イザナギが火を灯した「ゆつつま櫛」ですが、竹製の櫛です。櫛は神話において、呪術的な道具として使われ、邪悪なものを斥けるものと考えられてました。
イザナギの見たイザナミは、想像するのもおぞましい姿でした。
このシーンについて、
”死体が腐乱していく様子を象徴的に描いたもので、横穴式石室の古墳に死者を追葬する際に、一度埋葬した遺体に再会した恐怖を題材にしたという説や、古墳時代の葬儀の中で、長期間にわたって殯宮(喪屋)に安置されている遺体がどんどん腐乱していく場面を題材にしたという説が有力である。”(「『ヨモツヒラサカ』を超えた神々」(古代出雲歴史博物館 森田喜久男)P7より)
とあります。
確かにこのシーンが、古墳時代の埋葬の際の風習と関連している可能性はあります。しかしながらだからといって、古墳時代の風習を題材に、後世に創作された話とするのは、早計です。
古墳時代の埋葬風習は、古墳時代に突然出現したものではないはずです。当然、過去の長い歴史のなかで受け継がれてきた風習でしょう。あくまで感覚的なものですが、かなり原始的な風習のように感じられます。
となると、はるか昔の当時、こうした風習がありそれが古墳時代にも引き継がれた、と考えるほうが自然です。
前にイザナミが死んだあと、イザナギがイザナミの枕元で腹ばいになり、次にイザナミの足元で腹ばいになって大声で泣くシーンがありましたが、森田氏はこの所作についても、
”古墳時代に行われていたモガリという葬送儀礼を反映したものである。”
と述べています(同資料P6)。
これについても同様のことがいえます。
つまりもともとはるか昔(イザナギ・イザナミの時代)からそのような風習があり、それが古墳時代のモガリに引き継がれた、となります。
皆さんは、どのように考えるでしょうか?
さて、イザナギはイザナミを連れ帰ろうとしますが、結局失敗してしまいます。失敗の原因は、イザナミの「自分の姿を見てはいけない」という約束を破ったからです。いわゆる「見るな」のタブーを犯したからです。
この話が、ギリシア神話におけるオルペウスが、死んだ妻エウリュディケーを取れ戻すために、冥府を訪問し失敗する話と似ていることが、指摘されてます。しかも失敗の原因が、「亡き妻の姿を見てはならぬ」という禁止に背いた点も似ています。
こうした共通点から、通説では、ギリシア神話が中央アジアステップ地帯から朝鮮半島を経て日本に伝わり、イザナギの話ができあがったのではないか、とされています。
これに対して私は、必ずしもそうはいえないのではないか、という問題提起をしました。
詳しくは
日本神話の源流(16)~ギリシア神話との比較
を参照ください。
次に、イザナミの腐敗した各部位から、八柱の神々が化成します。これも、前のオオゲツヒメやカグツチの体から、次々と穀物や神々が生まれる話と同じ発想です。
古代の人々の間には、人間の各部位に神が宿るという発想があったということでしょう。
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