古事記・日本書紀のなかの史実 (25)~神生み⑩ 呪的遁走(マジック・フライト)
さてイザナギは、追いかけてくるヨモツシコメ達から、必死になって逃げます。
”イザナギは蔓草(つるくさ)を輪にして頭に載せていたものを投げ捨てた。すると葡萄の実がなり、ヨモツシコメがそれを食べている間、逃げた。しかしまだ追ってくるので、右の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつなくし)という竹の櫛を投げた。するとタケノコが生え、ヨモユシコメがそれを食べている間、逃げた。
イザナミはさらに、8柱の雷神と黄泉軍にイザナギを追わせた。イザナギは十拳剣で振り払いながら逃げ、ようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に着いたとき、坂本にあった桃の実を3つ投げたところ、追ってきた黄泉の国の悪霊たちは逃げ帰っていった。
ここでイザナギは、桃に「人々が困っているときに助けてくれ」と言って、意富加牟豆美(オホカムズミ)命と名づけた。
最後にイザナミ本人が追いかけてきたので、イザナギは千人がかりでなければと動かないような大岩で黄泉比良坂をふさぎ、悪霊が出ないようにした。その岩をはさんで対面してこの夫婦は別れることとなる。
このときイザナミは、「私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう」と言い、これに対しイザナギは、「それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう」と言った。これは人間の生死の由来を表している。
このときから、イザナミを黄泉津大神(ヨモツオホカミ)、また坂道を追いついたから道敷大神(チシキノオホカミ)とも呼び、黄泉比良坂をふさいだ大岩を道返之大神(チカヘシノオホカミ)・黄泉戸大神(ヨミノトノオホカミ)ともいう。なお、古事記では、黄泉比良坂は出雲国の伊賦夜坂(いふやのさか;現在の島根県松江市の旧東出雲町地区)としている。”(Wikipedia「神生み」より)
イザナギはイザナミを迎えに行ったものの、そのあまりに醜い姿を見て逃げ出します。
逃げる手段が漫画の描写のようで、ユーモラスにも思えてしまいます。
投げ捨てたツルクサから成ったブドウの実、また竹の櫛を投げそこから生えたタケノコ、最後に投げた桃の実、いずれも古代の呪術において、呪的な力をもったものと信じられていたものということでしょう。
日本の昔ばなしの「竹取物語」や「桃太郎」なども、こうした思想が反映されているとの説もあります。
注目は、投げたものの数である「三」という数字です。
「黄泉の国逃走譚の形成」(神田典城)からです。
”小澤俊夫氏「昔ばなしとは何か」によると、
「昔ばなしでは、多数のことをいうときに、数がきまっていて、もっとも頻繁に使われるのが三である。三人、三回、三つの課題など。次に多いのは七。七人の兄弟、七年後。そして十二、九となる。数については日本の昔ばなしでも事情は同じで、三人娘、三回、三つの難題、七年間など、その例はいくらでも挙げることができる。
多数を示すとき、つねに三、七、十二などが使われるということは、俗にいえば、ワンパターンということになる。形がきまっている。昔話は、ぐにゃぐにゃと形がかわるものではなく、形が固定しているのを好む。(中略)三とか七ばかり使うことによって、固定的にしているのである。」
「ここで強調しておきたいのは、ほとんど同じことばによる三回のくり返し、そして三回めに最重点があること、これはヨーロッパと日本の昔ばなしを通じていえる基本的構成である。」
一般的には、
”三という数字は、中国の数詞観に影響されたもの。中国では、三・五・七・九を、陽数として尊んだ。”( P66)
のように、中国思想の影響とされてますが、ヨーロッパにも広まっている観念のようです。
日常でも、人にプレゼンテーションするときや、説得するとき、根拠や理由は三つ挙げるといい、といわれます。私たちのもっているリズムが、「三」などの数字に合っているということかもしれませんね。
もうひとつ重要な概念があります。
「呪的遁走」です。
呪的遁走とは、「逃げる際に、ある物が他のものに変化することにより、追跡者から逃げようとすること」で、英語では「マジック・フライト」といいます。なんかディズニーランドに出てきそうな言葉ですね。
論文のなかではもう少し厳密に説明しています。
「或るものが質的もしくは量的にこれと類同したある他のものに変化して追跡者を抑留することを中核的な観想として成り立って居」るとされたうえで、カヅラと櫛の投擲がこれによく合致する。
(松村武雄氏「日本神話研究 第二巻」より)
としています。
ちなみにカズラとは、上のあらすじでは「蔓草(つるくさ)を輪にして頭に載せていたもの」です。
大林太良氏は、
「この呪的逃走説話は、(中略)主な分布圏は、西アジア、ヨーロッパから北部北米にかけての地域である。しかもこれら広大な北方地域においては、物語の細部に至るまで驚くべき一致が見られる。つまり投げられる物体は、石・櫛・水の三つなのである。」とされた。そして記紀に示された要素について、櫛をこれに合致するものであり、ブドウ及び桃(古事記)を、水(日本書記一書の川)や石の要素にとって代わったものかとされた。」
物語の細部にまでわたって一致しているのですから、偶然とは考えにくいですね。ただし、一致するもののうち、ブドウと桃が水と石に変わった、というところは何ともいえません。
論文では、詳細な論証を展開してますが、割愛します。興味ある方は、検索すればダウンロードできるので、読んでみてください。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
”イザナギは蔓草(つるくさ)を輪にして頭に載せていたものを投げ捨てた。すると葡萄の実がなり、ヨモツシコメがそれを食べている間、逃げた。しかしまだ追ってくるので、右の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつなくし)という竹の櫛を投げた。するとタケノコが生え、ヨモユシコメがそれを食べている間、逃げた。
イザナミはさらに、8柱の雷神と黄泉軍にイザナギを追わせた。イザナギは十拳剣で振り払いながら逃げ、ようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に着いたとき、坂本にあった桃の実を3つ投げたところ、追ってきた黄泉の国の悪霊たちは逃げ帰っていった。
ここでイザナギは、桃に「人々が困っているときに助けてくれ」と言って、意富加牟豆美(オホカムズミ)命と名づけた。
最後にイザナミ本人が追いかけてきたので、イザナギは千人がかりでなければと動かないような大岩で黄泉比良坂をふさぎ、悪霊が出ないようにした。その岩をはさんで対面してこの夫婦は別れることとなる。
このときイザナミは、「私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう」と言い、これに対しイザナギは、「それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう」と言った。これは人間の生死の由来を表している。
このときから、イザナミを黄泉津大神(ヨモツオホカミ)、また坂道を追いついたから道敷大神(チシキノオホカミ)とも呼び、黄泉比良坂をふさいだ大岩を道返之大神(チカヘシノオホカミ)・黄泉戸大神(ヨミノトノオホカミ)ともいう。なお、古事記では、黄泉比良坂は出雲国の伊賦夜坂(いふやのさか;現在の島根県松江市の旧東出雲町地区)としている。”(Wikipedia「神生み」より)
イザナギはイザナミを迎えに行ったものの、そのあまりに醜い姿を見て逃げ出します。
逃げる手段が漫画の描写のようで、ユーモラスにも思えてしまいます。
投げ捨てたツルクサから成ったブドウの実、また竹の櫛を投げそこから生えたタケノコ、最後に投げた桃の実、いずれも古代の呪術において、呪的な力をもったものと信じられていたものということでしょう。
日本の昔ばなしの「竹取物語」や「桃太郎」なども、こうした思想が反映されているとの説もあります。
注目は、投げたものの数である「三」という数字です。
「黄泉の国逃走譚の形成」(神田典城)からです。
”小澤俊夫氏「昔ばなしとは何か」によると、
「昔ばなしでは、多数のことをいうときに、数がきまっていて、もっとも頻繁に使われるのが三である。三人、三回、三つの課題など。次に多いのは七。七人の兄弟、七年後。そして十二、九となる。数については日本の昔ばなしでも事情は同じで、三人娘、三回、三つの難題、七年間など、その例はいくらでも挙げることができる。
多数を示すとき、つねに三、七、十二などが使われるということは、俗にいえば、ワンパターンということになる。形がきまっている。昔話は、ぐにゃぐにゃと形がかわるものではなく、形が固定しているのを好む。(中略)三とか七ばかり使うことによって、固定的にしているのである。」
「ここで強調しておきたいのは、ほとんど同じことばによる三回のくり返し、そして三回めに最重点があること、これはヨーロッパと日本の昔ばなしを通じていえる基本的構成である。」
一般的には、
”三という数字は、中国の数詞観に影響されたもの。中国では、三・五・七・九を、陽数として尊んだ。”( P66)
のように、中国思想の影響とされてますが、ヨーロッパにも広まっている観念のようです。
日常でも、人にプレゼンテーションするときや、説得するとき、根拠や理由は三つ挙げるといい、といわれます。私たちのもっているリズムが、「三」などの数字に合っているということかもしれませんね。
もうひとつ重要な概念があります。
「呪的遁走」です。
呪的遁走とは、「逃げる際に、ある物が他のものに変化することにより、追跡者から逃げようとすること」で、英語では「マジック・フライト」といいます。なんかディズニーランドに出てきそうな言葉ですね。
論文のなかではもう少し厳密に説明しています。
「或るものが質的もしくは量的にこれと類同したある他のものに変化して追跡者を抑留することを中核的な観想として成り立って居」るとされたうえで、カヅラと櫛の投擲がこれによく合致する。
(松村武雄氏「日本神話研究 第二巻」より)
としています。
ちなみにカズラとは、上のあらすじでは「蔓草(つるくさ)を輪にして頭に載せていたもの」です。
大林太良氏は、
「この呪的逃走説話は、(中略)主な分布圏は、西アジア、ヨーロッパから北部北米にかけての地域である。しかもこれら広大な北方地域においては、物語の細部に至るまで驚くべき一致が見られる。つまり投げられる物体は、石・櫛・水の三つなのである。」とされた。そして記紀に示された要素について、櫛をこれに合致するものであり、ブドウ及び桃(古事記)を、水(日本書記一書の川)や石の要素にとって代わったものかとされた。」
物語の細部にまでわたって一致しているのですから、偶然とは考えにくいですね。ただし、一致するもののうち、ブドウと桃が水と石に変わった、というところは何ともいえません。
論文では、詳細な論証を展開してますが、割愛します。興味ある方は、検索すればダウンロードできるので、読んでみてください。

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