古事記・日本書紀のなかの史実 (26)~神生み⑪ 桃の呪力
前回は、イザナギが黄泉の国から脱出する「呪的遁走」(マジック・フライト)の話でした。
追ってくる相手に投げたものの数「三」について解説しましたが、もうひとつ注目点があります。
最後に投げた「桃の実」です。
”イザナミはさらに、8柱の雷神と黄泉軍にイザナギを追わせた。イザナギは十拳剣で振り払いながら逃げ、ようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に着いたとき、坂本にあった桃の実を3つ投げたところ、追ってきた黄泉の国の悪霊たちは逃げ帰っていった。”
今まで、カズラや竹櫛を投げても逃げ切れなかったのに、桃の実を投げたら脱出に成功したということは、「桃」には大きな呪術的があると考えていたことになります。
このことに関して、興味深い論文があるので、みてみましょう。
「桃呪術の比較民俗学(1)-日本の事例を中心としてー」(桃崎祐輔)からです。
桃には、古来より雷を避けるという「辟雷」の力があると信じられていましたが、その信仰が広まる前に「穀霊たる雷神とその依代たる桃」という関係があった、というのです。
ところが中国の陰陽五行説が広まるにつれ、辟邪性のみが強調されるようになった、としています。
陰陽五行説との関係については、
”桃呪術は陰陽五行説の哲理に裏付けられている”「陰陽五行と日本の民俗」(吉野裕子)としています。
陰陽五行説については、
古事記・日本書紀のなかの史実 (20)~神生み⑤ 五行陰陽説
でもお話ししました。
簡単にいうと、宇宙が陰と陽に分かれ、そこから
水・火・木・金・土
が生じたというものです。
さらに、
”五行の互いの関係には、「相生」「相剋」「比和」「相乗」「相侮」という性質が付与されている。”
そのうちの「相剋」のなかに、
「金」は「木」を剋す。=(「金剋木」)
があります。
<陰陽五行説図>

そして、
”雷は、八卦の「震」によって象徴される「木気」であり、蛇もまた木気で、「雷の申し子」の本質は蛇である。”
とする一方、
”桃は「金気」の象徴”
としています。
したがって、「金気」の象徴である「桃」は、「木気」の象徴である「雷」を剋す、ということになります。
論文ではこのあたりを、次のように述べてます。
”八くさの雷神及び千五百の黄泉軍に対しては、十拳の剣を振り回しながら逃げている。
しかし、僅か坂本の桃の実三つを投擲することによって、巨大な黄泉国の軍勢は撃退されてしまう。”
”桃の方がより強力な呪物として認識されているのは、桃が五行五木の精として、陰陽五行説中では、最強の効能が与えられているから。”
”イザナミの使い魔である八種の雷という最強の鬼神は、取りも直さず「木」の気の象徴であり、最初は文字通り金物の十拳の剣で対処したが剋するには到らず、最終兵器的な「金」の気の化成である桃果を、聖なる数である三つ投げる事によって最大の呪術的効果を挙げ、八雷神・千五百の黄泉国の軍勢・醜女すべてを撃退して、更に一般的な「道切り」で物理的にも封鎖呪縛して、金剋木の理を完成させているのである。”
ようは、逃げようとして十拳の剣を振り回したのは、追手の雷神が「木」の気の象徴であり、彼らを制するために効果があるのは、「相剋」の原理から十拳の剣が「金」の気だからでした。
ところがそれでも逃げ切れなかったため、さらに強力な「金」の気である「桃」を投げ、逃亡に成功した、ということです。
なるほどという説ですが、ここで問題は、「桃」が「金」の気の化成といえるのか、という点です。論文では、
”「丸く硬い」果実は「金」気を帯びるという哲理が働いての事ではあるまいか。”
としています。
実は、五行説に、五行色体表というのがあります。
そのなかに五果があります。それによると、
木・・季(すもも)
火・・杏(あんず)
土・・棗(なつめ)
金・・桃(もも)
水・・栗(くり)
となっています。たしかに桃は金に属していますね。
さらに論文では、法隆寺金堂において、”立柱後、柱の頭に垂直に大きな穴を穿ち、その穴中に桃核を沢山納めていた。”ことを挙げ、これは「防災辟邪のまじない」であるとしています。
つまり、
”桃の「金」気を利用して「木」気の雷を避ける辟雷の呪法である。”
というのです。
そして、法隆寺が再建されたのが708年頃であり、古事記が上梓されたのが712年であり、同時代であることから、同じ思想であったとしています。
法隆寺を再建した人々が陰陽五行説を知っていたかは別としても、当時このような風習があり、それに従って桃核を納めたということでしょう。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
追ってくる相手に投げたものの数「三」について解説しましたが、もうひとつ注目点があります。
最後に投げた「桃の実」です。
”イザナミはさらに、8柱の雷神と黄泉軍にイザナギを追わせた。イザナギは十拳剣で振り払いながら逃げ、ようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に着いたとき、坂本にあった桃の実を3つ投げたところ、追ってきた黄泉の国の悪霊たちは逃げ帰っていった。”
今まで、カズラや竹櫛を投げても逃げ切れなかったのに、桃の実を投げたら脱出に成功したということは、「桃」には大きな呪術的があると考えていたことになります。
このことに関して、興味深い論文があるので、みてみましょう。
「桃呪術の比較民俗学(1)-日本の事例を中心としてー」(桃崎祐輔)からです。
桃には、古来より雷を避けるという「辟雷」の力があると信じられていましたが、その信仰が広まる前に「穀霊たる雷神とその依代たる桃」という関係があった、というのです。
ところが中国の陰陽五行説が広まるにつれ、辟邪性のみが強調されるようになった、としています。
陰陽五行説との関係については、
”桃呪術は陰陽五行説の哲理に裏付けられている”「陰陽五行と日本の民俗」(吉野裕子)としています。
陰陽五行説については、
古事記・日本書紀のなかの史実 (20)~神生み⑤ 五行陰陽説
でもお話ししました。
簡単にいうと、宇宙が陰と陽に分かれ、そこから
水・火・木・金・土
が生じたというものです。
さらに、
”五行の互いの関係には、「相生」「相剋」「比和」「相乗」「相侮」という性質が付与されている。”
そのうちの「相剋」のなかに、
「金」は「木」を剋す。=(「金剋木」)
があります。
<陰陽五行説図>

そして、
”雷は、八卦の「震」によって象徴される「木気」であり、蛇もまた木気で、「雷の申し子」の本質は蛇である。”
とする一方、
”桃は「金気」の象徴”
としています。
したがって、「金気」の象徴である「桃」は、「木気」の象徴である「雷」を剋す、ということになります。
論文ではこのあたりを、次のように述べてます。
”八くさの雷神及び千五百の黄泉軍に対しては、十拳の剣を振り回しながら逃げている。
しかし、僅か坂本の桃の実三つを投擲することによって、巨大な黄泉国の軍勢は撃退されてしまう。”
”桃の方がより強力な呪物として認識されているのは、桃が五行五木の精として、陰陽五行説中では、最強の効能が与えられているから。”
”イザナミの使い魔である八種の雷という最強の鬼神は、取りも直さず「木」の気の象徴であり、最初は文字通り金物の十拳の剣で対処したが剋するには到らず、最終兵器的な「金」の気の化成である桃果を、聖なる数である三つ投げる事によって最大の呪術的効果を挙げ、八雷神・千五百の黄泉国の軍勢・醜女すべてを撃退して、更に一般的な「道切り」で物理的にも封鎖呪縛して、金剋木の理を完成させているのである。”
ようは、逃げようとして十拳の剣を振り回したのは、追手の雷神が「木」の気の象徴であり、彼らを制するために効果があるのは、「相剋」の原理から十拳の剣が「金」の気だからでした。
ところがそれでも逃げ切れなかったため、さらに強力な「金」の気である「桃」を投げ、逃亡に成功した、ということです。
なるほどという説ですが、ここで問題は、「桃」が「金」の気の化成といえるのか、という点です。論文では、
”「丸く硬い」果実は「金」気を帯びるという哲理が働いての事ではあるまいか。”
としています。
実は、五行説に、五行色体表というのがあります。
そのなかに五果があります。それによると、
木・・季(すもも)
火・・杏(あんず)
土・・棗(なつめ)
金・・桃(もも)
水・・栗(くり)
となっています。たしかに桃は金に属していますね。
さらに論文では、法隆寺金堂において、”立柱後、柱の頭に垂直に大きな穴を穿ち、その穴中に桃核を沢山納めていた。”ことを挙げ、これは「防災辟邪のまじない」であるとしています。
つまり、
”桃の「金」気を利用して「木」気の雷を避ける辟雷の呪法である。”
というのです。
そして、法隆寺が再建されたのが708年頃であり、古事記が上梓されたのが712年であり、同時代であることから、同じ思想であったとしています。
法隆寺を再建した人々が陰陽五行説を知っていたかは別としても、当時このような風習があり、それに従って桃核を納めたということでしょう。
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