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古事記・日本書紀のなかの史実 (28)~神生み⑬ 禊祓(みそぎばらい)  志賀島

黄泉の国から脱出したイザナギは、黄泉の穢れから身を清めるために、竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら)で禊を行います。すると次々と神が生まれます。

はじめに衣を脱ぐと十二神が生まれます

衝立船戸神(ツキタツフナトノカミ、杖から生まれる)
道之長乳歯神(ミチノナガチハノカミ、帯から生まれる)
時量師神(トキハカシノカミ、袋から生まれる)
和豆良比能宇斯能神(ワズラヒノウシノカミ、衣から生まれる)
道俣神(チマタノカミ、袴から生まれる)
飽咋之宇斯能神(アキグヒノウシノカミ、冠から生まれる)
奥疎神(オキザカルノカミ、左手の腕輪から生まれる)
奥津那芸佐毘古神(オクツナギサビコノカミ、同上)
奥津甲斐弁羅神(オクツカヒベラミノカミ、同上)
辺疎神(ヘザカルノカミ、右手の腕輪から生まれる)
辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコノカミ、同上)
辺津甲斐弁羅神(ヘツカヒベラノカミ、同上)


「上流は流れが速い。下流は流れが弱い」といって、最初に中流に潜って身を清めたとき、二神が生まれます。この二神は黄泉の穢れから生まれた神です。

八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)
大禍津日神(オホマガツヒノカミ)


次に、その禍(まが)を直そうとすると三神が生まれます。

神直毘神(カムナオビノカミ)
大直毘神(オホナオビノカミ)
伊豆能売(イヅノメ)


次に、水の底で身を清めると二神が生まれます。

底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)
底筒之男神(ソコツツノヲノカミ)


次に、水の中程で身を清めると二神が生まれます。

中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)
中筒之男神(ナカツツノヲノカミ)


次に、水の表面で身を清めると二神が生まれます。

上津綿津見神(ウハツワタツミノカミ)
上筒之男神(ウハツツノヲノカミ)

古事記には、
”底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神は、これら三神の子の宇都志日金析(ウツシヒカナサク)命の子孫である阿曇連らに信仰されている。底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神は墨江の三柱の大神(住吉三神)である。”
記載されてます。

左の目を洗うと天照大御神(アマテラスオホミカミ)が生まれます。
右の目を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)が生まれます。
鼻を洗うと建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)が生まれます。

イザナミは最後に三柱の貴い子を得たと喜び、アマテラスに首飾りの玉の緒を渡して高天原を委任した。その首飾りの玉を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)という。ツクヨミには夜の食国(をすくに)を、スサノオには海原を委任します。

まずここでの問題は、神々の生まれた場所です。

竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら)
とあります。

一般的には、宮崎県宮崎市阿波岐原町とされてますが、はたしてどうでしょうか。

ここまでお話ししているとおり、神話の舞台は、北部九州中心です。となると、禊をしたのも、北部九州とするのが自然です。

古事記には、綿津見三神(底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神)は、阿曇連に信仰されていると記載されてますが、阿曇族といえば、九州北部に拠点があった海人族です。

では北部九州に、候補地はあるのでしょうか?

いくつかあるのですが、可能性の高い場所として、志賀島が挙げられます。志賀島にある志賀海神社の祭神は、綿津見三神であり、神社由緒では綿津見神社の総本社を称してます。

志賀島といえば、金印「漢委奴国王」が出土したことで知られています。

また志賀海神社では、山褒め祭りにおいて、君が代の原型ともいわれる歌が詠みあげられます。

”国歌である君が代に酷似しているが、先々代の香椎宮・宮司 木下祝夫の父、木下美重によれば香椎宮に所蔵されていた筑前国の神楽記録からこの山誉祭神楽歌が旅芸人によって広められ、古今和歌集に収められ、のちに薩摩琵琶の『蓬莱山』にある「君が代」になり国歌になったとされる。”(Wikipedia「志賀海神社」より)

”社伝では、古くは志賀島の北側、勝馬浜において表津宮(うわつぐう)・仲津宮(なかつぐう)・沖津宮(おきつぐう)の3宮から成っていたが、阿曇磯良(あずみのいそら:阿曇氏祖)により、そのうち表津宮が志賀島南側に遷座して現境内となったという。仲津宮・沖津宮は現在は摂社となっている。その阿曇磯良は、神功皇后の新羅出征において舵取りを務めたとも伝えられる。”(同上)

志賀島位置


沖津宮・仲津宮・表津宮位置


沖津宮・仲津宮・表津宮
沖津宮の祭神は、表津綿津見神・天御中主神
仲津宮の祭神は、仲津綿津見神
志賀海神社(表津宮)の祭神は、左殿 仲津綿津見神、中殿 底津綿津見神、右殿 表津綿津見神
となってます。

そして勝馬には、
舞能が浜、大戸、小戸、三瀬、神遊瀬、御手洗
といった字が残ってます。


このうち「御手洗」について、次の記録があります。
”イザナギ大神、与美国の穢れを洗い清め給いし所という”「香椎宮史」のなかの「筑陽記」の「志賀島」より
以上「志賀海神社(Ⅰ)龍の都と呼ばれた海神の宮:ひもろぎ逍遥」参照

古事記の「小門」は、「小戸」でしょう。
また「神遊瀬」という地名も意味深ですね。

次に、「阿波岐原(あはきはら)」ですが、
”泡をもじった地口を踏まえる”とされます(「政治的寓意としての能:「白楽天」をめぐって」(スーザン・ブレークリー・クライン著:荒木浩編訳)より)。

ここで地口とは聞きなれない言葉ですが、しゃれの一種で「語呂合わせ」のことです。つまり、「阿波岐原」とは、”「泡」の立つ原”を語呂合わせで表現した”ということになります。

ちなみに論文でも、
”この清めは、九州の北部の海峡でなされた、と推測される。”
と述べられています。

クライン氏は、カリフォルニア大学アーベイン校准教授(当時)で、2009年7月までの2年余り、カリフォルニア大学東京スタディセンター所長を兼務された方です。

日本の歴史文化に対する造詣の深さに驚かされますが、何よりも、日本人研究者がはっきりと言わずにあいまいにしていることを、あっさりと言い切っています。なんのしがらみもないせいでしょうが、清々しささえ感じますね。

なお「橘」もはっきりしませんが、
”小さい瀬戸のほとり”
という意味とされます(「古事記 祝詞」(倉野憲司他校注)より)。

以上をまとめますと、
竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原
とは、
”九州北部の海峡にある、日向の小さい瀬戸のほとりの泡の立つ場所”
ということになります。

志賀島は、この条件をほぼ満たしていますね。
なお「ほぼ」と書いたのは、完全に一致しているとまでは言い切れない点があるためです。
それは「日向」のことなのですが、次回にお話しします。


↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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